戦後の推移
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 03:42 UTC 版)
戦後、1946年より旅客用機関車のEF58形が製造され始める。終戦直後の混乱期で資材の品質が良くなかったこともあって初期の車両は調子が悪く、暖房用のSG(蒸気発生装置)が搭載されていないなど、技術的には後退が見られるものであったが、車軸の軸受けには兵器需要の途絶によって浮いたローラーベアリングが採用されており、唯一本形式の進歩的部分であった。さらに1949年から始まったドッジ・ラインに基づく支出抑制などで製造が一時停止されるなどしたが、1952年からはSGを搭載したことにより車体を延長し、前面2枚窓の半流線型にデザイン変更して性能を向上させた改良機が現れて、これが大量に製造されたことから、戦後を代表する機関車の一つとなった。1953年には、60号、61号の2両がお召列車牽引用として発注・製造されている。初期製造車については後にSGを搭載するとともに後期型と同様の半流線型車体を新製して載せ換え、旧車体をたまたま同数であったEF13形に車体を譲り、同形式の体質改善に活用された。 EF58形と同系の貨物用機としてEF15形が製造されており、こちらも機器更新などの改良を繰り返しつつ200両以上が量産された。 1954年には、電気機器類は従来の方式を踏襲しつつも、走行部分は先台車を廃して通常のボギー台車とした2車体連結方式の大型機EH10形が製造され、後に登場する直流用新性能電気機関車への過渡的存在となっている。
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