結婚の反対者たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/31 04:22 UTC 版)
「ヘンリー・ステュアート (ダーンリー卿)」の記事における「結婚の反対者たち」の解説
早速メアリーは、ダーンリーとの結婚を考えるようになる。当時、メアリーの再婚相手について様々な相手が検討されていたが、いずれの結婚もエリザベス1世やカトリーヌ・ド・メディシスの妨害などにより実現していなかった。このダーンリーとの結婚も、内外からの多くの反対にあった。まず、カトリックの国王が誕生する事に、多くのプロテスタント貴族や国民達が反対した。組合貴族達の宗教改革により、スコットランドの国教はプロテスタントになっていたためである。また貴族達の中には、レノックス伯に宿怨を抱いている者が多かった。 だが、メアリーとダーンリーの結婚について先頭に立って反対したのは、マリ伯ジェームズ・ステュアートだった。彼は元々はメアリーの異母兄というだけで、王位に対して何の正当な権利もない、ただの私生児に過ぎなかったが、メアリーがスコットランドに帰国して以来、信頼できる肉親として修道院長から伯爵にまで出世し、絶大な権力をふるっていた。マリ伯は自分の権力が失墜するのを恐れ、イングランドのエリザベス1世に結婚の阻止を頼んだ。マリ伯は、ダーンリー父子が自分を殺そうと狙っているとも主張し、メアリーと激しい口論になった。マリ伯はメアリーとダーンリーを誘拐した上でダーンリーをイングランドへ追放し、メアリーを退位させて自分が政権を握る事を計画していたという説もある。エリザベス1世にとっても、それでなくともイングランド王位継承権を持ち、自分の要求通り王位継承権を放棄しなかったメアリーは忌々しい存在だったが、強力なイングランド王位継承権を持つダーンリーと彼女が結婚することはさらに大きな脅威だった。
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