戦後の手記・回想録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 05:40 UTC 版)
「九州大学生体解剖事件」の記事における「戦後の手記・回想録」の解説
日本国土を無差別爆撃し無辜の市民を殺害した敵国軍人が殺されるのは当然だと思った。ましてたった一人の倅をレイテ島で失った私にすれば、それが戦争であり自然のなりゆきだと信じていた。 — 平光吾一教授(当時の解剖実習室管理者)の手記より そのころの日本人は激高心をアメリカに対して持っていた。もちろん医者が人命にかかわる人体実験をしたことは悪いが、そこを間違わせるのが戦争であり、いかに戦争というものが人命を預かる人間でもここまで狂ったというか、そういうことが二度とあってはならないが、戦争時代にあったという事実、軍が良いと言ったからとやったという言い訳はもう今後は二度と出来ない。 — 東野利夫(医学生として解剖に立ち会ったと証言)の談話
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