登場の経緯と現状とは? わかりやすく解説

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登場の経緯と現状

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 16:15 UTC 版)

ホームライナー」の記事における「登場の経緯と現状」の解説

都心到着した優等列車郊外車両基地まで回送する代わりに営業列車とした早い例としては、1968年昭和43年10月1日ダイヤ改正設定され総武本線気動車による快速列車がある。新宿駅到着した房総方面からの急行列車折り返しで、御茶ノ水駅20時台千葉駅行(停車駅秋葉原駅船橋駅の2駅)として2本運行された。ただし特別料金徴収せず、回送列車ダイヤ踏襲したため所要時間各駅停車変わりなかった。 「ホームライナー」の名称で運行されたものの初出は、1984年昭和59年6月1日当時国鉄旅客局長だった須田寬(現・JR東海相談役)の考案により、東北線上野駅 - 大宮駅間で回送する特急電車活用したものとされる。これは、当時私鉄各社運行されていた通勤時の特急列車ヒントとして生まれたものであった同列車は同年7月23日に「ホームライナー大宮」と命名され次いで同日には総武快速線で「ホームライナー津田沼」が、同年9月からは阪和線で「ホームライナーいずみ」の運行開始された。 運転開始当時は1編成のうちの数両で客扱い行っており、この際にはグリーン車普通車扱いとしていた。しかし運転開始当初より人気高く常に満席となり、積み残し客の方が多くなることもあったことから、運転開始数日急遽1編成大半開放することに変更し、わずか数ヵ月後には1編成すべてを開放して客扱い取り扱うようになった1986年昭和61年11月1日運行開始した東海道線の「湘南ライナー」、阪和線の「はんわライナー」では、回送ダイヤ流用ではなく単独列車運用を持つようになったまた、当初回送列車扱いのため省略されていた車内整備行われるようになった以降、その盛況により国鉄末期からJR各社発足後1990年代にかけて、各都市圏設定された。これまで東日本旅客鉄道JR東日本)に継承され首都圏をはじめ、同社新潟長野仙台地区北海道旅客鉄道JR北海道)に継承され札幌地区東海旅客鉄道JR東海)の静岡名古屋地区西日本旅客鉄道JR西日本)に継承され近畿圏アーバンネットワーク)、九州旅客鉄道JR九州)の福岡北九州宮崎鹿児島地区設定されてきた。四国旅客鉄道JR四国)では徳島地区一時期試験的に運行されていたが(鳴門きんときライナー)、定期列車化には至らなかった。 その後特急列車追加料金不要快速列車普通列車への置き換え首都圏ではこれに加えて一般快速・普通列車へのグリーン車連結による利用者減少などによって、数を減らしていくこととなる。JR西日本JR九州では2011年平成23年3月までに全廃され、JR東日本でも2021年令和3年3月全廃となり、現在はJR北海道およびJR東海に残るのみとなっている。

※この「登場の経緯と現状」の解説は、「ホームライナー」の解説の一部です。
「登場の経緯と現状」を含む「ホームライナー」の記事については、「ホームライナー」の概要を参照ください。

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