放浪時代とは? わかりやすく解説

放浪時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 19:34 UTC 版)

バイバルス」の記事における「放浪時代」の解説

マムルーク朝成立後シャジャル・アッ=ドゥッルに代わってスルターンとなったアイバクはバフリー・マムルークを危険視し、1254年アクターイ殺害するバイバルスカラーウーン仲間とともにエジプトから脱出しダマスカスアイユーブ王族マリク・アン=ナースィル元に亡命する。 やがてナースィル不仲になると、バイバルスたちはカラクアイユーブ王族ムギースの元に移ったバイバルスたちはムギースにエジプトへの進軍依頼するが、エジプトマムルーク朝との戦い敗れ、ムギースからも疎まれるようになったシリアでの放浪時代はバイバルスにとって辛い時期であったが、「バイバルス苦境に耐え、決し仲間見捨てなかった」と伝記著者アブド・アッ=ザーヒルは彼の人格を称賛している。

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放浪時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 14:41 UTC 版)

シャブタイ・ツヴィ」の記事における「放浪時代」の解説

故郷追放されツヴィ最初に向かった先はテッサロニキであった。彼はこの地で大勢弟子信者獲得したものの、いつもの奇行控えることはできなかったようである。ある日のこと、彼は自分のために結婚の儀催したのだが、その作法ハラハー則ったものではなく、さも預言書などに書かれ救世主到来のごとく、自らを律法モーセ五書)の主人見立て律法との婚姻関係企図したものなのであった。このパフォーマンスに関してテッサロニキのユダヤ人社会からは激し非難の声が上がったため、ツヴィ当地ラビの前で公式に謝罪をする羽目になった。ただし、この謝罪彼の地位を回復させることはなく、結局はイズミールのときと同様にテッサロニキからも追放されてしまった。 それ以降数年間、ツヴィギリシア地方の各都市転々としていたのだが、1658年になると信者一団と共にコンスタンティノープル現れた。ここでも巨大な魚乗せた乳母車押して町中歩きながら市民カバラ議論吹きかけるなど、奇抜な行動物議を醸すことになったある日のこと、たった一日ユダヤ教三大祭(過越祭シャブオット仮庵祭)を開催したことがあるその日ツヴィ仮庵の下に座りながら過越し晩餐催し食後になるとティクン・レール・シャブオット(シャブオット夜に定められ学習内容)を読み聞かせていた。もちろんこの行為は、ユダヤ教伝統対す挑発冒涜に他ならなかった。この時期ツヴィには、ハラハー対す違反犯す自らをあべこべに祝福して喜ぶ傾向があり、そのさいはベレホト・ハ=シャホル早朝祝福)のごとく「戒律解禁祝福あれ」と叫んでいた。これも、救世主到来する日にはハラハーによる禁止事項無効になるというミドラシュの記述由来している。こういった醜聞短期間のうちに撒き散らした末、ツヴィ追われるようにコンスタンティノープルを後にして故郷イズミール戻ったイズミール戻ってからのツヴィ深刻な鬱状態に陥っていたようである。世間体憂慮し兄弟たちは、当面生活費援助した上で彼をパレスティナの地へ送り出すことにした。1662年ツヴィロドス島エジプト経由してパレスティナへと向かったエジプトでは財務大臣要職にあったユダヤ人、ジェレビ・ラファエル・ヨセフ(「ジェレビ」はエジプト在留ユダヤ人頭領与えられる称号)が彼に魅了され有力な支援者のひとりとなったエジプト滞在中のこと、ツヴィの耳にリヴォルノ在住サラという名前の風変わりな女性についての噂が届いた。それによれば、彼女は救世主の妻となるべく運命背負わされているという啓示受けたというのであるツヴィはこの知らせを非常に喜びすぐさま彼女をエジプトへと招き寄せた。両者短時間対面済ませると結婚したサラ弟子信奉者から「王妃」と呼ばれるようになった。彼女に過去犯した淫行をはじめとした数々醜聞付きまとっていたのだが、弟子信奉者はそれを否定しないばかりか預言者ホセア姦淫の女結婚なぞらえてこの出来事解釈していた。 ツヴィエジプトからエルサレムへ向かうと、そこで懺悔カバラ修練専心したいつもの奇行鳴りを潜めることはなかったものの、エルサレムユダヤ人社会では信頼を得ることに成功しついにはエジプト派遣されるシャダル(エルサレムから各地ユダヤ人共同体派遣される特使)に任命されるまで出世したエジプト大臣ジェレビ・ラファエル・ヨセフと親しい関係にあったことが任命後押ししたとされている。ツヴィ1664年の末にエジプト向けて出発したエルサレムへの経済的支援募るこのミッション大変な成功を収めることになった一方ツヴィエジプト滞在しているころ、パレスティナでは彼の人生を決定的に変えることになる出来事起きていた。

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放浪時代(1576年–1592年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 04:11 UTC 版)

ジョルダーノ・ブルーノ」の記事における「放浪時代(1576年1592年)」の解説

1576年異端嫌疑かけられブルーノは、異端審問所追及逃れようナポリ離れ、しばらくのローマ滞在経て北イタリア各地文法天文学などを教えながら放浪生活送った1578年にはアルプス山脈越えてフランス入り、翌1579年にはスイスジュネーヴ滞在したジュネーヴ大学在籍し一時的にカルヴァン派接近するが、改宗までしたかどうかは定かでないまた、すぐにジュネーヴ大学カルヴァン派哲学者論争巻き起こし名誉毀損訴えられ有罪となり、ジュネーヴ離れた同年トゥールーズ移ったブルーノは、トゥールーズ大学正規講師となり、アリストテレス魂について』の講読註解おこなった以後2年近くトゥールーズ過ごした1581年パリに移住し、優れた記憶力話題となってフランス国王アンリ3世とも会見したソルボンヌ大学正規教授職を得ることはできなかったが、翌1582年王立教授団(コレージュ・ド・フランス前身)の講師任命された。1583年ブルーノアンリ3世推薦書持ってイギリスに赴き、オックスフォード大学での教授職得ようとしたが、同地受け入れられず、イギリス教壇に立つという望み果たされなかった。だが、ロンドン滞在する2年半のあいだに、ブルーノ前半期主著とされる6つ対話篇『聖灰日の晩餐』『原因原理一者について』『無限・宇宙・諸世界について』『傲れる野獣追放』『天馬カバラ』『英雄的狂気』を上梓した。 1585年パリ戻ったが、アリストテレス自然哲学批判した120テーゼ問題とされた上、数学者ファブリツィオ・モルデンテとの裁判巻き込まれドイツへ去ったドイツではマールブルク大学での教授職得られなかったが、ヴィッテンベルク大学での教授許可を得ることができ、アリストテレスについて2年講義した1588年ヴィッテンベルク去り今度ボヘミアプラハ現れた。そこでルドルフ2世300テーラーという年俸を保証されたが、教授職得られなかった。どうしても教壇立ちたいブルーノヘルムシュタット移ったが、ルター派権威者たちの反感を買い、ここも立ち去ることになった1591年放浪繰り返していたブルーノフランクフルト・アム・マインにいた。ブルーノ後半期主著とされる3部作三つ最小者について』『モナド論』『測り知れざる巨大者について』はこのとき刊行された。同年ブルーノは、ヴェネツィア貴族ズアン・モチェニゴから記憶術指南受けたいという招請受けた。モチェニゴ家はヴェネツィアでも屈指の貴族であり、ブルーノイタリアに戻る決意をした。ヴェネツィアに向かう途中パドヴァ滞在し空席となっていたパドヴァ大学数学教授の座を得ようとするも、結局ガリレオ・ガリレイ教授職持っていかれてしまった。ヴェネツィアに来たブルーノは、モチェニゴの家庭教師を2か月つとめた。だが、そのモチェニゴによって訴えられ1592年ヴェネツィア官憲によって逮捕された。さらに、ブルーノのことを聞きつけた異端審問所介入し最終的にローマの異端審問所に引き渡された。

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