国鉄・JR特急としての「さくら」とは? わかりやすく解説

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国鉄・JR特急としての「さくら」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 09:22 UTC 版)

さくら (列車)」の記事における「国鉄・JR特急としての「さくら」」の解説

東海道本線優等列車沿革」も参照 1929年9月鉄道省当時東京駅 - 下関駅間で運行していた、特別急行列車列車愛称与えたが、そのうち3・4列車「櫻」(さくら)の愛称与えた。 この3・4列車は、1923年7月から運行開始したが、この列車は、1912年6月から運転を開始していた日本初特別急行1・2列車に次ぐものであった。しかし、編成1・2列車一等二等車のみで編成され食堂車も「洋食堂車」を連結していたのに対し3・4列車三等車中心に連結し食堂車は「和食堂車」だった。どちらかといえば大衆向けの列車であったようである。1・2列車続行するダイヤ運転されていた。 1925年5月より3・4列車充当され三等車専用客車として2列一方向固定座席備えスハ29300形(スハ28400形)・スハフ29500形(スハフ28800形)に置き換えた「櫻」愛称与えられた後1930年には編成スハ33900形・スハフ35250形といった鋼製客車置き換えられ1931年6月からは京都駅 - 下関駅間で三等寝台車を連結1934年3月より全区間連結)、1934年12月丹那トンネル開通に伴うダイヤ改正では二等寝台座席車連結されるようになった。この時、1・2列車富士」との続行運転もとりやめられ1時間半間隔置いて運転するようになった1937年には輸送量増強のため三等座席車スハ32800形に置き換えられ1941年7月には戦時体制強化により三等寝台車の連結中止された。 1942年11月関門トンネル開通によるダイヤ改正で、「櫻」鹿児島駅まで延長されるが、同時に列車番号それまで東京駅 - 下関駅間各等急行7・8列車改正後東京駅 - 鹿児島駅間各等急行3・4列車)と番号入れ替える形で二・三急行7・8列車格下げとなり、愛称消滅した。しかし、東京駅 - 下関駅間のダイヤ編成について特急「櫻」と同じである。 1943年7月それまで特急列車を「第一種急行」、急行列車を「第二種急行」とする制度変更実施されたが、この変更で旧「櫻」である東京駅 - 鹿児島駅二・三急行7・8列車第一種急行料金適用され列車番号3・4列車戻された。同年10月に「決戦ダイヤ」と称する旅客列車削減速度低下させるダイヤ改正が行われた際も東京駅 - 鹿児島駅二・三急行3・4列車(旧「櫻」)は残されたが、1942年11月から1943年6月まで3・4列車名乗っていた各等急行7・8列車展望車一等寝台車連結中止下関駅打ち切りとなった。なお、この急行7・8列車ダイヤは、戦後きりしま」の元となる東京駅 - 鹿児島駅直通急行列車の元ともなっている。1944年4月には「決戦非常措置要綱」に基づいて富士」を廃止一般営業列車から展望車一等車寝台車食堂車連結中止された後も急行3・4列車存続列車統廃合経て1945年3月時点残存し唯一の東京駅 - 下関駅急行1・2列車3・4列車ダイヤ引き継いだものであった第二次世界大戦後「さくら」愛称復活したのは、1951年4月 - 5月東京駅 - 大阪駅間を運行した特急「つばめ」・「はと」の救済臨時列車として東京駅 - 大阪駅間に設定され臨時特急列車「さくら」の名称を与えたのである。 この時こそ三等車食堂車のみの編成組成となったが、この列車この後設定され二等車特別二等車)の設定なされた戦前「櫻」と同様、三等車主体編成であったが、著名人外国人乗車した日には一等展望車増結されたこともあった。1957年10月ダイヤ改正には不定期列車昇格東海道本線電車特急登場する1958年10月ダイヤ改正まで多客時の増発臨時列車として運転された。 また、ビジネス特急」の仮称持っていた20系電車「こだま」号の登場に際して列車愛称一般から公募した時の仮称として一部部内用いたともされる高度経済成長時代に入ると、東京九州を結ぶ長距離寝台特急列車として、緒となる「あさかぜ」に続く形で長崎本線系統特急列車として運行開始した列車「さくら」の名が与えられた。1965年からは一部編成佐世保線佐世保駅まで乗り入れるようになった。 なお、東京から長崎本線経由する系統長距離寝台特急列車には当初あさかぜ」に続く風に関す愛称列車として「さちかぜ」が設定されたが、「あさかぜ」と紛らわしいため、1958年10月ダイヤ改正時に東京 - 大阪駅間ビジネス特急佳作であった「平和」に改められた。しかし、「平和」の語調硬さからか1959年7月20系客車導入際し再び改められ「さくら」となった。なお、この「さくら」東京駅 - 大阪駅ビジネス特急列車愛称佳作として名を連ねていた。 後に運行開始する鹿児島本線系統「はやぶさ」日豊本線系統の「富士と共にいわゆる九州ブルートレイン」の一角として国鉄並びにJR花形列車となったが、同じ国鉄JR新幹線東海道・山陽新幹線)や、完全な競合である航空機などの競合交通手段対す時間的な不利や、1970年代から続いた相次ぐ運賃・料金値上げ1990年代以後航空運賃多様化による実質的な値下げ格安ビジネスホテル台頭車両老朽化などによって乗客減少一途辿り1999年佐世保駅発着列車廃止され「はやぶさ」との併結運転で残っていた長崎駅発着列車2005年3月廃止となった

※この「国鉄・JR特急としての「さくら」」の解説は、「さくら (列車)」の解説の一部です。
「国鉄・JR特急としての「さくら」」を含む「さくら (列車)」の記事については、「さくら (列車)」の概要を参照ください。

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