洋上防空とDDVとは? わかりやすく解説

洋上防空とDDV

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 09:27 UTC 版)

海上自衛隊の航空母艦建造構想」の記事における「洋上防空とDDV」の解説

1970年代後半ごろより、シーレーン防衛という新たな概念重視されるようになってきた。1976年昭和51年)に海上幕僚長就任した中村悌次海将は、防衛すべき範囲として東京グアムおよびバシー海峡それぞれ結ぶ2本のライン中村ライン)を提示した1981年昭和56年5月、この概念元にワシントンD.C.訪問中の鈴木善幸内閣総理大臣が「シーレーン1,000海里防衛」を提唱し、続く中曽根康弘内閣でさらに具体化された。 中村ライン提唱した中村海幕長は、1977年昭和52年9月同職離任する際の『離任にあたり講話』で、「洋上防空にはミサイルだけでなくV/STOL機のような戦闘機必要だがこれには手を付けられなかった。誠に無念である。」と述べた。またこの前後より、ソビエト連邦軍において、射程400km、超音速発揮できるKh-22 (AS-4 キッチン) 空対艦ミサイルと、その発射母機として、やはり超音速発揮できるTu-22M爆撃機、そして電子攻撃用に改造されTu-16電子戦機開発・配備進められるようになっており、経空脅威大幅に増大していた。この情勢を受け、1986年昭和61年5月防衛庁当時)内に設置されていた業務運営自主監査委員会発展拡大させて防衛改革委員会設置され、その傘下4つ委員会および小委員会一つとして洋上防空体制研究会(洋防研)が発足した。洋防研においてはOTHレーダー早期警戒機要撃戦闘機等による洋上防空体制の強化効率化模索されており、護衛艦隊においてはミサイル護衛艦の艦対空ミサイル・システムのイージスシステムへの更新とともに航空機搭載護衛艦(DDV)が検討された。イージス艦空対艦ミサイル直接対処する施策であるのに対し、DDVは、ASM発射以前爆撃機対処することにより、より根本的な母機対処を担う構想であったイージスシステム在来DDGターター-D・システムよりもはるかに強力な防空能力備えであろうが、それでも、数次にわたる空襲受けた場合艦隊防空網すり抜けASMによる損害蓄積され最終的に艦隊失われるとの予測なされたことから、母機対処能力は非常に重要であったジェーン海軍年鑑1985-6年版では、日本16,000トン級の大型ヘリ空母対潜ヘリ14搭載ミサイルVLS装備)の建造計画していると記載されたが、読売新聞取材に対して防衛庁はこの記載否定したその後同年10月20日付け日本経済新聞にて、防衛庁内で洋上防空として「VTOLなどを積む護衛軽空母」を導入する構想浮上していることが報じられた。日経新聞報道により計画部外明らかになった当初軍事評論家藤木平八郎は縦深洋上防空には理解を示すも、シーハリアー能力不足を指摘していた。統合幕僚会議議長務めた佐久間一はDDV構想について、「今でもある課題ですけれども、防空用の空母というか、DDVというか、それはずっと課題なんですよね」とした上で当時海幕シミュレーションでは、バックファイアーシーハリアー対応しても、シーハリアー性能ではバックファイアー敵わないとの結果だったので計画見送ったが、後に59中業において「シー・ハリヤ―・プラス原文ママ)」という次のバージョンならば何とかなるとのことで、DDVを計画入れようとしたが、内局からは(空母ダメだということで)徹底して反対されたとしている。佐久間は「DDVが絶対とは私は今でも思っていません。しかし、いちばん現実的なオプションではあるだろうな」との見解示している。DDVは護衛艦の名を冠してはいるが実質的な空母であるため、国内外から強い反発予想されることから政治的配慮働き防衛庁内局中心に強い反対意見出ていた。 また、ほぼ同時期に日本戦略研究センター政府自民党に対して提出した防衛力整備に関する提言」の中で「護衛水上部隊は、七個護衛隊群とする。そのうちの五個護衛隊群は、それぞれ各出撃二~三週間連続作戦必要な対潜ヘリコプターのほかに、対象勢力新型基地爆撃機要撃する要撃機などを積載できる対潜ヘリコプター搭載大型護衛艦DLH一隻中核として編成する」とされていた。 以上のような検討経て、DDVはおおむね排水量15,00020,000トン前後全通甲板有しシーハリアー級の戦闘機10前後早期警戒AEWヘリコプターおよび対潜哨戒ヘリコプターを数機搭載する構想となった。しかし、洋防研において母機対処必要性理解されたものの、肝心シーハリアー能力限定的であり、超音速Tu-22M爆撃機への対処に不安が残ったほか、「空母」という言葉のもつ政治的インパクトへの配慮、更にアメリカ海軍反対アメリカ海軍空母護衛に加わるためのイージス艦優先推奨)もあったことから、海幕はDDV計画取り下げイージス艦導入重点形成することとされた。イージス艦については、吉田學海将当時アメリカ海軍作戦部長ジェームズ・ワトキンス大将説得したことにより、当初予定されていた一世代前のものではなく最新イージスシステムの提供が実現した上記のように1988年のDDV構想頓挫したが、海上自衛隊軽空母諦めておらず、「次期防で(軽空母の)調査費だけをつけて、次々期防(1996年から2000年)で導入する」ことを想定していた。また、国内航空機メーカーでは、イギリスシーハリアーより足の長いVTOL戦闘機研究着手していた。1988年12月22日から始まった中期防衛力整備計画策定作業開始に当って陸上自衛隊多連装ロケットシステムMLRS)とAH-64A アパッチ航空自衛隊早期警戒管制機AWACS)と空中給油機新規導入検討される中、構造不況苦し造船業界は海上自衛隊軽空母導入論議注目していたという。 1993年平成5年6月29日岡部文雄海上幕僚長退任前の最後記者会見において、海上防衛力今後あり方について、「現状では洋上防空能力欠落している。イージス艦超えるものが必要だと思う」と述べ空母導入が必要との考え示唆した2004年平成16年)の新大策定のために防衛庁設置された「防衛力在り方検討会議」でまとめられ論点整理において、弾道ミサイル対処するための敵基地攻撃について「引き続き米軍委ねつつ、日本侵略事態未然防止のため、能力保有検討する」として、ハープーン ブロックIIトマホークと共に、「軽空母」の導入検討対象入ったことが報じられた。

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