新橋の建設
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新橋の工事名は「山陰線鎧・餘部間余部橋りょう改築他工事」で、清水建設と錢高組の特定建設共同企業体(特定JV)が担当した。2007年(平成19年)3月29日に本工事(準備工)に着手、5月27日には、JR関係者、井戸敏三兵庫県知事、周辺自治体の首長、余部鉄橋列車転落事故の遺族などが出席して架け替え工事の起工式が開かれた。 橋脚に関する工事は長谷川周辺の1号橋脚、国道と町道の間の2号橋脚、町道と餘部駅の間の3号・4号橋脚の3つのエリアに分けて進められた。これに伴って長谷川には2本の工事用桟橋が設置された。 2007年(平成19年)11月から橋脚の基礎工事に着手した。1号 - 3号の橋脚は場所打ち杭という形式で施工されたのに対して、4号の橋脚は斜面上にあり既設橋脚への影響が懸念されたことから、当初予定の場所打ち杭形式を取りやめて、竹割り土留め工法による大口径深礎杭形式に変更された。橋脚の鉄筋の組み立ては、地上で組み立てたものを架設するノップキャリイ工法が採用された。海岸から近く鉄筋の腐食が懸念されることから、特に1号・2号橋脚では 200 mm のコンクリートのかぶりを確保する設計とされていたが、ひび割れの抑制が困難であることが分かり、PET繊維を混入してひび割れを抑制する対策を行った。1号橋脚と起点側橋台については、切り替え工事までの間その上でS字の橋桁を構築し支えておく必要があることから、桁を本設置する位置より南側に仮設の橋脚と橋台を構築した。1号橋脚の仮設部分については、直径 1 m のプレストレスト高強度コンクリートパイル(PHC杭)の柱を4本立てて支えている。2008年(平成20年)後半になると橋脚が立ち上がり、タワークレーンによる作業が本格化した。 2009年(平成21年)春から桁の工事に入った。橋桁は、移動作業車を使って橋脚上部から両側にバランスをとりながら張り出していく工法で施工された。既設橋梁の桁と移動作業車の離隔は最小で 30 cm 程度しかなく、強風下でも接触することのないよう細心の注意が払われた。両側から施工されてきた橋桁の閉合が完了すると、移動作業車を吊り下げて解体する必要があるが、橋桁の施工中にエクストラドーズド橋の斜材の施工が進んでいたために橋脚の地点まで戻すことはできず、既設橋梁の橋脚の張り出しや下部の国道・町道などの位置を考慮して、反対側の桁まで移動してから降ろすなどの対処が必要となった。この際に、2号橋脚から1号橋脚へ向けて施工した移動作業車は、1号橋脚側のS字の橋桁との間のまだ閉合されていない隙間にレールを渡すなどして反対側に乗り移っている。主塔の高さは 5 m で、1.8 m の高さに打継目があり、その上にサドル架台が載せられている。斜材ケーブルはPC鋼より線に防錆油を塗布してポリエチレン被覆したものが使われ、橋桁の張り出し作業と並行して架設・緊張作業が行われた。 工事は天候に恵まれ順調に進んだため予定よりも工期が短縮され、当初の完工予定(2010年9月中)より1か月程度前倒して新旧橋梁の切り替え工事が実施された。2010年7月17日から区間運休した上で、旧橋梁の起点側を一部撤去し、新橋梁の橋桁を横移動(7月20日)・回転(7月23日)させて架設する「橋桁移動旋回工法」を実施した。これは日本国内初の工法で、移動される桁は全長約 93 m, 重量約 3,800 t で、平行移動に際しては 1,500 kN 油圧ジャッキ(オックスジャッキ製)を橋台に1台、1号橋脚に4台設置し、4.0 m 平行移動させた。その後、1号橋脚上に鋼製のストッパを落とし込んで回転軸として、橋台上の油圧ジャッキの位置を回転位置に移して、反時計回りに5.2度(橋台上で 4.6 m に相当)回転させて所定の位置に橋桁を据えた。8月上旬には接続部分にて設計上発生していた隙間をコンクリートで埋める工事、防風壁設置工事、最後にレール敷設や電気設備工事が行われ、同年8月11日に切り替え工事が完成した。 橋桁移動旋回工法に関しては世界初とされる大規模実証実験が事前に行われた。2009年11月24日に清水建設技術研究所の実験棟にて同社やJR西日本の関係者らが参加して、新コンクリート橋の橋桁に使われている鋼材を1/10サイズで再現して水平移動・回転・加圧など本番さながらの条件で実施され、安全性など想定通りの結果が確認された。 8月10日に保線機械のマルチプルタイタンパーを橋の上に2往復させてレールのさび落としを行い、新橋開通初日の8月12日の未明には単行の機関車が試運転として試単9513列車 - 9518列車の計3往復走行、さらに下りの回送列車3本を回9805D、回9561D、回9563Dと通過させた。定期列車の初運行は午前6時半過ぎの始発列車160Dで、同列車には地元住民約120人が乗車して新橋梁を通過し開通を祝った。同日開かれた完成記念式典では兵庫・鳥取両県知事や地元選出国会議員、地元自治体の首長などが出席して、列車転落事故の犠牲者に対する黙祷を行い、また橋完成の祝辞を述べた。また地元の住民により、新橋の高さと同じ 41.5 m の長さの餅作りやくす玉割り、宝船行列などの行事が行われた。 新橋の供用開始により風速の規制値が 30 m/s に緩和されて以降、2010年12月9日に初めて風速が 31.5 m/s に達して運行見合わせが発生した。しかし、供用開始してからこの日までに、従来の規制値である 20 m/s を超えたのは16日あったことから、架け替えにより運行の安定化に効果があったと評価されている。 新余部橋梁は、2010年度土木学会田中賞作品賞を受賞した。この他にも、プレストレストコンクリート技術協会作品賞、日本コンクリート工学会賞作品賞、エンジニアリング功労者賞などを受けている。
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