称号の歴史とは? わかりやすく解説

称号の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 03:29 UTC 版)

総主教」の記事における「称号の歴史」の解説

ギリシア語: "Πατριάρχης"は、アブラハムイサクヤコブといった旧約時代族長指していた。後のユダヤ人の間では、サンヘドリントップにこの称号があった。 キリスト教においては、初期には全ての主教対す敬称一つであったが、次第に他の主教より重要な教区主教大主教同様により大きい敬意を表する敬称となっていき、さらには府主教中でも重要な者への敬称になっていった。 しかしギリシア語: "Πατριάρχης"(パトリアルヒス、総主教)が正式の称号となったのは7世紀になってからのことである。 たとえば451年開催され第四全地公会議カルケドン公会議)の条文上で後代総主教座となる主教座に対して使われ称号エクザルフであり、"Πατριάρχης"(パトリアルヒス、総主教)は使われていない。 …若シ主敎或ハ敎衆其州ノ府主敎ニ對シテ不満ノ事アレバ大州ノ「エクザルフ」若クハ… — 第四全地公会規則第9条、『聖規則書』五五頁(正教会編集局明治31年) Εἰ δὲ πρὸς τὸν τῆς αὐτῆς ἐπαρχίας μητροπολίτην, ἐπίσκοπος ἤ κληρικὸς ἀμφισβητοίη, καταλαμβανέτω τὸν ἔξαρχον τῆς διοικήσεως, ... — Κανόνες της Δ΄ Οικουμενικής Συνόδου - Περίληψη (Κανὼν θ’)、Δ΄ Οικουμενική Σύνοδος (κανόνες) - OrthodoxWiki 総主教ギリシア語: "Πατριάρχης" パトリアルヒス)の称号正式に認められたのは、692年トゥルーリ公会議においてである。この時、ローマコンスタンディヌーポリアレクサンドリアアンティオキア、イェルサリムの主教座五大総主教としての格付け与えられた。ただし語彙総主教」(ギリシア語: "Πατριάρχης" パトリアルヒス)は、五大総主教座定められ条文には含まれておらず、別の条文含まれている。 此の神に守護せらるる王城集會せし一百五十八人(第二全地公會規則三條)及びハルキドンに集會せし六百三十人第四全地公會規則二十八條)の諸聖父の定規再興し議定すること左の如しコンスタンティノポリ寶座は舊ロマ寶座同等特典有し敎會の事に就ては其次に位して尊崇せらる可し其次は大都アレキサンドリヤ寶座其次はアンティオヒヤの寶座其次はイエルサリム城の寶座たる可し。 — 第六全地公会トゥルーリ公会規則第36条、『聖規則書九十頁(正教会編集局明治31年) Ἀνανεούμενοι τὰ παρὰ τῶν ἑκατὸν πεντήκοντα ἁγίων Πατέρων, τῶν ἐν τῇ θεοφυλάκτῳ ταύτῃ καὶ βασιλίδι πόλει συνελθόντων, καὶ τῶν ἑξακοσίων τριάκοντα, τῶν ἐν Χαλκηδόνι συναθροισθέντων νομοθετηθέντα, ὁρίζομεν, ὥστε τὸν Κωνοταντινουπόλεως θρόνον τῶν ἴσων ἀπολαύειν πρεσβείων τοῦ τῆς πρεσβυτέρας Ῥώμης θρόνου, καὶ ἐν τοῖς ἐκκλησιαστικοῖς, ὡς ἐκεῖνον, μεγαλύνεσθαι πράγμασι, δεύτερον μετ' ἐκεῖνον ὑπάρχοντα, μεθ' ὃν ὁ τῆς Ἀλεξανδρέων μεγαλοπόλεως ἀριθμείσθω θρόνος, εἴτα ὁ Ἀντιοχείας, καὶ μετὰ τοῦτον, ὁ τῆς Ἱεροσολυμιτῶν πόλεως. — Κανὼν λς’: Περὶ προνομίων τοῦ τῆς Κωνσταντινουπόλεως.、Πενθέκτη Οικουμενική Σύνοδος (κανόνες) - OrthodoxWiki …及び此の神に救護せらるる王城總主敎ゲンナディイ… — 第六全地公会トゥルーリ公会規則第2条、『聖規則書七十頁(正教会編集局明治31年) ...καὶ Γενναδίου Πατριάρχου γενομένου τῆς θεοφυλάκτου ταύτης καὶ βασιλίδος πόλεως... — Κανὼν β’:Τίνες οἱ δεκτοὶ κανόνες, καὶ περὶ τῶν διὰ Κλημέντος διαταγῶν.、Πενθέκτη Οικουμενική Σύνοδος (κανόνες) - OrthodoxWiki ほか、トゥルーリ公会規則においては第7条にも「総主教」(ギリシア語: "Πατριάρχης" パトリアルヒス)という語彙使われている。 五大総主教区のうち、西方教会唯一存在したのは、後にローマ教皇となっていくローマ総主教座のみである。 東西教会の分裂以降ローマ教皇正教会の総主教には数えられない

※この「称号の歴史」の解説は、「総主教」の解説の一部です。
「称号の歴史」を含む「総主教」の記事については、「総主教」の概要を参照ください。

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