第二次世界大戦と関門海峡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 05:33 UTC 版)
「関門海峡」の記事における「第二次世界大戦と関門海峡」の解説
関門海峡周辺は1895年より下関要塞司令部が設置され下関要塞として関門海峡を、第二次世界大戦中には壱岐要塞、対馬要塞とともに朝鮮海峡全体を防衛していた。太平洋戦争の末期にはアメリカ軍による飢餓作戦の一環として、B29による機雷敷設が行われた。日本近海に投下された機雷は推定1万1,000個とされ、そのうち半数近い約4,990個が関門海峡に集中的に投下されている。効果は抜群で、1945年3月には1日7万トンの船が通過していた海峡の通航量は、同年6月には1/40に減少した。それでも終戦までに113隻が触雷している。戦後の掃海作業は1960年代まで集中的に実施されたほか、2010年代においても浚渫工事などで散発的に見つかる機雷を海上自衛隊下関基地隊が処理している。現在も約1700個が未処理であると推定されている。 戦前・戦中の関門海峡については「下関要塞」も参照。
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