裴松之の注に引用された主要文献
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「三国志 (歴史書)」の記事における「裴松之の注に引用された主要文献」の解説
以下は、裴松之が注釈で引用している文献である。引用文献の数については、趙翼は「およそ50余種」、銭大昕は「およそ140余種」、趙紹祖は「およそ180余種」、沈家本は「およそ210種」で、張子侠は227種とする。 『異同雑語』 - 孫盛著。異説集らしい。裴松之は「孫盛や習鑿歯は異同を捜し求めて漏洩なし」と評している。孫盛は人物評でもたびたび引用されている。話を盛り上げるために勝手に台詞を創作したと言われている。たとえば、曹操が呂伯奢(中国語版)の子供たちを誤って殺したあと、「寧ろ我れ人に負くも、人をして我れに負くこと毋からしめん(たとえ自分が他人を裏切ろうとも、他人が自分を裏切ることは許さない)」と言ったとあるが、この台詞は同じ事件を記録した先行文献(王沈らの『魏書』、郭頒の『世語』)にはなく、本書で初めて現れている。高島俊男によると、台詞の創作や他の文献からの転用は、陳寿も含め多かれ少なかれ行っているという が、孫盛は他の史家と比べても露骨であり、陳泰の発言について裴松之に指摘されている。 『英雄記』 - 王粲他編『漢末英雄記』のことらしい。後漢末の群雄について書かれている。 『袁子』 - 袁準著。 『益部耆旧伝』 - 陳寿著。益州の人物伝。陳寿によれば、陳術という人物も同名の著書を残しているが、陳術の書が使われているかは不明。『華陽国志』によれば陳寿の書自体が陳術の書に加筆したもの。 『益部耆旧雑記』 - 陳寿著。益州の人物伝。『益部耆旧伝』 の付録らしい。 『華陽国志』 - 常璩著。漢代から晋代までの巴・蜀の歴史書。現存している。 『漢紀』 - 『後漢紀』とも。張璠(中国語版)著。張璠は東晋の人。 『漢書』 - 華嶠(中国語版)著。華嶠は華歆の孫。後漢の歴史。皇后を本紀として扱ったのが特徴。 『漢晋春秋』 - 習鑿歯著。蜀漢正統論を説き、蜀漢から晋へ正統を続けている。後世に大きな影響を与えたが、手放しで蜀漢を絶賛しているわけではない。これは、統一政権を正統の第一条件としたためで、習鑿歯は孝武帝への上表で「蜀は正統だが弱かった」と評している。裴松之は「董允伝」の注で、後述の『襄陽記』と同じ記事でもニ書の内容に違いが有ったり、高官にあった人物をわざと官位を低く書いたりする内容があり、習鑿歯の記事にはいいかげんな部分があると評している。一方、劉知幾は『史通』において「近古の遺直」と高く評価している。 『魏氏春秋』 - 孫盛著。編年体の魏の歴史書。 『魏書』 - 王沈・荀顗・阮籍編。魏の末期に成立したが、司馬氏におもねっているため陳寿に劣ると言われている。甄皇后の項目では、甄皇后は自殺を命じられたのではなく、曹丕は甄皇后を皇后にしようとしたが、病気を理由に辞退するうちに病死したので皇后を追贈したと、明らかに事実と異なった記述をしており、裴松之から批判されている。 『記諸葛五事』 - 郭沖著。司馬駿の配下たちが諸葛亮について討論した際、郭沖は五つの逸話を紹介して諸葛亮の美点を評価した。しかし、裴松之は郭沖の挙げた逸話について、全て作り話としている。 『魏都賦』 - 左思著。『三都賦』の一部。 『魏武故事』 - 作者不明。曹操時代の政府の慣例・布告などを集めたものといわれている。 『魏末伝』 - 作者不明。魏末期の事件を記している。曹氏に同情的。裴松之は「諸葛誕伝」の注で、同書の記述は「鄙陋(下品)」であり、歪曲があると批判している。 『魏略』 - 魚豢著。『典略』の一部で、『魏略』は魏と周囲の異民族を書き、『典略』は通史となっていて、魏以外の中国の出来事も扱っているらしい。中国の文献のうち大秦国(ローマ帝国)に言及した現存最古のものでもある。劉知幾は信憑性をあまり考慮せず何もかも記載しようとしていると批判しているが、高似孫は筆力があると評価している。 『虞翻別伝』 - 作者不明。虞翻の伝記。引用の文に孫策・孫権と実名で記されているため、呉で著されたものではないとされるが、三国時代に作られたものらしい。 『献帝紀』 - 『隋書』に劉芳著とあるが、おそらく劉艾(中国語版)著。劉艾は後漢の人。ただし、献帝については途中までしか書かれていないらしい。 『献帝伝』 - 作者不明。『献帝紀』を増補したものらしい。曹丕が献帝から禅譲された際の家臣の上奏文と曹丕の返答が収録されている。禅譲の受諾を勧める上奏を何度も固辞し、謙譲の徳を強調した上で初めて禅譲を受けた様子がわかる。 『献帝春秋』 - 袁暐著。袁暐は張紘とともに呉に逃れた袁迪の孫。裴松之は厳しく批判している。 『高貴郷公集』 - 曹髦著。詔勅・詩賦・自伝などの著作・発給文書集。 『江表伝』 - 虞溥著。江南の士人の伝記集。裴松之は「粗いが筋道は通っている」と評する。孫盛は赤壁の戦いでの劉備軍が(孫権軍を賛美するために)過小評価されていると批判している。 『呉書』 - 韋昭著。呉の国史。完成しなかったようで、本書に依拠して書かれた陳寿の「呉書」にまでその影響が及んでいる。 『呉歴』 - 胡沖著。呉の歴史書であり、全6巻で構成。裴松之は劉備が曹操から離れる際に種菜を植えて遁走したという記述は、事実とかけ離れていると強く批判している。 『呉録』 - 張勃(中国語版)著。張勃は呉の張儼の子で晋の人。紀伝体で書かれた呉の歴史書であり、全30巻で構成。 『後漢紀』 - 『漢紀』とも。袁宏著。後漢から魏への禅譲を批判し、間接的に蜀漢正統論を採る。現存している。 『後漢書』 - 謝承著。後漢を扱った紀伝体の歴史書では、最も早く作られたという。 『山陽公載記』 - 楽資著。楽資は西晋の著作郎。裴松之は厳しく批判する一方で、蜀書と魏書の正誤を判断するのに用いている。 『荀氏家伝』 - 荀伯子著。潁川荀氏の家伝。 『襄陽記』 - 習鑿歯著。襄陽郡の人物伝。 『諸葛亮集』 - 陳寿編。『諸葛氏集』とも。諸葛亮の書簡・発給文書集。 『蜀記』 - 王隠著。蜀漢の歴史書。裴松之は『蜀記』の引く話は作り話が多いと厳しく非難している。 『続漢書』 - 司馬彪著。後漢の歴史書。志のみ、正史『後漢書』に付されて現存。 『志林』 - 虞喜著。虞喜は東晋の人。呉の歴史や民話が記されている。 『晋紀』 - 『晋記』とも。干宝著。紀伝体で書かれた西晋の歴史書。 『晋書』 - 王隠著。父の王銓から親子2代にわたる著作。王隠は東晋の著作郎。西晋の歴史書。正史『晋書』とは別。同じく西晋の歴史を書こうとした虞預(中国語版)は、王隠の原稿を借り受け、勝手に写し取った上、王隠を陥れ免職にさせた。王隠は庾亮から紙筆の提供を受け、やっと完成させたという。正史『晋書』では「見るべき内容は全て父の編纂したところで、文体が乱雑で意味不明なところは隠の作である」と評されている。 『晋書』 - 虞預著。虞預は東晋の人。前出の通り、王隠の著書の盗作疑惑がある。 『捜神記』 - 干宝著。志怪小説集。現在の小説とは違い、本当にあった話という姿勢で書かれている。現存のものは後世の話が混じっている。 『世語』 - 郭頒撰の『魏晋世語』のこと。裴松之によれば、内容に多少問題はあるが、たまに変わった記事があるので、よく世間で読まれており、孫盛・干宝らもこの書から多く採録している。 『曹瞞伝』 - 作者は不明だが、呉の人という。曹操の悪行集といえる内容だが、後世の人にはむしろ痛快といえる逸話もある。信憑性はともかく、『三国志演義』にも大いに取り入れられている。 『趙雲別伝』 - 作者不明。趙雲の伝記。陳寿の本文と区別するため「別」伝と表記している。『三国志演義』で描かれる趙雲の活躍は、多くを本書に拠っている。 『典論』 - 曹丕著。文学論・自伝・人物評など。中国における文芸評論のさきがけで、文学の地位を高めた「文章は経国の大業にして、不朽の盛事なり」の一文で知られる。 『傅子』 - 傅玄著。思想・歴史評論。魏の記事が多く、親司馬氏の立場から、司馬氏と対立した人士を批判している。 『弁亡論』 - 陸機著。父祖と故国である呉の功績を顕彰しつつ、呉が滅んだ理由を論じている。 『黙記』 - 張儼著。諸葛亮を高く評価した評論など。諸葛亮が2度目に上表した「後出師表」(後人の偽作説が有力)の出典とされる[要出典]。 『零陵先賢伝』 - 作者不明。零陵郡の人物伝。漢室復興の立場から、劉備の皇帝即位を批判している。
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