結婚の終わり、労苦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 09:05 UTC 版)
「カーソン・マッカラーズ」の記事における「結婚の終わり、労苦」の解説
彼女の結婚はうまくいかなかった。彼ら夫婦はどちらもホモセクシャルの関係だった。マッカラーズとリーブスは1940年に別居し、1941年に離婚した。彼女がリーブスと別れたあと、ニューヨークへ移り、ハーバース・バザーの編集者ジョージ・デイビスと同居した。ブルックリンで彼女はアートコミュニティーのFebruary Houseのメンバーになった。彼らの友人にはW・H・オーデン、ベンジャミン・ブリテン、ポール・ボウルズと夫人のジェーンがいる。第二次世界大戦後、彼女はほとんどパリで過ごした。このころの彼女の親しい友人にはトルーマン・カポーティ、テネシー・ウィリアムズがいる。 1945年、マッカラーズとリーブスは再婚した。3年後、彼女が鬱病のとき、自殺を企てた。1953年、リーブスは彼女に心中しようと説得したが、彼女は逃げだした。彼女が彼のもとを去ったあと、彼らが住んでいたパリのホテルで、リーブスは睡眠薬の過剰摂取で自殺した。マッカラーズのほろ苦い戯曲「The Square Root of Wonderful」(1957)では、このトラウマ体験の調査を試みている。「The Member of the Wedding」(1946)は女の子の、兄弟の結婚のときの気持ちを描いている。この小説のブロードウェイ上演(1950-1951)は成功を収め、2007年9月にはロンドンのヤング・ヴィクにてプロデュースされた。 マッカラーズは生涯にわたっていくつかの病気とアルコール使用障害に苦しんだ。彼女は15歳にリューマチ熱にかかり、若いころから卒中を起こしていた。31歳のときには、左半身がすっかり麻痺していた。卒中の結果として生じる脳の大出血のあと、1967年9月29日ニューヨーク州ナイアックで亡くなった。死までの数ヶ月間、彼女は未完の自伝「Illumination and Night Glare」(1999)を口述した。
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