登場の衝撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/22 13:57 UTC 版)
「VM-T (航空機)」の記事における「登場の衝撃」の解説
VM-Tの異質なスタイルは登場と同時に西側の空軍、航空宇宙関係者に大きな衝撃を与えた。諸外国だけではなくソビエト空軍当局からも飛行可能なのか疑問の声が上がったという。当時は既に大型のレーダードームを背面に設置した早期警戒管制機が存在しており、航空機は相当の抵抗、重量源を機外に搭載していても、空力的・重量的設計さえ正しければ飛行は可能なことが実証されていたが、自分の機体の断面積を上回る構造物を機体上面に固定して飛行するVM-Tの姿は、航空力学の専門家からも常識を超越した異質な光景であった。 設計側は風洞実験により実用に足る飛行安定性能は保たれたと説明し、また制御能力を向上させるためにフライ・バイ・ワイヤが駆使されていた。それにもかかわらず操縦性は劣悪を極め、通常の飛行すら困難だったと伝えられている。大型コンテナを搭載した場合の不安定さは当然ながら、貨物を何も搭載しない場合は逆に大型の垂直尾翼によって安定性が高くなりすぎるために操縦性はやはり劣悪で、さらに離着陸時には横風に機体後部が煽られやすく危険であったという。 後に、大型コンテナの他に、涙滴型の小型(とは言っても、それでもコンテナの直径は機体本体よりも大きい)コンテナを搭載した機体の写真が公表された。この際には、空中で大型ロケットを発射するための母機、ソ連へ飛来する大陸間弾道ミサイルを追尾する早期警戒機など、輸送機開発に偽装した別の計画という考察(推測)が西側でなされたこともある。実際は小型のコンテナはロケット本体ではなくそれに搭載される宇宙機などを輸送する際に用いられるものであった。 VM-Tを、とある西側の航空評論家[誰?]は「ソビエト的合理主義は、時に“科学という名の魔法”によって飛行機を飛ばせることを可能にする」と評している。[要出典]
※この「登場の衝撃」の解説は、「VM-T (航空機)」の解説の一部です。
「登場の衝撃」を含む「VM-T (航空機)」の記事については、「VM-T (航空機)」の概要を参照ください。
- 登場の衝撃のページへのリンク