戦後の改造機とは? わかりやすく解説

戦後の改造機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 06:46 UTC 版)

国鉄D51形蒸気機関車」の記事における「戦後の改造機」の解説

画像提供依頼D51 54写真画像提供をお願いします。(2018年8月戦後軍需貨物輸送事実上消滅食糧難起因する買い出し等による旅客激増により、戦時中とは貨客輸送需要が完全に逆転したこれに伴い戦時中最優先量産されていた車齢の若い貨物用機関車大量に余剰来す一方で旅客用機関車1942年以降製造されておらず、1946年から1947年にかけて急遽C57形32両とC59形73両が製造されて不足が補われ以後順次旅客用機関車増備して旺盛な旅客需要対応することが計画されていた。実際にC5759形式追加生産継続的に実施されており、1948年段階機関車メーカー各社大量仕掛品在庫抱えていた。 だが、その後預金封鎖断行されるほど逼迫していた政府財政起因する予算凍結実施され国鉄機関車自由な新規製造不可能な状況陥った。そのため、なおも不足する旅客用機関車確保すべく、1948年GHQ担当将校デ・グロートの助言従い、本形式ボイラー活用しC57形当に従輪1軸を追加した軸配置、すなわちC57形パシフィックからC60形C62形同様のハドソンとすることで重量増に対応する走り装置組み合わせたC61形旅客用機関車33製造されている。新規製造ではなく書類改造扱いだったため、予算会計上の規制回避できた。既に車籍が存在していれば、実際には完全な新製であっても書類上「改造」とすることで会計監査上の指弾免れうる、といういかにも官僚主義的なこの回避策は、戦前統制経済初期段階から地方私鉄では車両確保常套手段化していた方策である。つまり国鉄当局は、貨物用機関車ボイラー旅客用機関車転用すればよい、というデ・グロートの助言これ幸いと言質にとって、戦前から監督官庁としてその手口を知悉していたこの策を講じたまた、このプラン仕掛状態で宙に浮いていたC57形未成車の部材ひいては突然の予算凍結困窮強いられたメーカー各社救済という意味合いもあり、33両といういかにも中途半端な製造両数仕掛部材の残数に由来する。 さらに、1960年には地方線区への転用のため6両に軸重軽減改造施され新形式のD61形となっている。 個別改造機として注目すべきは、1956年11月の運転業研究会発表資料として軸重可変機構付与された、奈良機関区所属D51 65である。当時奈良機関区中在家信号場前後加太越え難所擁す関西本線担当しており、重量級列車機関車運用には困難を伴い、特に上り勾配での牽き出し時に重心移動空転発生しやすい本形式は、その改善望まれていた。D51 65での改造は、この問題解決するために提案されたもので、第4動軸後部の主台枠空気シリンダー取り付け、第4動軸従台車を結ぶ釣り合いイコライザー)の支点位置移動させて軸重バランス変え、これにより動軸重を通常の13.96tと15.46tに切り替え可能とするものである。この軸重可変機構は、上り勾配出発時における空転抑止加え撒砂量の減少により軌道保守負担軽減にも資するという特徴有し、さらに単純に甲線規格対応の強力機を導入する場合とは異なり上り勾配区間駅構内などの必要な区間のみを軌道強化すればよく、本形式運用線区制約加えるものではない、というメリットもあった。もっとも、この方式は動力近代化方向性定まってからの改造のためか他車には波及せずに終わっている。ただし、D51 65その後奈良機関区から吹田第一機関区転じ吹田操車場入換機として、比較長期にわたりこの仕様のままで運用された。なお、この軸重可変思想は本形式後継車となったDD51形において形を変えて日の目を見ている。 その他にD51形使用線区事情に応じて様々な改造施され北海道東北地方では寒冷地対策として、運転室特別整備工事称する開放運転台から乗務員扉の付いた密閉形運転台への改造実施され品質の悪い石炭常用する常磐線運行されていた水戸、平機関区配置D51 112121・123248313381389411503551645・647・672695821・914・931・9461024・1068の20両には1仕業での投炭量が4 - 5トン超過していたことから、機関助士2人乗務避けるべく自動給炭機メカニカルストーカー)を追加搭載長野では砂撒き管の増設が行われている。その他に重油併焼装置ATS発電機設置、副灯の設置キャブ屋根後方への延長、運転室左右前面部への旋回窓設置さらには変形切り取り式)デフ集煙装置変形デフ集煙装置形状担当工場ごとに細かく異なる)の装備誘導通風装置ギースル・エジェクタ)の取り付けなど、変化バリエーションは多い。重油併燃装置用の重油タンク装備位置地域ごとに異なりボイラー上のドーム後ろ側に680リットルカマボコ形タンク装備するケースと、炭水車テンダー)の炭庫後方1500リットルもしくは3000リットル直方体タンク装備したケースがある(大型3000リットルタンク装備車は東北地方多かった)。また、肥薩線大畑越え使用され人吉区のD51は、ボイラー上のタンク容量不足を補うために助手席ランボード上に200リットル補助タンク装備していた。誘導通風装置は、1963年3月長野工場改造されD51 349皮切りに117120167226232・241252276285293308315328343345357371391413・457・492・509・539・570・605711725733742・842・952・953・1037・1042・1119の合計36に対して取り付けられた。シンダ溜まり多く、また火の粉止めとしての効果得られるなど好成績で、秋田機関区北海道の各機関区、特に追分機関区所属に対して集中的にこの改造実施されている。 その中で北海道活躍したD51 54は、ナメクジドーム砂箱前方取り払い、その部分より前方標準形同様の形態改装されナメクジ形ながら標準形風貌を持つことで知られた。この機関車特異な改造だったため、オリジナル尊重する愛好家からは敬遠されたものの、変形としての人気があり、地元では「オバQ」という愛称呼ばれた

※この「戦後の改造機」の解説は、「国鉄D51形蒸気機関車」の解説の一部です。
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