登場の原因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/22 07:23 UTC 版)
「車体装架カルダン駆動方式」の記事における「登場の原因」の解説
太平洋戦争後の日本では、非電化の中小私鉄は、石炭・石油燃料の異常な高騰による運行経費増大に苦しんだ。そのため、1948年以降、各地の非電化私鉄では電気動力への転換が促進され、以後石油燃料の供給やディーゼル機関技術が改善されてディーゼル動力化が容易になる1952年頃まで、電化ブームの様相を呈した。 この過程で、従来保有していたガソリンカー(ガソリンエンジン動力の気動車、通称「ガソ」)を、電車に改造して使用する鉄道事業者が続出した。このような例は以前から無かったわけではないが、その大部分はエンジンを取り外して電車用マスターコントローラーのみを搭載し、無動力の付随制御車として通常の電車と編成を組ませたものである。 しかし、1940年代末期の電化ブームによる気動車改造電車には、電動車になったものが登場した。車両の絶対数自体が不足している私鉄では、保有車両は極力動力車にする必要があったためである。それぞれが工夫を凝らした結果、中には広義のカルダン駆動車になってしまったものがあった。
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