国鉄・JR西日本・あいの風とやま鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:45 UTC 版)
「高岡駅」の記事における「国鉄・JR西日本・あいの風とやま鉄道」の解説
1897年(明治30年)11月17日 - 中越鉄道線高岡 - 黒田仮停車場間が竣工する。 1898年(明治31年)1月2日 - 中越鉄道高岡 - 黒田仮停車場間の延伸開業に伴い、中越鉄道の駅として開業する。同時に黒田仮停車場を廃止する。そもそも中越鉄道線は、1896年(明治29年)6月6日に官設鉄道高岡駅建設予定地であった博労町地内(現在の高岡市立博労小学校附近)において起工式を挙行し、同地点を起点として建設されたのであるが、1896年(明治29年)7月から8月にかけての庄川および千保川の大洪水によって損害を受けたため、官設鉄道高岡駅の建設予定地を変更することとなった。また、当時の博労町においては同地に駅が敷設されることに対して、町の発展の妨害になるとして反対する声も根強かったといわれるが、典型的な「鉄道忌避伝説」なので疑わしい。中越鉄道は鉄道作業局の建設予定地変更の意向に合せて高岡駅への建設工事を中断し、黒田仮停車場において一時的に開業することとなった。その後、官設鉄道高岡駅の建設予定地が改めて射水郡下関村地内になることが決定したため、黒田仮停車場 - 高岡間は遅れて開業することとなったのである。開業当時の下関村は畑地や笹原が多く、人家は少ない地帯であったという。 5月1日 - 中越鉄道が高岡 - 伏木間鉄道敷設免許を受ける。 11月1日 - 官設鉄道北陸線 金沢駅 - 当駅間延伸開業に伴い、官設鉄道の駅が開設(一般駅)。 1899年(明治32年)3月20日 - 官設鉄道北陸線 当駅 - 富山駅間延伸開業に伴い、当駅が同線の途中駅となる。 1900年(明治33年)12月13日 - 中越鉄道線当駅 - 伏木間が竣工する。 12月26日 - 中越鉄道が当駅 - 伏木間の運輸営業免許を受ける。 12月29日 - 中越鉄道伏木 - 当駅間延伸開業。 1909年(明治42年)4月1日 - 中越鉄道が鉄道院総裁と官設高岡駅共同使用契約を締結する。 4月5日 - 中越鉄道高岡駅を廃止し、官設高岡駅の共同使用を開始する。 10月12日 - 国有鉄道線路名称制定により北陸本線の駅となる。高岡駅は北陸本線の所属駅となる。 1920年(大正9年)9月1日 - 中越鉄道が国有化され、伏木駅 - 城端駅間が国有鉄道中越線となる。当駅は国有鉄道単独駅となる。 1942年(昭和17年)8月1日 - 当駅を境に中越線の線路名称を改定。伏木駅 - 当駅間は氷見線に編入され、当駅 - 城端駅間は城端線に改称。 1949年(昭和24年)6月1日 - 日本国有鉄道法施行に伴い、高岡駅が日本国有鉄道(国鉄)に継承。 1961年(昭和36年)7月 - 駅前広場を整備し、また駅前ビルを建設する。 1963年(昭和38年)9月15日 - 新高岡停留場を駅前広場に移転、路線長を0.1km短縮。 9月27日 - 北陸本線高岡 - 越中大門間が複線化。 10月 - 高岡市が株式会社鉄道会館に民衆駅建設調査を委託する。 12月 - 高岡市が民衆駅設置事務局を開設し、民衆駅建設計画立案業務を開始する。 1964年(昭和39年)1月 - 高岡民衆駅建設推進委員会が設置され、民衆駅内開業予定の商業施設名を「高岡ステーションビル」と決定する。 8月24日 - 当駅含む金沢駅 - 富山操車場(現在の富山貨物駅)間が交流電化する。これに合せてホーム、跨線橋などを改築する。 1965年(昭和40年)6月 - 高岡民衆駅建設が国鉄の承認を受ける。 9月 - 高岡民衆駅建設に着工する。 8月25日 - 北陸本線千保川信号場(廃止済) - 当駅間が複線化。 1966年(昭和41年)12月1日 - 駅舎が竣工し、竣工式を挙行する。地上3階に合せて地下1階を有し、1階に国鉄関係、2階に銘産品店等63店、3階に食堂街、地下1階に食品店および喫茶店など28店が入居する民衆駅であった。 1967年(昭和42年)10月16日 - 駅前地下道が開通する。 1969年(昭和44年)11月30日 - 駅前地下道が完成する。 12月 - 「高岡ステーションビル」と「高岡駅前地下街」が開業。 1974年(昭和49年)10月1日 - 営業範囲を改正し、旅客、荷物および車扱貨物を取扱う駅となる。 1983年(昭和58年)3月1日 - 城端線全線において列車集中制御装置 (CTC) の使用を開始する。 1986年(昭和61年)11月1日 - 営業範囲を改正し、車扱貨物の取扱を廃する。また、荷物の取扱は爾後新聞紙のみとなる。 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。 1999年(平成11年)5月7日 - 北陸新幹線新駅設置問題をめぐり、高岡にて地元経済界による「現駅併設高岡市民会議」が発足し、北陸新幹線の当駅乗入れを訴える。 7月12日 - 第4回高岡市新幹線問題懇話会において高岡市長(当時)の佐藤孝志が、北陸新幹線の当駅乗入れを断念する旨を表明する。 7月14日 - 高岡市商工会議所が北陸新幹線の当駅乗入れを断念することを表明する。 2000年(平成12年)7月25日 - 高岡駅周辺整備計画策定委員会が、当駅駅舎を橋上駅となし南北を自由通路を以て接続する計画をまとめ、連続立体交差化を断念する。 2002年(平成14年)10月8日 - 高岡市が高岡駅周辺整備事業中間報告において高岡ステーションビルの取毀し、橋上駅及び歩行者専用南北自由通路の建設、万葉線の駅構内乗入れ等の具体案を公表する。 2005年(平成17年)3月1日 - おりんの演奏による発車メロディ「越の高岡」の使用を開始する。 2007年(平成19年)10月13日 - JR高岡駅の橋上化工事開始。 2009年(平成21年)12月12日 - 当駅橋上駅化事業第一段階たる南北連絡通路が竣工し、同月13日より南口仮駅舎の供用を開始する。 2011年(平成23年)8月28日 - 橋上駅舎完成・供用開始。 12月31日 - 「高岡ステーションビル」と「高岡駅前地下街」の営業を終了。 2014年(平成26年)3月29日 - 高岡駅ステーションビル「Curun TAKAOKA」開業。 6月1日 - 高岡駅地下街の全面供用を開始。 2015年(平成27年)3月7日 - 新接近メロディを採用。 3月14日 - 北陸新幹線長野駅 - 金沢駅間延伸開業に伴い、当駅含む北陸本線倶利伽羅駅 - 市振駅間があいの風とやま鉄道に移管。あいの風とやま鉄道管轄によるJR西日本との共同使用駅となる。同時にJRの所属線を城端線に変更。 3月26日 - あいの風とやま鉄道の駅でICカードICOCA供用開始。 2016年(平成28年)2月27日 - ICOCA対応の自動改札機を導入。 2017年(平成29年)3月13日 - あいの風とやま鉄道標準放送導入に伴い、新接近メロディ「ふるさとの空verB」を導入する。
※この「国鉄・JR西日本・あいの風とやま鉄道」の解説は、「高岡駅」の解説の一部です。
「国鉄・JR西日本・あいの風とやま鉄道」を含む「高岡駅」の記事については、「高岡駅」の概要を参照ください。
- 国鉄・JR西日本・あいの風とやま鉄道のページへのリンク