テイ湾とフォース湾の横断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 01:45 UTC 版)
「ノース・ブリティッシュ鉄道」の記事における「テイ湾とフォース湾の横断」の解説
詳細は「テイ橋」および「フォース鉄道橋」を参照 1877年5月31日にテイ橋が公式に開業した。これに伴いノース・ブリティッシュ鉄道の列車運行系統に大きな変化が発生した。この日まで、ノース・ブリティッシュ鉄道の利用者はテイ湾をフェリーで渡ったうえで、到着したダンディーではカレドニアン鉄道と連絡するダンディー・アンド・アーブロース鉄道(英語版)に乗り換えることとなっていた。ノース・ブリティッシュ鉄道がアバディーンまで実質的に独自のルートを最終的に形成できるようにする議会による安全措置として、ダンディー・アンド・アーブロース鉄道はこの日からカレドニアン鉄道とノース・ブリティッシュ鉄道が共同で所有するようになった。 この成功は、1879年12月28日に橋の一部が崩落するという事故が起きたことで惨事へと転じた。テイ湾に列車が転落して74人または75人が死亡した。この事故は人的な損害だけでなく、当時エディンバラからダンディーまで独自の路線を最終的に形成することになるフォース橋の建設を計画していたノース・ブリティッシュ鉄道にとって大きな衝撃であった。会社はただちにテイ橋の再建に取り掛かることを決定し、最初は既存の橋の修理と再建を想定していた。テイ橋は技術者のトーマス・バウチ(英語版)が設計したものであり、提案されていたフォース橋の設計も彼によるものであった。事故調査が進むにつれ、バウチのテイ橋設計における欠陥が明らかとなっていき、彼の設計に基づくフォース橋の建設は推進されないことになった。テイ橋の修理計画は、新橋の建設に置き換わった。新しい橋は複線となり、ノース・ブリティッシュ鉄道の全責任において建設されることになった。1881年7月18日にテイ橋の代替新設の法案が女王裁可を受け、沈滞した雰囲気が吹き飛ばされた。 1887年6月10日に新しいテイ橋を最初の旅客列車が渡り、1887年6月20日から通常営業が開始された。 ここから先のアバディーンまでの経路も準備されており、1881年3月にアーブロースと、モントローズの北にあるキンナバー分岐点までの間の路線が開業した。テイ橋の代替が完成したことで、ノース・ブリティッシュ鉄道はアバディーンまでの自社列車をほぼ自社管轄下で営業できるようになったが、キンナバー分岐点より北では依然としてカレドニアン鉄道線を運行権を使って走らせなければならず、またこの時点ではまだフォース橋も完成していなかった。 最初のテイ橋が崩落した時点で、フォース橋の計画はかなり進捗していた。トーマス・バウチが両方の設計に責任を負っており、バウチがテイ橋の事故に責任があることが明らかとなって、フォース橋の工事は中断された。新しい設計を求めることが決まり、また建設費は分担することになった。フォース橋鉄道会社が橋を建設し、この会社はノース・ブリティッシュ鉄道が30パーセント、ミッドランド鉄道が32.5パーセント、ノース・イースタン鉄道(英語版)が18.75パーセント、グレート・ノーザン鉄道が18.75パーセントを所有していた。 ノース・ブリティッシュ鉄道は、グレンファル線の建設、キンロスを通りキンロスからパースへ繋ぐ2級路線の改良、ファイフの沿岸に沿って運行される列車が橋に到達できるようにするインヴァーカイシングからバーンタイランドまで路線の建設といった件に関して再申請を行った。フォース湾の南側でも、エディンバラとグラスゴーからより直接的に橋へと連絡するために新しい路線が必要になった。 1890年3月4日にフォース鉄道橋は開通した。この日まで、ノース・ブリティッシュ鉄道は旅客と貨物をフォース湾を渡るフェリーで運ばなければならなかった。フォース鉄道橋の開通により、ファイフとロージアンの鉄道網の構造は変革されたが、ノース・ブリティッシュ鉄道は新しい橋への接続路線の整備が遅れており、当初はローカル列車のみが橋を運行していた。橋の全面開業は、コーストフィンからダルメニーまでの新線開通と、キンロスにおける路線の改良が完了した1890年6月2日のこととなった。ノース・ブリティッシュ鉄道はここについに、カウデンビースおよびキンロスを経由してパースへ至る第一級の路線と新しいグレンファル線を手に入れ、さらにインヴァーカイシングからバーンタイランドへ至る新線も手に入れた。 橋へのアプローチ路線群は完成したが、エディンバラ・ウェイヴァリー駅の不適切な状態が大きな不評を招いていた。駅で多くの列車が車両の連結と切り離しを行っており、線路の配置とプラットホームの設備は非常に不適切なものとなっていた。フォース橋鉄道会社の共同出資者は、ノース・ブリティッシュ鉄道自身と同じく、橋に巨額の費用を投じており、こうした巨額の投資が完成した今となって批判的なメディアの論調にうろたえることになった。
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