登場の経緯とその後の増備とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 登場の経緯とその後の増備の意味・解説 

登場の経緯とその後の増備

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 06:24 UTC 版)

近鉄16000系電車」の記事における「登場の経緯とその後の増備」の解説

1947年昭和22年)の有料特急運行開始以来名阪特急基軸整備されてきた近鉄特急運行戦略1964年昭和39年)の日本国有鉄道国鉄東海道新幹線開業に伴い大きな方向転換強いられることになった所要時間輸送力などの点で圧倒的優位に立つ新幹線の前で近鉄名阪特急乗客数激減見込まれたためである。 この問題に対して近鉄は、国鉄競合する名阪特急重視から大きな政策転換決断した自社線を独立した名阪連絡路線として機能させる形から、東海道新幹線培養線として機能させる形へと特急ネットワーク再構築するという着想である。つまり、遠隔地から新幹線大阪京都名古屋到達した人々自社線に点在する伊勢志摩奈良吉野などの観光地誘致し、強力極まるライバルである新幹線自社線の輸送需要喚起役立てようというものであった。 もっとも、この方転換については近鉄自身十分な成算持って行ったとは言い難い面があった。東海道新幹線開業同日近鉄実施した1964年昭和39年10月1日ダイヤ改正では、上本町駅(現・大阪上本町駅)・近畿日本名古屋駅(現・近鉄名古屋駅)の両ターミナル伊勢神宮最寄り駅である宇治山田それぞれ結ぶ阪伊・名伊の両特急増発と、旧奈良電気鉄道承継車からの改造による間に合わせ特急車680系)を起用し京都 - 橿原神宮駅(現・橿原神宮前)間を結ぶ京橿特急半ば試行的な新設実施して新幹線対す近鉄特急によるフィーダーネットワークの構築開始した。だが、その一方で従来方針踏襲して名阪甲特急ノンストップ特急)の増発実施し、その利便性強化するなど、この時点での近鉄特急ネットワークについての近鉄本社運営方針はやや統一性欠いていた。 この、特急ネットワーク再構築名阪特急強化、という2つ相反する方針成否は、程なく明らかになった。 当初6往復、それもアンバランスなダイヤ設定スタートした京都発着特急は、わずか2か月後の同年12月には京橿特急間合い利用した京都 - 近畿日本奈良(現・近鉄奈良)間を結ぶ京奈特急5往復設定乗客強い要望によって開始されさらには検査予備として準備されていた予備特急車までをも定期特急運用充当することで京奈特急を1往復増発、京橿・京奈特急交互に1時間間隔京都発着する体制整えられるほどの活況呈した一方名阪特急営業成績東海道新幹線開業甚大な影響被った名阪ノンストップ名阪甲特急主要駅停車名阪乙両特急合わせて1964年昭和39年前半には約70パーセント占めていた名阪鉄道輸送シェアが、同年後半には36.8パーセント1966年昭和41年)には年間通じて19パーセント激減し壊滅に近い状況となったのであるこのような観光需要喚起策の成功名阪特急シェア急減背景として、近鉄自社特急網の新幹線接続重視への再編本格化させる。その過程で、橿原神宮駅にて橿原線接続する狭軌線の南大阪線吉野線についても、京都線橿原線同様の有料特急定期運行強く求められるようになった従来軌間相違他路線からの直通不能な南大阪・吉野線系統については、両線を所轄する天王寺営業局の独自施策として1959年昭和34年8月からの一般車による快速かもしか」の設定1960年昭和35年2月15日の旧伊勢電気鉄道車の改造による専用車(モ5820形)を用いた同列車の観光シーズン中心とした不定期有料特急かもしか」への格上げ、さらに翌1961年昭和36年9月21日には「かもしか」の快速への格下げ増発同時実施など、大阪阿部野橋 - 吉野間を直結する優等列車運行模索されてきた。 そこで近鉄本社は、この「かもしか」の実績基本にしつつ、橿原神宮前駅での京橿特急との接続基本としたダイヤ編成とすることで古都京都訪れた観光客吉野地区誘致し、また橿原神宮前での京橿特急との、そして京橿特急大和八木での大阪線阪伊特急との接続それぞれ利用して南大阪地区からの観光客京都・奈良伊勢各地区へ誘致する定期有料特急吉野特急)を新設し回遊型の観光客誘致政策本格化させる構想立てた。 この構想に基づき南大阪線吉野線用として大阪線特急車準じた接客設備備え本格的な特急車新造決定された。当時大阪線特急車基幹系列であった11400系「新エースカー」の各部寸法南大阪線系統事情合わせて手直しした車体に、当時量産進められつつあった南大阪線通勤車である6900系(のちの6000系)用主電動機、それに専用制御器や台車組み合わせた狭軌専用特急車新たに設計され、まず1965年昭和40年3月18日吉野特急新設備え同年2月7日竣工として以下の2形式4両2編成新造された。 モ16000形モ16001・モ16002 ク16100形ク16101・ク16102 これにより、定期3往復不定期3往復での吉野特急運行スタートした。 なお、その設定経緯から不定期を含む6往復列車橿原神宮駅で京橿特急6往復と1:1で接続するダイヤ編成であった。 この吉野特急も京橿特急同様に利用が多いことから、不定期特急定期特急への格上げ増発求められるようになったこのため京都線系統特急同様に既存の2編成そのまま充当することで不定期特急定期特急格上げ実施され予備車として「かもしか」号に用いられていたモ5820形を起用するという策が講じられた。もっとも、旧式な吊り掛け駆動車かつ低性能であったモ5820形は、16000系と同じダイヤで走ることができず、さらに同形式は非冷房接客設備面でも極端な格差があったことから、早急な増備車の投入要請された。 そこで、予備確保のため京橿特急増発用の18000系第2編成とともに1966年昭和41年3月31日竣工として以下の1編成2両が増備された。 モ16000形 モ16003 ク16100形 ク16103 この第3編成竣工検査時の予備車が確保され、さらに多客時の増結による4両編成化が可能となった。こうして吉野特急同年4月1日ダイヤ改正で1往復増発され、定期7往復体制となったその後特急増発増結実施されたことから、16000系1977年昭和52年)までに以下の4形式14両が順次増備されて9編成20両の陣容となり、1日6往復体制スタートした吉野特急は26000系「さくらライナー竣工直前段階1日25往復体制にまで強化されることとなった1967年昭和42年12月2日竣工モ16000形 モ16004 ク16100形 ク16104 1969年昭和44年4月10日竣工モ16000形 モ16005 ク16100形 ク16105 1970年昭和45年1月26日竣工モ16000形 モ16006 ク16100形 ク16106 1970年昭和45年12月3日竣工モ16000形 モ16007 ク16100形 ク16107 1974年昭和49年3月15日竣工モ16000形 モ16008 ク16100形 ク16108 モ16050形 モ16051 サ16150形 サ16151 1977年昭和52年12月22日竣工モ16000形 モ16009 ク16100形 ク16109 本系列は全車とも近鉄関連会社である近畿車輛製造担当している。

※この「登場の経緯とその後の増備」の解説は、「近鉄16000系電車」の解説の一部です。
「登場の経緯とその後の増備」を含む「近鉄16000系電車」の記事については、「近鉄16000系電車」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「登場の経緯とその後の増備」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「登場の経緯とその後の増備」の関連用語

登場の経緯とその後の増備のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



登場の経緯とその後の増備のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの近鉄16000系電車 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS