言語と文字とは? わかりやすく解説

言語と文字

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 09:23 UTC 版)

南越国」の記事における「言語と文字」の解説

南越国では中原より移住した数十漢人が古漢語用いた以外、南越、西甌、駱越等の住民大部分古越語話した考えられている。現在中国東部及び東南アジア分布するタイ・カダイ語族古越語後裔考えられており、現在の広東語の祖形を用いていたと推測されている。また文字に関して中原からの移民もたらした漢字使用していた。南越王墓広西羅泊湾1号墓からは隷書刻印し印章銅器銀器陶器などが出土している。

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言語と文字

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 02:15 UTC 版)

ナバテア王国」の記事における「言語と文字」の解説

ナバテア人言語についてであるが、マカバイ記1および2、フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』ではナバテア王国を「アラビアの王」と呼んでおり、発掘されナバテア文字碑文人名研究からアラビア語特徴顕著であるため、アラビア語一派であったろうと考えられている(タバリーなどのアッバース朝時代以降イスラーム圏歴史家たちもナバテア人アラブ人一派であると認識していた)。彼らは帝国アラム文字後身のひとつであるナバテア文字使用していた。紀元前3世紀頃から紀元後5世紀頃まで、シリア北部からアラビア半島南部イエメンまでの広い地域多数ナバテア文字碑文群が確認されているが、これらはナバテア人活動範囲広がり重なるものと考えられ碑文群は殆どの場合アラム語によって書かれている紀元前後からアラビア半島からメソポタミアシリア全域アラブ系諸部族交易定住などで多数進出していたことが知られている。これらのアラブ系諸勢力はもともと完全に独自の文字をもたなかったが、話し言葉当然ながらアラビア語であったものの、多く場合書き言葉としてアラム文字アラム語借用していたようである。ナバテア人もまた同じくアラム文字を独自の書体変化させたナバテア文字用いアラム語碑文などを書いていた。今日アラビア文字の元となったのは、4世紀から5世紀頃にアラビア半島西岸ヒジャーズ地方中心に用いられていたナバテア文字一種から派生した考えられる。特に5世紀以降からナバテア文字最初期アラビア文字によってアラム語ではなくアラビア語書かれ碑文見られるうになる1952年サウジアラビアタブーク州で、イギリスジョン・フィルビーサムード語、ナバテア語の新碑文2500個を集めている。 その他ペトラ周辺では南アラビア文字呼ばれる文字多数発見されているが、どのような経緯ナバテア人伝わったのかははっきりしていない。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/04 06:20 UTC 版)

レヒニッツ写本」の記事における「言語と文字」の解説

写本書かれている言語不明である。候補として挙げられたものとしては、ハンガリー語ダキア語初期ルーマニア語クマン語があり、中にはブラフミー文字書かれヒンディー語であるという説まである。ただし、何の言語であるかといった証拠は全く見つかっていない。 この写本間違いなくハンガリー語書かれている主張する人々は、写本中に書かれ記号古代ハンガリー文字であるとみなし、ハンガリー版のルーン文字であるロヴァーシュ文字との類似性を見つけようとしている。その他の主張によると、ルーマニア・ドブロジャ地方にあるスキタイ修行洞に似たような文字彫られているという。また、ギリシャ語書かれたヴェスプレームヴェルジ女子修道院設立勅許状との類似性見出そうとする人々もいた。さらには上記にもある通りブラフミー文字との関連性主張する声もある。 写本中に書かれ記号の一覧作成する試み1889年、まずネーメティ・カールマーン(Némethi Kálmán)によってなされたまた、1970年にジュルク・オットー(Gyürk Ottó)が記号に関する最初組織的研究行った。ジュルクは記号列の反復研究し文章がどちらの方向から書かれているかを探ろうとした。その結果ジュルクは、記号列が「右から左かつ上から下へ」と書かれており、ページもまた「右から左」に向かって進んでいると主張している。また同時に写本ページ番号識別した。晩年のジュルクによると、膨大な統計情報に基づく未発表推論がまだ数多くあるのだという。 ロチュマーンディ・ミクローシュ(Locsmándi Miklós)は1990年代中盤コンピュータ用いて記号列の解析行った。ロチュマーンディはジュルクによる研究結果確証し、他にも幾つかの発見をした。ロチュマーンディによると、アルファベット「i」のように見え記号右図参照)は、文章同士区切る役割をしているという。また「i」11意味する記号か、あるいは数値区切りにも使われている可能性があるという。ロチュマーンディは記号に付けられた発音区別符号のようなもの(主にドット符号)の研究行ったが、規則性見られなかった。そして写本記号列内にハンガリー語特徴である格語尾形跡が見つけられなかったため、写本中に書かれている言語ハンガリー語である可能性はないだろう結論付けた結果としてロチュマーンディは、2004年から2005年にかけての研究において「写本捏造ではない」との確証を得るには至らなかった。ただし、記号列の規則性鑑みて、「写本は全くデタラメ文章である」という説については否定した

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 14:17 UTC 版)

朝鮮の文化」の記事における「言語と文字」の解説

1446年に「訓民正音」の名でハングル作られるまで、朝鮮語を表すための独自の文字はなかった。その後漢文が正式の文字とされ、ハングル下等なものと見なされていた。日本統治時代になって学校ハングル教えられるようになり、ハングル正書法定められ朝鮮語辞書作られるようになった日本統治時代に、近代的な事物制度概念などを表す漢字語日本語から朝鮮語大量に入ったため、政治経済法律諸学問、科学技術、等の用語の大部分は、発音朝鮮漢字音でされるが、漢字書けば日本語と全く同じである。 民族主義のため、朝鮮民主主義人民共和国では1948年漢字使用全廃され、大韓民国でも1948年ハングル専用法制定したまた、外来語、特に日本語由来単語を、朝鮮固有語置き換えようとする国語醇化運動行われている。 「漢字語 (朝鮮語)」および「ハングル専用文と漢字ハングル混じり文」も参照

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