称号の由来とは? わかりやすく解説

称号の由来

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 05:28 UTC 版)

「天皇」記事における「称号の由来」の解説

「天皇」は、字音仮名遣では「てんわう」と表記する。「てんわう」が中世までに連声により「てんのう」に変化したとされる中国では秦の始皇帝が、秦の統一後に、皇帝名乗る以前大王時代支配者新しい名称を求めて例示された「天皇地皇泰皇中に「天皇」号があるが泰皇改定して「皇帝」号を創始した(『史記始皇帝本紀)。この記事参照して第2回遣隋使国書天子使用煬帝から無礼とされことから、天を含み王がない号として天皇号選んだとの吉田孝の説がある。後に、中国の唐の高宗道教から「天皇」称した。(上元元年674年8月)、『旧唐書』には、「皇帝天皇為し皇后天后為す」(巻8)とある。死後皇后則天武后によって 「天皇大帝」 の諡(おくりな)が付けられた。(681年)。中国ではこの時の天皇号使われ以後使われていない。 古い訓読みでは、すべらぎ(須米良伎)、すめらぎ(須賣良伎)、すめろぎ(須賣漏岐)、すめらみこと(須明樂御德)、すめみまのみこと(皇御孫命)などと称した。 「スメル」については、『岩波 古語辞典』では、「すめら」(皇)の項で、サンスクリット「sume:ru」(須弥山)と音韻・意味が一致しモンゴル語「sümer」(須弥山)と同源であろうとしている[要文特定詳細情報]。また、統べる」の転訛と見る説があったが、上代特殊仮名遣からこれ否定されている。他には、清浄さから神聖さ想起させる澄める」の転訛見て光り輝いて煌めくさまを表す「皇」の訓としたとする説があり注目されているが、現在も判然とていない万葉集には「天皇」表記12知られこのうち7例が「オオキミ」、5例が「スメロキ」と訓ませている。それぞれの文意比較から、「オオキミ」は今上天皇、「スメロキ」は「天皇」の他に「皇祖神」、「皇神祖」、「皇祖に対しても「スメロキ」と訓ませているため、過去歴代天皇皇祖神に対して用いられていることがわかっている。 日本では「天皇」という文字は、奈良法隆寺金堂薬師仏光背銘に「池辺大宮天下天皇」及び「小治田大宮治天下大王天皇」とある。池辺大宮用明天皇在位585~587)で、小治田大宮推古天皇在位592~628)の代であり製造推古15年とされた。このことから、戦前津田左右吉推古天皇期という説が、過去には有力だった。しかし、戦後に、美術的な様式からも同じ金堂内の623年製造銘の釈迦三尊像より新しいと推定され製造後世であり、666年野中寺弥勒像銘が金石文では天皇号確実な初見だとしている。推古8年600年第1次遣隋使では「オホキミ」号を使用し推古天皇16年607年第2次遣隋使国書で「日出處天子致書」と日中とも「天子」として煬帝怒らせ、それへの隋からの国書皇帝蕃夷首長下す形式である。それへの日本からの返書国書に「東天敬白西皇帝云々日本書紀にあり、日本の天皇と隋の皇帝との使い分け見られるが、前回国書対等書式とは違う身分上の貴人差し出へりくだった形式となっていて外交姿勢改めたことになる。ただし、「東天皇」は後の編纂時に改定されたもので「大王」か「天王」だったという説と、そのまま天皇号始まりとする両説がある。考古学的には、 明日香村飛鳥遺跡出土天皇木簡が最も古く一緒に出土した木簡から天武朝( - 686年10月1日朱鳥元年9月9日〉)の時期のものと判定されている。 「天皇」の語と関連した語がある古い記録文書・銘年代抜粋出典現存遣隋使国書 607年 日出處天子致書日沒天子無恙 隋書636年成立法隆寺金堂薬師如来像光背銘 607年 池辺大宮天下天皇 法隆寺金堂薬師如来像 実物存在。 隋への国書 608年 東天敬白西皇帝 日本書紀720年成立日本書紀以外に記録がない。 法興寺丈六釈迦光背609年 多知波奈土與天皇 元興寺伽藍縁起流記資財帳746年成立実物失われている。 天皇記 620年書物題名自体「天皇」を含む) 日本書紀 実物がない。日本書紀以外に記録がない。 天寿国繡帳 7世紀 斯帰斯麻宮天下天皇悲哀嘆息白畏天皇前日啓 上聖徳法王帝説成立年不明かろうじて現存野中寺弥勒菩薩銘文 666年 栢寺智識之等詣中宮天皇大御身労坐之時 野中寺弥勒菩薩実物存在木簡 677年 天皇聚露忽謹 飛鳥池工房遺跡出土 天皇称号諡号として各国最初に付せられた人物は、以下の通り。 唐の第3皇帝高宗は、在位途中の上元元年(674年8月皇帝称号「天皇」に、皇后称号を「天后」に、同時にセット変更した崩御後も、天后である則天武后によって天皇称号贈られ諡号を「天皇大聖大弘孝皇帝」と記録された。 日本の第40代天武天皇は、日本初め天皇称され人物。ただし在位中のいつから天皇称したのかは明らかでなく諸説がある(遅くとも天武6年677年12月には天皇号使用されていた)。その孫の文武天皇の時、大宝律令天皇の号が法制化され、天武天皇以降、およびその系譜遡って天皇諡号贈られた。 南漢初代皇帝劉龑は、崩御後諡号を「天皇大帝」と記録された。 天皇称号存命中に自ら付した、ないし付され人物は、以下の通り太平天国洪秀全は、在位中に太平天皇」を自称した日本明治天皇大正天皇昭和天皇明仁徳仁は、大日本帝国憲法及び日本国憲法にしたがって自らに天皇称号付した

※この「称号の由来」の解説は、「天皇」の解説の一部です。
「称号の由来」を含む「天皇」の記事については、「天皇」の概要を参照ください。

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