計画の焦点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 05:40 UTC 版)
アポロ13号の着陸地点は、直径80kmのフラ・マウロクレーターを持つフラ・マウロ高地が予定されていた。ここは過去に巨大な隕石が衝突したとき、地下の溶岩が噴出したことによって形成されたと考えられる小丘で、地質学的に見てきわめて興味深いサンプルを採集できると期待されたため、候補として選ばれたのである。フラ・マウロへの着陸は、次のアポロ14号で実現された。 当初、発射は1970年3月に予定されていたが、(公式には)12号が持ち帰った月の石の分析に時間を掛ける必要があるとして、同年4月に延期されている。 13号は、実はすでに発射直後から不具合を発生させていた。まず第2段ロケットS-II の中央エンジンが、予定より2分早く燃焼を停止してしまった。しかしながらこの時は周囲の4基のエンジンが自動的に燃焼時間を延長し、軌道を修正したため大事には至らなかった。後の分析によると故障の原因は共振によるもので、エンジンの振動は68G、16Hzという危険な水準にまで達していた。エンジンを支えるフレームは76mmも歪み、第2段を空中分解させかねないほどの振動と歪みであったが、この振動によってセンサーが圧力を過度に低く表示したため、コンピューターが自動的にエンジンを停止したのである。 これより小さな振動は13号以前の飛行でも起こっていたが(またそれは、ジェミニ計画初期の無人飛行の段階から発生しており、ロケットに固有の現象であると考えられていたが)、13号ではターボポンプの中でキャビテーションが発生したことにより、振動が拡大されたのであった。このため後の飛行では、13号の時点ではまだ開発途上であった振動抑制装置が取りつけられることになった。同時に、圧力振動を減少させるため液体酸素の供給ラインの中にヘリウムガスを満たしたサージタンクを設置し、故障が発生した際に中央エンジンを自動的に停止する装置を設け、またすべてのエンジンの燃料バルブを簡素化するなどの改善が図られた。
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計画の焦点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/09 21:43 UTC 版)
ソユーズ5号には船長のボリス・ボリノフと航空機関士のアレクセイ・エリセーエフ、エフゲニー・フルノフが搭乗し、両機関士は4号に乗り移り大気圏に再突入した。飛行計画には他にも科学・技術・医療における研究や、宇宙船のシステムや設計の試験、宇宙船を操縦操作してのドッキング、軌道上での他機への移乗などが含まれていた。 ひとり5号に残ったボリノフは、このあと大気圏再突入で危うく命を落としかけることになる。ソユーズは帰還の際、まず球形の軌道船を分離し、ロケットを逆噴射して速度を落としたあと機械船を分離して、司令船のみが帰還する。だがこの時は、逆噴射後に機械船が分離しなかったのである。同じような事故はボストークやボスホートでも発生したことはあったが、今回は事態ははるかに深刻だった。なぜならソユーズの機械船は両宇宙船に比べてずっと大きいため、このままではどんな空力負荷が機体に働くか全く予想できないからである。耐熱板が貼られていない機首部分から大気圏に突入すれば、機体が分解してしまう可能性もある。しかしながら逆噴射を終了してしまったこの段階となっては、もはや後戻りすることは不可能だった。 大気圏上層部で空気抵抗が効きはじめると、機体は最も安定した姿勢 – 恐れていた、機首を前方に向ける最悪の姿勢 – をとりはじめた。重い司令船が前方に来て、出入り用のハッチが高温の気流にさらされることになったのである。ハッチの気密用の保護シールが熱で溶けだし、船内には有毒なガスが充満しはじめた。この間ボリノフは、通常の再突入の時とは逆に座席からベルトでつり下げられる形となった。幸いにして結合器が熱で破壊されたために機械船が分離し、司令船は耐熱板を前方に向ける正規の姿勢に落ち着いた。 司令船は無事パラシュートを開いたものの、ひもがからまり減速用の小型ロケットも点火しなかったため、ボリノフは着陸の際の衝撃で歯を折ってしまった。着陸地点は予定していたカザフスタンの基地からはるかに離れた、オレンブルク近郊クスタニ(Kustani)の2km南西の、ウラル山脈山中であった。周囲の気温は−38℃である。救助隊が到着するまでには何時間もかかることが分かっていたので、ボリノフはカプセルから抜け出し、数kmも歩いてようやく見つけた小作農の農家に避難した。ボリノフがソユーズ21号で再飛行するのは、7年後のことであった。 同様の事故は2008年のソユーズTMA-11でも発生したが、着陸の際の衝撃はこの時ほどひどいものではなかった。
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計画の焦点
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1月16日、4号と5号によって史上初めて有人の宇宙船同士がドッキングした(アメリカのアポロ9号が同様のドッキングを果たすのは、この年の3月のことであった)。両船には単純な雄型(4号)と雌型(5号)のドッキング機器しか装備されておらず、船内での移乗を可能にするようなトンネルはこの頃にはまだ開発されていなかったため、飛行士は船外活動(EVA)で相手の宇宙船に乗り移らなければならなかった。5号に搭乗していたエリセーエフとフルノフは直ちにEVAの準備を始め、ボリス・ボリョノフ(Boris Volynov)は船内に残り二人がヤストレブ(Yastreb、ロシア語で『鷹』の意)宇宙服を着る場面を撮影した。 軌道35周目に二人の飛行士は宇宙船を離れ、ソビエト連邦二回目の宇宙遊泳を達成した。この時フルノフの生命維持装置の供給線がからまり、誤って宇宙服の排気弁のレバーを閉じてしまった。これがエリセーエフを混乱させ、宇宙船を離れる前に軌道船にセットされている撮影用カメラを作動させるのを忘れさせてしまった。この結果、歴史的なEVAを記録した映像は画質の悪いビデオ中継のものしか残されないこととなった。 1時間後、二人は4号の気密室に乗り込み、与圧された軌道船の中でシャタロフに迎えられた。両船は4時間35分のドッキングの後に切り離され、4号は1969年1月17日に大気圏に再突入してカラガンダから100km南西の地点に着陸した。 この飛行により、ソ連が計画していた月面着陸に必要ないくつかの作業が実行可能であることが確認された。ソ連の計画では一人の飛行士が月着陸船で月面に降り立ち、着陸船のロケットで月周回軌道に戻って母船とドッキングし、宇宙遊泳で乗り移ることになっていた。このような方式をとるのは、ソユーズにはアメリカのアポロ宇宙船の司令船と月着陸船にあるようなドッキング・トンネルが装備されていないからであった。 飛行士たちはクレムリンで行われる盛大な歓迎式典でブレジネフ書記長と面会する予定になっていたが、書記長暗殺未遂事件が発生したため急遽取りやめとなった。一人の男が自動車の行列に向けて放った8発の弾丸が、ゲオルギ・ベレゴヴォイ(Georgi Beregovoi)、アレクセイ・レオーノフ (Alexei Leonov)、アンドリアン・ニコラエフ(Andrian Nikolayev)、ワレンチナ・テレシコワ(Valentina Tereshkova)らが乗る車に命中したのである。彼らが怪我を負うことはなかったが、ブレジネフを乗せた車はスピードを上げ、4号と5号の搭乗員たちが待つ会場を通り過ぎて走り去って行った。
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