結婚の儀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 13:38 UTC 版)
「皇太子徳仁親王と小和田雅子の結婚の儀」の記事における「結婚の儀」の解説
ウィキソースに皇太子徳仁親王の結婚の儀の行われる日を休日とする法律の原文があります。 6月9日当日、東京都の天候は前日より雨であった。この日は日本において「皇太子徳仁親王の結婚の儀の行われる日を休日とする法律」によるこの年限りの臨時の休日であり、皇太子の結婚の儀・朝見の儀・宮中饗宴の儀は国事行為として行われた。 また結婚関連儀式は4月9日の「神宮神武天皇山陵及び昭和天皇山陵に勅使発遣の儀」から納采の儀をはじめ6月29日の「昭和天皇山陵に謁するの儀」まで合計で15件ほどが行われたが、3つの国事行為以外は皇室の私的行事として扱われた。 6時30分、東宮侍従長と女官長が雅子を迎えに上がり、雅子は水色に水玉模様の地紋が入ったシルクのツーピースで目黒区の実家を後にした。同居の家族たちとお手伝いの女性、ショコラという名の飼い犬に挨拶し、宮内庁からの迎えの車に乗り込んだ。雅子の母・優美子は「お体に気をつけて、お国のために一生懸命お務めしてほしい」と伝えた。 皇居到着後は御潔斎所に入り、伝統に基づいた平安装束の正装への着替えを行った。 徳仁親王は皇太子だけが身につけることができる、上る朝日の色といわれる黄丹袍の束帯と垂纓(すいえい)の冠、笏、雅子は大垂髪に、亀甲を地紋に白い支子紋をあしらった二陪織物の青色唐衣、若松菱文を地文に南天をくわえた尾長鳥を紅色の丸い紋にした黄色の表着、忍冬唐草(にんどうからくさ)を立涌(たちわき)に配した地文の固地綾(かたじあや)で、夏の色目である花橘(はなたちばな)の五衣(いつつぎぬ)、濃色(こきいろ)幸菱文(さいわいびしもん)生(きの)固地綾の単、白小袖、濃色精好(せいごう)織りの長袴の十二単姿で、桐竹鳳凰を地摺絵(じずりえ)とする穀織(こめおり)の裳をつけ、手には皇后から譲られた檜扇を持っていた。文様のクチナシは黄丹袍を染める染料のひとつである。 10時00分から始まった宮中での結婚の儀では、二人は宮中三殿の賢所に昇殿し、回廊から賢所の内陣に進み、右に皇太子、左に雅子が、それぞれ半畳の畳に着席した。皇太子が内々陣の八咫鏡に玉串を捧げ、立ち座りを繰り返して4回拝礼する「両段再拝」をし、雅子は着席のまま拝礼した。皇太子が結婚を奉告する告文(つげぶみ)を読み、その後賢所の外陣に移り、掌典長から神酒をいただいて、最後に拝礼し15分間で終了、続いて約10分間、皇霊殿、神殿に拝礼した。退出後に、皇族代表として秋篠宮夫妻が拝礼したほか、儀式中の皇太子夫妻拝礼時には参列者も拝礼した。儀式前後には、神楽歌が奉納された。 この儀式には天皇・皇后をのぞくモーニング姿の男性皇族とアフタヌーンドレス姿の女性皇族たち、三権の長、各都道府県知事、雅子の親族など計812人が賢所の前庭にある幄舎(あくしゃ)で参列した。雅子の母・優美子と妹たちは涙をハンカチで押さえながらこの儀式を見ていた。
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