巡礼の年報 第3年とは? わかりやすく解説

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リスト:巡礼の年報 第3年

英語表記/番号出版情報
リスト:巡礼の年報 第3年Annees de pelerinage Troisieme annee S.163/R.10 A283作曲年: 1867-77年  出版年1883年  初版出版地/出版社マインツ 

作品概要

楽章・曲名 演奏時間 譜例
1 夕べの鐘守護天使への祈り」 "Angelus! Priere aux anges gardiens"7分00 No Image
2 エステ荘の糸杉に寄せて葬送歌(第1)」 "Aux cypres de la Villa d'Este - Threnodie I"6分30秒 No Image
3 エステ荘の糸杉に寄せて葬送歌(第2)」 "Aux cypres de la Villa d'Este - Threnodie II"9分30秒 No Image
4 エステ荘の噴水」 "Les jeux d'eaux a la Villa d'Este"7分30秒 No Image
5 哀れならずや-ハンガリー風に」(人の世に注ぐ涙あり) "Sunt lacrymae rerum"7分30秒 No Image
6 葬送行進曲」 "Marche funebre"5分30秒 No Image
7 「心を高めよ」(スルスム・コルダ) "Sursum corda!" 3分00 No Image

作品解説

2009年10月 執筆者: 伊藤 萌子

《巡礼の年報 第3年》は、同じ題名を持つ先の3つの曲集とは性格異なる曲集である。創作年代にも間があり、リスト生涯における、いわゆるローマ時代(1861-69)に作曲開始されている。リストこの期間に充実した作曲活動展開しており、その中で宗教音楽への傾倒見せている。1862年完成し1865年初演されリスト初のオラトリオ《聖エリザベト伝説》や、リスト生涯傑作であり、「私の音楽による遺書である」と語られ同じくオラトリオの《キリスト》などがある(救世主イエス降誕から復活までを描くこの作品には、グレゴリオ聖歌借用及び教会旋法導入確認される)。
本作品集の多く1877年作曲されている。それまで経緯簡単に述べると、1870年頃より、59歳リスト季節ごとにヴァイマルブタペストローマの3都市住み分ける生活を送るようになる1886年リスト亡くなるまで続くこの生活は多忙極め、しばらく創作活動滞っている。ブタペストではハンガリー王学院(今日リスト音楽院)の学長務め、自らも指導にあたっていた。だが、自らの作品が「芸術否定である」と手ひどい批判を受けるなど、周囲からの理解得られないことに対す諦めもあり、決し成功ばかりではなかった。1877年66歳になるリスト精神的に深刻な状況に陥っている。この頃知人のオルガ・フォン・マイエンドルフ男爵夫人(1838-1926)に宛てた手紙には、「絶望的な悲しみ襲われる」など、生きることへの苦しみ綴られている。
この曲集においてはレチタティーヴォ思わせる単音長いパッセージ不協和音使用目立ち作品冒頭において調性曖昧であることが目立つが、これは晩年リスト様式示している。
宗教曲が3曲(第1番4番7番)あり、その他の作品哀歌題されるものがあり、華麗さ影を潜め、強い諦念すら感じられるものとなっている。
前作の《巡礼の年報 第2年イタリア》が出版されたのは1858年だったが、それより大分経った1883年出版されている。


第1番夕べの鐘守護天使への祈り」 / No.1 "Angelus! Priere aux anges gardiens"
 タイトルにある夕べの鐘(Angelus!)とは、朝、昼、晩の三度行なわれるお告げ祈り、またその時鳴らされるお告げの鐘を意味している。このお告げとは受胎告知のこと。本作品は1877年より作曲始められ、四回の改訂経て現在のになった関連する作品として、1882年弦楽四重奏よるもの、及びハルモニウム(オルガン)によるもの(ともに1883年初版出版)がある。
 本作品は、冒頭より調性曖昧で、中々主調確立されないまま進んでおり、清澄さの中に、どこか不思議さ感じさせる曲調となっている。冒頭部分トレモロ動機は、重厚な中間部経て楽曲最終部にも現れる
リスト熱烈に支持しピアノ演奏の腕も確かだったオルガ・フォン・マイエンドルフ男爵夫人(1838-1926)宛て書簡には、「天使小さい歌を、コージマ長女書いた」とある。コージマとはリスト次女であり、ヴァーグナーとの結婚を巡って問題起こっていた(この時期には不和解消されていた)コージマ・ヴァーグナー(1837-1930)のことである。その長女のダニエラ・フォン・ビューロー(1860-1940)へ、作品献呈されている。


第2番エステ荘の糸杉に寄せて葬送歌(第1)」 / No.2 "Aux cypres de la Villa d'Este - Threnodie I"
第3番エステ荘の糸杉に寄せて葬送歌(第2)」 / No.3 "Aux cypres de la Villa d'Este - Threnodie II"
 タイトルにある「エステ荘」とは、エステ家出身枢機卿イッポリト2世によって1550年着工されベネディクト派修道院であったその後豪華な別荘美し庭園改築された。豊富な水資源生かし、「水オルガン噴水」や「ドラゴン噴水」など大小500噴水存在し、現在もティヴォリ随一観光地として人気がある。
 リストはそのエステ荘1868年よりグスターフ・フォン・ホーエンローエ枢機卿客人として滞在していた。(なお、1869年から85年まで、冬の間はここで過ごしている。)
 またタイトルにある「糸杉」は西洋において死や喪を象徴するものとして音楽限らずフィンセント・ファン・ゴッホのように絵画等でも多く扱われている。
 本作品を作曲するにあたってリストがヴィルトーソとして活躍する頃より親交があり、リスト作曲活動支援し続けたカロリーヌ・ザイン=ヴィトゲンシュタイン公爵夫人(1819-87)に宛てて1877年9月23日付の書簡において次のように書いている。「糸杉の下で過ごしているが、他のことが何も考えられないほどに、この古い糸杉の幹のことで頭がいっぱいになって離れない。私は不変重さに耐えながら、歌って泣くのを聞いた最終的にそれらを五線紙書き留めた…」という内容である。
また本記事冒頭引用したマイエンドルフ男爵夫人宛てた書簡(「絶望的な悲しみ襲われる」)もこの作品の成立関与していると考えられている。
 第2番エステ荘の糸杉に寄せて葬送歌(第1)」は、重々しい四度連続から始まり陰鬱な雰囲気満ちた作品
 第3番エステ荘の糸杉に寄せて葬送歌(第2)」も同様に力強いが陰鬱さを持った動機から始まり途中ハンガリー風の旋律経て流麗な旋律へと姿を変える


第4番エステ荘の噴水」 / No.4 "Les jeux d'eaux a la Villa d'Este"
 前に二曲続いてエステ荘に関する作品(エステ荘に関しては、前曲の解説参照のこと)。リスト晩年の作品中でも最も有名で演奏機会極めて多い。をあらわす繊細な動き朗々とした旋律明る作品。しばしば後の印象主義音楽例えモーリス・ラヴェル(1875-1937)の《水の戯れ Jeux d'eau》(1901)やクロード・ドビュッシー(1862-1918)の《に映る影 Reflets dans l'eau》(190405)を先取りしたと言及されている。
 曲の半ばには、ヨハネ福音書より引用された「わたしが与えその人のうちで泉となり、永遠の命に至る湧き出る」(新共同訳より)との標題がある。

第5番哀れならずや-ハンガリー風に」 / No.5 "Sunt lacrymae rerum"
 原文タイトルSunt lacrymae rerumはラテン語で、忠実に訳すと「人の世に注ぐ涙あり」となる。
 娘コージマとの結婚を巡って問題生じていたリヒャルト・ヴァーグナー(1813-1883)との和解成立した1872年作曲された。もともとは1848-49年に起きたハンガリー革命犠牲者捧げたハンガリー哀歌》という作品現在の曲名は、古代ローマ詩人ヴェルギリウス未完の大叙事詩『アエネーイス』第一四六二行より採られている。
 前曲とは打って変わって本作品は重さ暗さ満ちており、一部ハンガリー旋法用いられている。

第6番葬送行進曲」 / No.6 "Marche funebre"
 1867年6月19 日処刑されメキシコ皇帝マクシミリアン1世為に作曲された。ローマ時代にあたり、《ハンガリー戴冠式ミサ》の初演リヒャルト・ヴァーグナー絶縁のあった1867年作曲本作品集の中では最も早く作曲された曲である。
マクシミリアン1世(1832-1867)は、ハプスブルグ家出であり、当時オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(1830-1916)の弟でもあった。ナポレオン三世によりメキシコ皇帝据えられマクシミリアン当初より地位不安定だったが、フランス軍撤退とともに急速に力を失い捕縛され銃殺刑処された。このことはヨーロッパ中に衝撃与えたとされている。

第7番「心を高めよ」(スルスム・コルダ) / No.7 "Sursum corda!"
 作品のタイトルSursum cordaとは、ミサにおける叙唱前に為される司教会衆応答言葉属音静かな連打で始まる本作品は、全音音階(1オクターヴ全音で6等分する)が用いられている。曲名から想起されるように崇高な印象与え作品である。




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