祭礼次第
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御燈祭の祭礼に参加できるのは男子に限られ、参加者は一週間前から精進潔斎を続けなければならない。精進潔斎の期間中は口にするものも、白飯、かまぼこ、豆腐など白い物に限られ、斎戒沐浴につとめなければならない。同じく祭りの一週間前には、ゴトビキ岩の注連縄が張り替えられる。 祭りの当日、「上り子(あがりこ)」と呼ばれる参加者たちは、白づくめの装束で街頭に姿を表す。上り子は、白襦袢に白の鉢巻や頭巾、手甲脚絆を着け、腰から腹にかけて荒縄を巻き、五角形の檜板にケズリカケを詰めた松明を手にし、松明には祈願の言葉をしたため、上り子同士で行き会うと挨拶として松明をぶつけ合いながら、熊野速玉大社、阿須賀神社、妙心寺を巡拝し、神倉神社に向かう。 御燈祭には、その祭典の執行と警護にあたる介錯(かいしゃく、介釈とも)と呼ばれる役目の人々がいる。介錯たちは、当日の午前中に神倉神社社務所に集合し、介錯の持つ介錯棒で餅をつき、それを小分けし、藁または縄で縛った「カガリ御供」と呼ばれる供物を調製する。介錯は、介錯棒を手にし、背に「神」の一文字が記された白法被に、手甲脚絆、草鞋履きの姿で集合し、2メートル近い大きさのある迎火大松明を奉じて、神倉山のふもとで祓いを受けてから速玉大社に向かう。速玉大社での参拝が済むと、神職らとともに行列を組む。行列は先頭から、錫丈を手にした警固、三本の御幣、カガリ御供などが収められた神饌唐櫃、迎火大松明、かつて修験者が入峯の際に用いたという鉞を手にした大社神職、介錯の順序である。 行列の一行は、参集した上り子をかき分けつつ、山上社殿に着き、火を熾して小松明に点火する。小松明が社殿に迎えられると、社殿の扉を開いて神饌を供え、祝詞を奏上し、御幣の一本を社殿に収めて閉扉する。次いで、迎火大松明の先端が鉞で割られて点火され、石段途中の中ノ地蔵まで下る。上り子たちは大松明の火を自分の松明に争って移し、山上へと向かう。全員が境内に入るのを待って介錯が入り口の木柵を閉じると、山上は立ち込める火と煙で目を開けていることも出来ない状態になる。午後8時ごろ、介錯が木柵を開くと、上り子たちは一斉に神倉神社の石段を駆け下り、各自の家まで走り続ける。闇の中を上り子たちが手にする松明の火が滝のような勢いで下ってゆくあり様は「下り竜」と称されている。 上り子たちが山を駆け下った後も、祭りの儀式は続いている。神職や介錯らも山を下って整列し、阿須賀神社に向かう。阿須賀神社では、神職が一本の御幣を捧持し、左右左と幣を動かしながら後じさりしつつ拝礼するという、独特な所作をする奉幣神事を執り行う。介錯はここで解散するが、神職らは再び速玉大社に戻り、第1殿前で同じ神事を行って祭りの幕を閉じる。
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祭礼次第
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例大祭の準備は、6月30日に関係者が参集して例大祭の運営について協議する神役定から始まり、翌7月1日より大和舞・田楽舞の練習が始まる。7月9日には社殿を清め、那智大滝の注連縄を張替え、11日には那智山住人が早朝から潔斎して白衣に着替え扇神輿(おうぎみこし)を組み立てる。
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祭礼次第
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/27 03:17 UTC 版)
シュロでできた鬘を被り、茶色の法被、袴姿で猩々(猿)に扮した子ども2人が約1メートル(3尺)の小竹に紅白の紙を巻いた棒を持ち、組み合って反転する連続技など軽業を披露する。芸は21世紀初頭の時点で19種類が伝承されているが、いずれにも名前は無い。 竹は「わさご竹」と呼ばれる大振りの笹のような、その年の若竹であり、「神歩」と書いた飾り団扇が付けられている。この装飾は、この役が本来は「笹ばやし」における先導役シンポチであることの名残りである。 ほかに4人から6人の、紺絣の着物姿の子どもが「テンテコ、テンテコ、ちゃー」と、白布で腹の前に吊った小太鼓を打ちながら囃す。猿役の子どもは、この囃子方の「ちゃー」に合わせて、芸を奉じる。 伝承曲は、「宮入り」に相当する次の1曲のみが継承されている。この1曲で「ねりこみ(太鼓拍子のみ)」から「囃子(宮入の歌)」、続いて「猿の演技(太鼓拍子)」、ふたたび「囃子(宮入の歌)」の形に構成したのが丹波の芝むくりである。 ひだから舟が三隻のぼる 先なる舟には何つみこめた ひだのわさごをつみこめた 中なる舟には何つみこめた 糸綿錦をつみこめた 後なる舟には何つみこめた こがねのわさごをつみこめた 風吹き来たよ 風吹き来たよ わかさえ走る 風来たよ わかさえ走る 風来たよ (ここに太鼓の囃子と猿の演技が入る。) 去のう去のいや若衆 去のう去のいや若衆 長居をすれば 名も立つし。 — 『峰山郷土史 上』 この神事歌の意味するところは、次の通りであるが、神事に際し役を担う子ども達には、どういう意味の唄であるかは伝えられない。 飛騨の国から神に供える貢物を積んだ船が三艘のぼってきた。 先頭の船は飛騨のわさご(早稲米)を積み、 中の船は糸や綿や錦などの織物を積み、 後の船は黄金のわさご(早稲米)を積み込んでいた。 風が吹いてきたよ。風が吹いてきたよ。 若狭へ帰る風が来たから、 さあ、帰ろう。若者たちよ。 長居すれば、いろいろと浮名(醜聞)も立ってしまうから。 — 『峰山郷土史 上』 祭礼では、神社での奉納に先立ち、地区内を巡行する。鉢巻、袴、白足袋に雪駄履きの若者1人が威風堂々と先導を務め、太鼓打数名と猿役2人が続く。一行は、御旅所、四辻、寺の各所で芝むくりを奉納した後、多久神社に還幸し、最後に神前で芝むくりを奉納する。
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祭礼次第
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祭礼は前日の10月14日から始まる。この日には、神馬を大浜海岸に連れて行き、潮浴びで体を清めた後、旧摂社阿須賀神社にて豆を食う「豆献ジノ儀(まめけんじのぎ)」と、串本町大島地区からの供物の奉献を受ける「掛魚萱穂奉献ノ儀(かけうおかやほほうけんのぎ)」の2つの儀式が行われる。大島地区から奉献された供物のうち、掛魚は15日の神馬渡御式で、萱穂は16日の御船祭で使われるものである。
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祭礼次第
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8月19日の宵宮では、亀島4区(亀山、耳鼻、立石、高梨)から伊根湾に向かって祭礼船を出し、笛・太鼓の祇園囃子で青島の蛭子神社に参拝する。 8月20日の本祭では、亀島4区より予め定められたくじ順によって祭礼船に乗り込み、幟を押し立て青島に向かう。青島に上陸すると神社に参拝し、奉納相撲を行う。奉納相撲では、小・中学生の子供相撲に続き、青年の花相撲が行われる。現在は人員不足で衰退の傾向にあるが、戦前は特に盛んであった。帰路には「こばりあい」と呼ばれる祭礼船競争を行う。伊根湾内を青島から大浦へ向けて海上約1kmを櫓を漕いで進む。
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祭礼次第
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 00:47 UTC 版)
宵宮または本宮、あるいは両日に、すべての氏神の神社で、それぞれ神職により祝詞があげられ、神事が執り行われる。 あわせて、神楽を有する地区では各地区内でカマドキヨメが行われる。地区により内容は異なるが、一般にカマドキヨメの舞は、五合舞と呼ばれる簡略化された神事で、宵宮の朝に氏神で奉納舞を納めた後、各戸をまわる。舞の種類は、花代の額や接待の有無などによって異なり、「五合舞」のほかに「一升舞」「二方舞」「四方舞」がある。カマドキヨメは忌中の家を除く全戸を対象とし、その年の祭の役員や地区総代などの特別な役割をもつ者の家で舞われる奉納舞は「役舞」、婚礼など祝い事のあった家や依頼された家で舞われる奉納舞は「所望舞」と呼ばれる。 神楽のほかに、地区により太刀振りや太鼓屋台も各々の区内を巡行し、氏神の神社などでは奉納の演舞を行う。巡行では、戸数の少ない小規模な地区では、太鼓屋台も全戸で囃子を納めて花代を集め、接待を受けるが、比較的大きな地区では道行きながら囃子を続け、公民館など限られた場所でのみ奉納と接待を行う。花代は祝儀袋に入れた現金だが、児童のためのお菓子や囃子方への酒なども加わり、これらは祭りの最後にすべてまとめ、均等に配分される。 神楽や太鼓屋台などの芸の披露を受けるにあたり、各戸が供える花代の額は各地区で慣例的な相場があり、公には記録されていないことが多いが、金屋区では、神楽の「一升舞」は21世紀初頭においては現金3,500円以上、「二方舞」は振舞いを行うかお供えを上乗せすると記録されている。 これら神楽や屋台の巡行は、多くは各区内の隣組を中心に組織されており、およそすべての地区で、小学生以上大人までのすべての町民がなんらかの役を担う。(詳細は#(旧)加悦町地域の祭礼行事、#(旧)野田川町地域の祭礼行事を参照。)
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