各種刊本の系譜とは? わかりやすく解説

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各種刊本の系譜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 03:04 UTC 版)

三国志演義の成立史」の記事における「各種刊本の系譜」の解説

16世紀嘉靖から万暦にかけては、江南中心に印刷業書籍の流通業が発達し空前出版ブーム発生した時期である。著作権概念無かった当時演義』に限らず、ある作品人気になると、別の書店がその版木覆刻複製して販売することが横行しその際独自のエピソード増補した改作して他の書店差別化するなどの売り方がとられた。『演義』は最初に人気になった通俗小説でもあり、様々な書店から非常に多く刊本テキスト)が売り出された。好評得た刊本からさらに孫引きした複製増補が加わることもあり、採用され逸話や用語・用字の違いなどから、各刊本どうしの系譜関係が類推できる。嘉靖本からの進化ですべてを説明した鄭振鐸をはじめ、小川環樹存仁・周頓・上田望などが様々な説唱えているが、ここでは金文京中川諭による研究を基に説明する。 現在までに発見されているテキストのうち、主要なものは以下の通りである。 『三国志演義』主要刊本書名通称刊行巻数発行図像関索周詩所蔵三国志通俗演義 嘉靖嘉靖元年1522年24巻 不明 なし なし な上海図書館天理市図書館ほか 新刊按鑑漢譜三国志伝絵象足本大全 春本 嘉靖27年1548年10巻 逢春 あり なし あり エスコリアル修道院スペイン新刊校正古本大字音釈三国志通俗演義 周曰校本 万暦9年1581年12巻 万巻仁寿堂) なし 関索 あり 北京大学内閣文庫蓬左文庫ほか 李卓吾先生批評三国志観明不明 120不明 あり 関索 あり 北京大学内閣文庫蓬左文庫ほか 音釈補遺按鑑演義全像批計三国志伝 余象斗本 万暦20年1592年20巻 双峰堂(余象斗) あり 花関索 あり 建仁寺ケンブリッジ大学・ヴュルテンブルク州立図書館オックスフォード大学大英博物館 新刻音釈旁訓評林演義三国志史伝 鼎臣不明 20巻 双峰堂(余象斗) あり 花関索 あり ハーバード大学燕京図書館ロンドン博物館 鍾伯敬先生批許三国志 鍾伯敬本 天啓~崇禎年間? 20巻120回 積慶堂 なし 関索 あり 東京大学天理大学 四大奇書第一種 毛宗崗本 康煕5年1666年)? 19巻 愛日堂 あり 関索 なし 李笠翁批閲三国志 李漁康熙18年1679年)? 120不明 あり 関索 あり 北京図書館京都大学パリ国家図書館 発行者発行年などの書誌情報失われている場合が多いが、以下のような要素材料に、系譜関係を推測できる繁簡の別明代長篇小説は、精細な叙述で詩詞を交えた「文繁本(繁本)」と、文章簡略化して挿絵入れるなどした「文簡本(簡本)」に大きく分けられることが多い。『演義』でも『水滸伝『西遊記』と同様、先に繁本が成立し、そこから文章量を削減した簡本ができたと見られる李卓吾批評李贄(字は卓吾、1527年 - 1602年)は、偽りのない心を尊ぶ童心説知られ陽明学者で、低俗見られていた小説高く評価した経書詩文至高文学としていた旧来の儒教的価値観から逸脱していたため、迫害され獄中自殺したが、出版業界では通俗文学を評価した李卓吾名声高まった。そのため小説中に李卓吾の名を使った批評をつけて、売りにすることが流行した実際に昼などの文人李卓吾の名を騙ったもの)。後に日本もたらされた呉観明本をはじめ、緑蔭堂本・蔡光本などが書名に「李卓吾先生批評」と冠しており、まとめて李卓吾本系呼ばれる。 ほかに、李卓吾思想系譜を引く竟陵派の鍾惺(伯敬)の名を冠した鍾伯敬本もある(これも鍾惺本人注釈ではない)。 巻数・章回嘉靖以来の『演義』は全240則(則は話のまとまり春本では段と称する)から構成され20巻本では12則が1巻24巻本では10則が1巻となっていた。各則には短い題名がつく(ただし第○則とか第○段といった数字表記はない)。ところが『水滸伝』などの影響により、李卓吾評本ではこの構成を、2則を併せて1回とし、全120回とする構成変更した章立てを「第○○回」と数字呼称することから「章回小説」と呼ぶ。 後の毛宗崗本では、さらに各回題名対句表現とし、各回最後に○○如何、且聴下回分解続きはどうなるか、次回お聞きあれ)」という講談形式台詞挿入している。 関索説話有無前述通り刊本によって関羽の子関索登場しないもの、登場する場面が違うものがある。便宜上孔明南征関索従軍するものを関索系、荊州関羽元に母を伴って現れるものを花関索系と呼ぶ。 周静軒詩の有無周礼(号は静軒先生)は、弘治年間在世したと推定される杭州在野歴史家で、『演義』で描かれる歴史的事件について多くの詩を詠み、それらが挿入され刊本も多い。周静軒の詩が挿入され最初刊本は、1548年春本で、嘉靖本に見えないその後多く刊本そのまま受け継がれたが、毛宗崗はこれを削除している。 まず、各種刊本大きく3つの系統分けられる。最も分かりやすい違い改則箇所(どこで次の則に移るか)である。たとえば帝号を称した袁術呂布攻めて破れた場面(毛宗崗本では第17回に相当)は、内容自体にはあまり相違が無いが、改則している箇所を見ると、嘉靖本では曹操使者江東訪れ孫策が兵を起こそう考え場面、余象斗本では袁術呂布敗れて逃げた際に謎の軍(実は関羽)が現れたという場面鼎臣本では陳珪陳登楊奉韓暹呂布から引き離した真意を語る場面でそれぞれ則が改まっている。毛宗崗本を除くすべて刊本は、以上の3種類のいずれか改則しており、これによって分類できる1つ目のグループ嘉靖本を含む、主に南京金陵)の書店から発刊され24巻立て(あるいは12巻立て)のテキストで、これを「二十四巻系」と呼び、周曰校本李卓吾評本などが含まれる改則箇所異なるが、他の要素注意深く見ると毛宗崗本もこのグループに近いことが分かる。その他は、主に福建建陽)の書店から発刊され三国志伝史伝)」の名が特徴的な20巻立てのもので、余象斗本を中心として鄭少垣本・楊閩斎本など文章詳細なグループ(「二十巻繁本系」と呼ぶ)と、鼎臣本・劉龍田本楊美生本など文章簡略化されたグループ(「二十巻簡本系」と呼ぶ)に分けられる。この時期南京福建書店出版戦争とも言うべき激し商戦繰り広げており、余象斗や鼎臣といった福建書林は『演義』に限らず水滸伝』や『西遊記』においても、南京書店対抗して独自の増補工夫施して他と差別化図った意欲的な業者として知られる。これら福建二十巻系は、繁本系・簡本系ともに嘉靖本より前の抄本の古い内容と見られる内容が残る。一方嘉靖本と同じグループ二十四巻諸本も、嘉靖本から直接進化したではなくそれより古い抄本参照した形跡がある。これらの流れをまとめると以下のようになる。 原「三国演義成立後、『演義』が抄本形式広まった段階で、史書によって修訂されたものとそうでないものに分かれた修訂経た方で早く刊本になったのが嘉靖本であり、それにいくつかの説話や周静軒の詩を挿入したのが周曰校本などにつながる。一方修訂経ないテキストにも周静軒詩が挿入された。このうち一つ春本である。そしてその中で文章簡略化したものとしていないものに分かれ簡略化ていない方に関索説話挿入したものが二十巻繁本系簡略にしたもの関索説話挿入したものが二十巻簡本系につながる。万暦年間二十四巻諸本李卓吾批評称する注釈入れたものが現れ、章回分けが行われたのが李卓吾評本である。この李卓吾本の流れから清代入り史実重視して虚構削ったものが毛宗崗本となる。

※この「各種刊本の系譜」の解説は、「三国志演義の成立史」の解説の一部です。
「各種刊本の系譜」を含む「三国志演義の成立史」の記事については、「三国志演義の成立史」の概要を参照ください。

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