戦後の掃海作業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 08:33 UTC 版)
「日本特別掃海隊」も参照 日本海軍は、田村久三元海軍大佐を最高指導者として機雷関係のスタッフを揃え、米海軍司令部との折衝を続けながら、占領軍指揮による掃海作業の準備へ入った。まず掃海艇の整備を行うと共に、当時解散しつつあった海軍軍人の中から人員の補充確保に努め、全国各地に所在する掃海関係船艇合計360隻、人員約1,900名をもって新たに掃海部隊を編成し、1945年(昭和20年)9月から10月にかけて占領政策のために一時中断されていた掃海作業を再開。掃海作業は、米海軍より敷設機雷の資料を入手し、占領軍指揮の下で、計画的に行われた。
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