洋上飛行制限の緩和
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 05:15 UTC 版)
「ボーイング767」の記事における「洋上飛行制限の緩和」の解説
一方、この時期には、双発機の洋上飛行制限が緩和されてゆく気運が高くなっていた。まず1983年12月にはエア・カナダがそれまでの60分以内という洋上飛行制限を若干緩和した75分規定によりトロントとバミューダを結ぶ路線に767を投入、1984年3月にはエル・アル・イスラエル航空が60分規定を遵守しながらもテルアビブとモントリオールを結ぶ大西洋横断路線(以下「大西洋線」と記述する)に767を就航させ、1985年2月にはトランス・ワールド航空 (TWA) がボストンとパリを結ぶ路線に75分規定によって767を使用するなど、双発機を用いた洋上飛行が増えていった。1985年5月には、767の洋上飛行制限は120分まで(これは「ETOPS-120」と呼ばれている)と大幅に緩和された。 他方、767がアメリカで本格的に運航を開始した時期、アメリカの航空業界は航空自由化政策(ディレギュレーション)によって、限られた航空会社しか運航できなかった国際線の運航へ、自由に参入できるようになるなど、その経営環境に大きな変化をもたらした。これに伴い、大西洋線には、多くの航空会社が参入することになったが、大西洋線では1便あたりの輸送力よりも複数便を設定することにより利便性を重視する傾向があり、1機あたりの輸送力が多く設定されているそれまでのワイドボディ旅客機は、必ずしも大西洋線では使いやすいとはいえず、767程度の輸送力が適正と考えられた。そこへ、前述した洋上飛行制限の緩和が行われたのである。 これにより、大西洋線へ767の航続距離延長型を導入する航空会社や路線が増加することになり、767の受注数は次第に増加してゆくことになる。特に1989年の受注機数は96機を数えた。767の航続距離延長型は、その後胴体延長型の767-300ER型の開発も行われ、1986年12月22日に初飛行した。また、1989年3月には、767による洋上飛行制限は180分までに緩和された。この結果、大西洋線では2002年には週あたり1800便が767により運航されるという状態になり、767は大西洋線の主力機材となった。パンナムが嫌ったコンテナ搭載の弱点も、767が大西洋線の主力機材となったために、結果的には弱点とはならなくなったのである。さらに日本航空やエア・カナダなどは太平洋線(日本 - ハワイや日本 - カナダ路線)にも導入を進めた。 冷戦崩壊後はロシアの航空会社もユーザーに加わっており、リース会社経由ながらアエロフロート・ロシア航空でも就航するようになった。さらに長胴型の-400型のローンチも行われた。しかし2000年代に入り、ヨーロッパを中心にエアバスA330などの同クラスの機体に市場シェアを奪われたうえに、787や777-200とも競合するケースもあり、売り上げが大きく落ち込み-400型は早々に生産を停止することとなった。 2011年2月に767シリーズは1000機を突破したものの、ボーイングは民間機としては787(2011年就航)に役目を譲り、767は空中給油機や早期警戒管制機など軍用機としての売り込みを強める姿勢を見せている。なお、旅客型の生産は2014年に受注残がなくなったのをもって事実上終了している。
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