祭礼次第とは? わかりやすく解説

祭礼次第

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 09:54 UTC 版)

御燈祭」の記事における「祭礼次第」の解説

御燈祭祭礼参加できるのは男子限られ参加者一週間前から精進潔斎続けなければならない精進潔斎の期間中は口にするものも、白飯かまぼこ豆腐など白い物限られ斎戒沐浴につとめなければならない同じく祭り一週間前には、ゴトビキ岩の注連縄張り替えられる。 祭り当日、「上り子(あがりこ)」と呼ばれる参加者たちは、白づくめの装束街頭に姿を表す。上り子は、白襦袢に白の鉢巻頭巾手甲脚絆着け、腰から腹にかけて荒縄巻き五角形檜板ケズリカケ詰めた松明を手にし、松明には祈願言葉したため上り同士行き会うと挨拶として松明をぶつけ合いながら、熊野速玉大社阿須賀神社妙心寺巡拝し神倉神社に向かう。 御燈祭には、その祭典執行警護にあたる介錯かいしゃく、介釈とも)と呼ばれる役目人々がいる。介錯たちは、当日午前中に神倉神社社務所集合し介錯の持つ介錯棒で餅をつき、それを小分けし、または縄で縛ったカガリ御供」と呼ばれる供物調製する。介錯は、介錯棒を手にし、背に「神」一文字記され白法被に、手甲脚絆草鞋履きの姿で集合し、2メートル近い大きさのある迎火大松明奉じて神倉山のふもとで祓い受けてから速玉大社に向かう。速玉大社での参拝が済むと、神職とともに行列を組む。行列先頭から、錫丈を手にした警固三本御幣カガリ御供などが収められ神饌唐櫃迎火大松明、かつて修験者入峯の際に用いたという鉞を手にした大社神職介錯順序である。 行列一行は、参集した上り子をかき分けつつ、山上社殿着き、火を熾して小松明に点火する小松明が社殿迎えられると、社殿の扉を開いて神饌供え祝詞奏上し御幣一本社殿収めて閉扉する。次いで迎火大松明先端が鉞で割られ点火され石段途中の中ノ地蔵まで下る。上り子たち大松明の火を自分松明争って移し山上へと向かう。全員境内に入るのを待って介錯入り口木柵閉じると、山上立ち込める火と煙で目を開けていることも出来ない状態になる。午後8時ごろ、介錯木柵を開くと、上り子たち一斉に神倉神社石段駆け下り各自の家まで走り続ける闇の中上り子たち手にする松明の火が滝のよう勢いで下ってゆくあり様は「下り竜」と称されている。 上り子たちが山を駆け下った後も、祭り儀式続いている。神職介錯らも山を下って整列し阿須賀神社に向かう。阿須賀神社では、神職一本御幣捧持し、左右左幣を動かしながら後じさりしつつ拝礼するという、独特な所作をする奉幣神事執り行う介錯はここで解散するが、神職らは再び速玉大社戻り、第1殿前で同じ神事行って祭り幕を閉じる。

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祭礼次第

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/02/15 13:48 UTC 版)

扇祭」の記事における「祭礼次第」の解説

例大祭準備は、6月30日関係者参集し例大祭運営について協議する神役定か始まり、翌7月1日より大和舞田楽舞練習が始まる。7月9日には社殿清め那智大滝注連縄張替え11日には那智山住人早朝から潔斎して白衣着替え神輿(おうぎみこし)を組み立てる。

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祭礼次第

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/27 03:17 UTC 版)

丹波の芝むくり」の記事における「祭礼次第」の解説

シュロでできた鬘を被り茶色法被、袴姿で猩々)に扮した子ども2人が約1メートル(3尺)の小竹紅白の紙を巻いた棒を持ち組み合って反転する連続技など軽業披露する。芸は21世紀初頭時点19種類伝承されているが、いずれにも名前は無い。 竹は「わさご竹」と呼ばれる大振りの笹のような、その年の若竹であり、「神歩」と書いた飾り団扇付けられている。この装飾は、この役が本来は「笹ばやし」における先導役シンポチであることの名残りである。 ほかに4人から6人の、紺絣着物姿の子どもが「テンテコ、テンテコ、ちゃー」と、白布で腹の前に吊った小太鼓打ちながら囃すの子どもは、この囃子方の「ちゃー」に合わせて、芸を奉じる伝承曲は、「宮入り」に相当する次の1曲のみが継承されている。この1曲で「ねりこみ(太鼓拍子のみ)」から「囃子宮入の歌)」、続いて演技太鼓拍子)」、ふたたび「囃子宮入の歌)」の形に構成したのが丹波の芝むくりである。 ひだから舟が三隻のぼる 先なる舟には何つみこめた ひだのわさごをつみこめた 中なる舟には何つみこめた 糸綿錦をつみこめた 後なる舟には何つみこめた こがねのわさごをつみこめた 風吹き来たよ 風吹き来たよ わかさえ走る 風来たよ わかさえ走る 風来たよ (ここに太鼓囃子演技が入る。) 去のう去のいや若衆 去のう去のいや若衆 長居をすれば 名も立つし。 — 『峰山郷土史 上』 この神事歌の意味するところは、次の通りであるが、神事際し役を担う子ども達には、どういう意味の唄であるかは伝えられない飛騨の国から神に供える貢物積んだ船が三艘のぼってきた。 先頭の船は飛騨のわさご(早稲米)を積み、 中の船は糸や綿や錦などの織物積み、 後の船は黄金のわさご(早稲米)を積み込んでいた。 風が吹いてきたよ。風が吹いてきたよ。 若狭帰る風が来たから、 さあ、帰ろう若者たちよ。 長居すれば、いろいろと浮名醜聞)も立ってしまうから。 — 『峰山郷土史 上』 祭礼では、神社での奉納先立ち地区内を巡行する。鉢巻、袴、白足袋雪駄履きの若者1人威風堂々先導務め太鼓打数名2人が続く。一行は、御旅所四辻、寺の各所むくりを奉納した後、多久神社還幸し、最後に神前むくりを奉納する

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祭礼次第

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/16 01:11 UTC 版)

熊野速玉祭」の記事における「祭礼次第」の解説

祭礼前日10月14日から始まる。この日には、神馬大浜海岸に連れて行き潮浴びで体を清めた後、旧摂社阿須賀神社にて豆を食う「豆献ジノ儀(まめけんじのぎ)」と、串本町大島地区からの供物奉献を受ける「掛奉献ノ儀(かけうおかやほほうけんのぎ)」の2つ儀式が行われる。大島地区から奉献され供物のうち、掛15日神馬渡御式で、穂は16日御船祭使われるのである

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祭礼次第

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 22:34 UTC 版)

おべっさん」の記事における「祭礼次第」の解説

8月19日宵宮では、亀島4区亀山耳鼻立石高梨)から伊根湾向かって祭礼船を出し笛・太鼓祇園囃子青島蛭子神社参拝する8月20日本祭では、亀島4区より予め定められたくじ順によって祭礼船に乗り込み、幟を押し立て青島に向かう。青島上陸する神社参拝し奉納相撲を行う。奉納相撲では、小・中学生の子相撲続き青年花相撲が行われる。現在は人員不足衰退傾向にあるが、戦前は特に盛んであった帰路には「こばりあい」と呼ばれる祭礼競争を行う。伊根湾内を青島から大浦向けて海上1km漕いで進む。

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祭礼次第

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 00:47 UTC 版)

加悦谷祭」の記事における「祭礼次第」の解説

宵宮または本宮、あるいは両日に、すべての氏神神社で、それぞれ神職により祝詞あげられ神事執り行われるあわせて神楽有する地区では各地区内でカマドキヨメが行われる。地区により内容異なるが、一般にカマドキヨメの舞は、五合舞呼ばれる簡略化された神事で、宵宮の朝に氏神奉納舞を納めた後、各戸をまわる。舞の種類は、花代の額や接待有無などによって異なり、「五合舞」のほかに「一升舞」「二方舞」「四方舞」がある。カマドキヨメは忌中の家を除く全戸対象とし、その年の祭の役員地区総代などの特別な役割をもつ者の家で舞われる奉納舞は「役舞」、婚礼など祝い事のあった家や依頼された家で舞われる奉納舞は「所望舞」と呼ばれる神楽のほかに、地区により太刀振り太鼓屋台も各々区内巡行し、氏神神社などでは奉納演舞を行う。巡行では、戸数少な小規模な地区では、太鼓屋台も全戸囃子納めて花代集め接待を受けるが、比較大きな地区では道行きながら囃子続け公民館など限られた場所でのみ奉納接待を行う。花代祝儀袋入れた現金だが、児童のためのお菓子囃子方への酒なども加わり、これらは祭り最後にすべてまとめ、均等に配分される神楽太鼓屋台などの芸の披露を受けるにあたり各戸供える花代の額は各地区で慣例的な相場があり、公に記録されていないことが多いが、金屋区では、神楽の「一升舞」は21世紀初頭においては現金3,500円以上、「二方舞」は振舞いを行うかお供え上乗せする記録されている。 これら神楽屋台巡行は、多く各区内の隣組中心に組織されており、およそすべての地区で、小学生以上大人までのすべての町民なんらかの役を担う。(詳細は#(旧)加悦町地域祭礼行事、#(旧)野田川町地域祭礼行事参照。)

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