ティヴォリとは? わかりやすく解説

チボリ【Tivoli】


ティボリ【Tivoli】

読み方:てぃぼり

チボリ


ティヴォリ【ティヴォリ】(草花類)

※登録写真はありません 登録番号 5041
登録年月日 1996年 3月 19日
農林水産植物の種類 ガーベラ
登録品種の名称及びその読み ティヴォリ
 よみ:ティヴォリ
品種登録の有効期限 15 年
育成者権の消滅 1996年 4月 19日
品種登録者の名称 ピート シュレアース デ クヴァーケル社
品種登録者の住所 オランダ王国 1424 PD デ クヴァーケル ホーフトヴアッハ 81
登録品種の育成をした者の氏名 ペトルスユードクス ウイムヘルムスシュレアース
登録品種の植物体の特性の概要
 この品種は,育成者所有系統どうしを交配し育成されたもので,花色が鮮ピンク花盤の色が黄緑花形が半八重のやや小輪花である。 葉長は短,幅は狭,切込み程度は中,先の角度鋭角葉縁の形は鋭鋸歯鋸歯先端伸展程度は中,葉色は緑,面の毛じの密度は粗,葉柄長は短,アントシアニン着色有無及び程度は弱である。花形は半八重,花容はⅣ型花径70~89mm,舌状花弁の表面の色は鮮ピンクJHS カラーチャート0104),色の分布内側向けてうすくなる覆輪有無及び縞の有無は無,裏面の色は淡ピンク(同0402),クロウ・スポットの有無は有,花盤の色は黄緑舌状花弁の形はⅠ型断面の形は凹,表面のひだの程度は中,先端角度は鈍,弁先の形は丸,切込み数は2,切込み深さは浅,舌状花弁の長さは30mm未満,幅は 5~ 9mm舌状花数は70以上,総苞の高さは中,直径は小,内部総苞葉の形は垂直,アントシアニン着色有無は有,雌雄花の花被の色は同色花柱上部の色及び柱頭の色は白,冠毛の色は黄である。花柄長さは短,断面の形は楕円帯化傾向は無,太さ強さ及び毛じの密度は中,基部アントシアニン着色有無程度は弱,頂部アントシアニン着色有無は無,頂部総苞片有無は有である。 「パープルリンド」と比較して舌状花弁の表面の色が鮮ピンクであること,舌状花の裏面の色が淡ピンクであること,舌状花弁の長さが短いこと等で,「テラキピス」と比較して,花容がⅣ型であること等で区別性認められる
登録品種の育成経過概要
 この品種は,デ クヴァーケル社の農場オランダ王国)において,1989年育成者所有系統どうしを交配し同年選抜しその後増殖繰り返しながら特性の調査確認行い1992年にその特性が安定していることを確認して育成完了したのである



ティヴォリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/20 02:17 UTC 版)

ティヴォリ
Tivoli
紋章
行政
イタリア
ラツィオ
県/大都市 ローマ
CAP(郵便番号) 00019
市外局番 0774
ISTATコード 058104
識別コード L182
分離集落 #分離集落参照
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 55061 人 (2024-01-01 [1])
人口密度 803.8 人/km2
文化
住民の呼称 tiburtini
守護聖人 殉教者聖ロレンツォ(san Lorenzo martire)
祝祭日 8月10日
地理
座標 北緯41度58分 東経12度48分 / 北緯41.967度 東経12.800度 / 41.967; 12.800座標: 北緯41度58分 東経12度48分 / 北緯41.967度 東経12.800度 / 41.967; 12.800
標高 235 (30 - 612) [2] m
面積 68.50 [3] km2
ティヴォリの位置

ローマ県におけるコムーネの領域
ポータル イタリア
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ティヴォリ: Tivoli)は、イタリア共和国ラツィオ州ローマ県にある都市で、人口約55,000人の基礎自治体コムーネ)。ローマの東約30kmに位置する。

古代ローマ時代から保養地として知られ、ハドリアヌス帝や多くの貴族たちによって別荘(ヴィラ)が営まれた。ヴィッラ・デステ(エステ家の別荘)とヴィッラ・アドリアーナ(ハドリアヌスの別荘)のふたつが、ユネスコ世界遺産に登録されている。また、多くの芸術家によって、この地を題材にした作品が作られている。

日本語文献では「チボリ」などの表記もされる(#名称節参照)。

名称

イタリア語での発音はティーヴォリが近いが、ティヴォリの他、チボリティボリなどと表記されることも多い(本項での表記は便宜上「ティヴォリ」に統一する)。

地理

位置・広がり

ローマ県東部に位置するコムーネで、ローマ中心部の東北東約28kmに位置する[4]フロジノーネからは北西へ約58km、ラクイラからは南西へ約66kmの距離にある[4]

隣接コムーネ

隣接するコムーネは以下の通り。

地勢

市内をアニエーネ川が流れる。ラテン語アニオ川と呼ばれたこの川は、テヴェレ川の支流のひとつであり、古代ローマの水道の水源として利用された。アニエーネ川の滝の景勝は、ティヴォリを有名なものにしている。

気候分類・地震分類

ティヴォリにおけるイタリアの気候分類 (itおよび度日は、zona D, 1580 GGである[5]。 また、イタリアの地震リスク階級 (itでは、zona 2B (sismicità media) に分類される[6]

歴史

創設

ローマと周辺の都市

古代ローマ(3世紀頃)の文筆家ガイウス・ユリウス・ソリヌス英語版は、マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス(大カト)の散逸した著作から、ティヴォリの創設にかかわる以下のような記述を引用している。

ティブル(Tibur)の町は、アムピアラーオスの子カティッルスによって創設された。彼はテーバイでの虐殺を逃れてここへやってきたのである。カティッルスと三人の息子たち、ティブルトゥス、コラス、そして父と同名のカティッルスらは、アニエネ台地からシケル人を追放し、ティブルトゥスの名にちなみ町をティブルと名付けた。

ウェルギリウスは『アエネイス』の中で、コラスとカティッルスの兄弟を、トゥルヌス王(主人公アエネーアースの敵役)を助けるティブル出身の軍事指導者として描いた。

歴史的根拠によると、ティブルはむしろアルバ・ロンガの植民都市であった。この一帯にある定住地の歴史的な痕跡は、紀元前13世紀に遡る。

エトルリア時代のティブルはサビニ人の都市で、シビュラが定住していた(ティブルのシビュラ)。滝の上には2つの小神殿があり、伝統的なロトゥンダの神殿には女神ウェスタを祀っていた。長方形の神殿には、マルクス・テレンティウス・ウァロがアルブネア(水のナイアード)と呼んだ巫女が祀られていた。近くの森には、ファウヌスの神聖な森があった。

古代ローマ時代のティブルはその重要性を保った。アブルッツォへ向かうアペニン山脈の山岳地帯を縦断しなければならなかったローマ人たちが、必ず通る途上にあった(ウァレリア街道からの延長道路であるティブルティーナ街道)。アブルッツォには、古代ローマの宿敵であったサビニ人、ウォルスキ族サムニウム人が住んでいた。

古代ローマ時代

ウェスタ神殿をのぞむ風景、アダム・エルスハイマー画、17世紀

初期はローマの独立した同盟都市として、ティブルは紀元前361年にガリア人と同盟した。この時代の防御壁が痕跡として残っている。しかし紀元前338年、ティブルはローマに敗退し併合された。

その後はローマの同盟市であったが、同盟市戦争を経てティブルは紀元前90年にローマ市民権を獲得し、その美しさと良質の水資源からリゾート地となり、多くのローマ人別荘が建てられて華やかであった。

最も有名な別荘の一つが、遺跡の残るヴィッラ・アドリアーナである。また、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスとその腹心であったガイウス・マエケナスは共にティブルに別荘を所有していた。マエケナスより援助を得ていた詩人ホラティウスはこぢんまりとした別荘を構えていた。彼とガイウス・ウァレリウス・カトゥルス、スタティウスは全員それぞれの詩の中でティブルについて言及している。

273年にローマとの戦争に敗れて捕虜となったパルミラ帝国ゼノビアアウレリアヌス帝によってこの地に住居をあてがわれていた。2世紀のヘラクレス神殿が現在発掘されている。現在のディアッツァ・デル・ドゥオモは、ローマ時代の公共広場の上にある。

"Villa des Maecenas mit den Wasserfällen in Tivoli"、『ティブル(ティヴォリ)のマエケナス別荘』、ドイツ人画家ヤコブ・フィリップ・ハッケルトによる1783年の作

市の名前としては、ティブルに指小辞をつけたティブリ(Tiburi)が用いられるようになり、それがティボリ(Tibori)、Tiboliへ移り変わり、最終的にティヴォリ(Tivoli)となった。しかし、住民は今も自分たちをティブルティーニ(Tiburtini)と呼び、ティヴォレージ(Tivolesi)とは呼ばない。

547年、ゴート戦争Gothic War)の過程で、市は東ローマ帝国の将軍ベリサリウスによって防備された。しかし、のちに東ゴートトーティラ軍によって破壊された。戦後は東ローマ従属の公国となり、後に教皇領に加えられた。イタリアがカール大帝に征服された後、ティヴォリは皇帝の代理人である伯爵の領土となった。

中世

10世紀以降のティヴォリは、選挙制の執政に治められる独立したコムーネとして、零落した中央ラツィオを勢力下におく戦いにおいてローマの恐るべき競争相手となっていた。神聖ローマ皇帝オットー3世は1001年にティヴォリを征服し、教皇領の元におかれた。しかし、ティヴォリは15世紀まで自治同様の状態を維持していた。都市の強力さを象徴するのは、アレンゴ城、トーレ・デル・コムーネ、サン・ミケーレ教会などこの時代に建てられた建造物である。同様に新たな市壁が増加する人口によって拡張された(1155年に認可された)。コムーネ内部の激動のかたみには、現在も見られる塔のある家、ヴィコロ・デイ・フェッリ、ヴィア・ポステラ、ヴィア・デル・セミナリオ、ヴィア・デル・コッレなどがある。

13世紀、ローマの立法機関はティヴォリ市に朝貢を課し、地元出身の執政とともに連合したうえで、市を治める伯爵を任命する権利を与えた。14世紀、ティヴォリはゲルフ(皇帝)側について、対立教皇クレメンス7世に対抗するウルバヌス6世を強力に支援した。ナポリラディズラーオ1世は、有名なコンドッティエーレのブラッチョ・ダ・モントーネ(en:Braccio da Montone)と同様、二度ティヴォリから反撃された。

ピウス2世によって1461年に建てられたロッカ・ピーア城

ルネサンス期

ルネサンスの間、教皇と枢機卿らはローマへの自らの華やかな計画に限界をもうけず、ティヴォリにも自身の邸宅を建てた。1461年、ピウス2世はどっしりとしたロッカ・ピーア城を建てた。常に騒々しい民衆から己を守るためであり、ここに永久不滅の教皇の権力の象徴として示したのだった。

16世紀から、ティヴォリにはさらに別荘建設が進められた。最も有名な別荘は、1549年にピッロ・リゴーリオがイッポーリト2世・デステ枢機卿(アルフォンソ1世・デステの実弟)のため建て始めたヴィッラ・デステである。後期マニエリスムの有名な画家、リヴィオ・アグレスティ(フォルリ派)、タッデオ・ツッカリ兄弟の手によるフレスコ画で豊富に装飾されていた。1527年、ティヴォリは神聖ローマ皇帝カール5世コロンナ家の支持者らに略奪を受け、この攻撃の最中に重要な芸術作品が破壊された。1557年、再びティヴォリは教皇パウルス4世との戦いにのぞんでいたアルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレドに占領され、1744年にはオーストリア軍に占領された。

1835年、教皇グレゴリウス16世はヴィッラ・グレゴリアーナを建てた。アニエーゼの滝周囲を中心とする別荘施設である。これらはモンテ・カティッロの中のトンネルを通ってつくられた。

現代

1944年、ティヴォリは連合国側の空爆で甚大な被害を受け、イエズス会派教会の全体を破壊された。

ティヴォリの名声は、洗練されたリゾート地として、国内外に知れ渡っている。

行政

山岳部共同体

広域行政組織である山岳部共同体イタリア語版「モンティ=サビニ・ティブルティーニ・コルニコラニ・エ・プレネスティーニ山岳部共同体」 (it:Comunità montana dei Monti Sabini, Tiburtini, Cornicolani e Prenestiniの事務所所在地であるが、ティヴォリはこの山岳部共同体には含まれない。以下のコムーネが含まれる。

分離集落

ティヴォリには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。

  • Campolimpido, Favale, Martellona, Tivoli Terme, Villa Adriana

経済

(トラバーチンの採石場

湧泉や地下水内の炭酸カルシウム石灰)成分が沈殿して生成される、平行な縞状の細孔を持つ緻密な白い石材(トラバーチン)の生産で知られる。チボリ産のものはとくに「トラベルティーノ・ロマーノ」(Travertino Romano) という石材名で有名であり[7]、古代ローマの建築物に使用されてきた。「トラベルティーノ」という名は、ラテン語で「チボリの石」を意味する「ラピス・ティブルティヌム」(Lapis Tiburtinum) に由来し、日本で使われている「トラバーチン」はその英語読みから来ている[8]

滝の水力発電はローマに供給されている。近郊の丘陵地帯はオリーブ林、ブドウ園、果樹園に覆われている。最も重要な地元産業は、製紙産業である。

姉妹都市(親善都市)

文化・観光

ヴィッラ・デステから眺めたティヴォリ
新市街から見たヴィッラ・アドリアーナ

古代から、皇帝ハドリアヌスや多くの貴族達の別荘が創られてきたことからもわかるように、独特の優美さと神秘的で夢想的なロマンス漂う牧歌的な美しき地である。緑豊かで穏やかな空気が流れており、タイムスリップしたかのような感覚を満喫することも出来るため、「ローマからの小旅行」として旅行する人たちも多い。

優れた芸術家達が、自身のコラージュ作品、写真作品、文章作品(詩や小説)、絵画作品、映像作品、音楽作品などで、 このティヴォリの地からインスピレーションを得たものを創作・表現し,発信して来ている。

交通

A24
ティーヴォリ駅
ティーヴォリ駅

道路

高速道路(アウトストラーダ

市域南西部(バーニ・ディ・ティーヴォリ南方)で、南北に走るA1と東西に走るA24が交差する。A24にティーヴォリ出入り口がある。

国道・主要道路

鉄道

トレニタリア (FS)

ローマ・ティブルティーナ駅を起点とするローマ=スルモーナ=ペスカーラ線は、市域南西部のバーニ・ディ・ティーヴォリ駅から北へグイドーニア・モンテチェーリオに迂回し、ティーヴォリ駅を経て東へ向かう。この路線のローマ・ティーヴォリ間は、ラツィオ州の鉄道運行網 FL2(旧称 FR2) (it:FL2 (ferrovia regionale del Lazio)である。

人物

著名な出身者

ティヴォリの名を冠するもの

  • デンマークの首都コペンハーゲンにあるチボリ公園は、1843年に開設された遊園地である。日本の岡山県倉敷市にあった倉敷チボリ公園(1997年開園、2008年閉園)は、デンマークのチボリ公園をモデルとしていた。
  • 兵庫県宝塚市にはかつて温泉施設「宝塚チボリ カラカラテルメ」(2009年閉館)があった。「宝塚チボリ」の名称はその後も同一運営会社によるゴルフセンターなどが用いている。

脚注

  1. ^ Popolazione residente per sesso, età e stato civile al 1° gennaio 2024” (イタリア語). 国立統計研究所(ISTAT). 2025年3月20日閲覧。メニューでVista per singola areaを選択。Anno:2024, Ripartizione:Centro, Regione:Lazio, Provincia:Roma, Comune:Tivoli を選択
  2. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Roma(dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年9月30日閲覧。
  3. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale(Kmq) - Roma(dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年9月30日閲覧。
  4. ^ a b 2点間の直線距離を測る”. 2013年10月7日閲覧。
  5. ^ Tabella dei gradi/giorno dei Comuni italiani raggruppati per Regione e Provincia”. 新技術エネルギー環境局(ENEA) (2011年3月1日). 2017年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月20日閲覧。
  6. ^ classificazione sismica aggiornata al aprile 2023” (xls). https://rischi.protezionecivile.gov.it/it/sismico/attivita/classificazione-sismica/. イタリア市民保護局. 2023年12月16日閲覧。
  7. ^ トラバーチン”. 世界大百科事典 第2版(コトバンク所収). 2016年4月6日閲覧。
  8. ^ 鈴木徹、秋山信茂「「トラベルティーノとローマ」―彫刻と建築における素材としての石灰華(岩)―」『文教大学教育学部紀陽』第35号、2001年、2016年4月6日閲覧 

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