初期ロリコン漫画の特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 16:14 UTC 版)
「ロリコン漫画」の記事における「初期ロリコン漫画の特徴」の解説
この当時流行していたロリコン漫画というジャンルは、頽廃的な幼女趣味に基づく漫画表現のみを単純に指していたわけではなく、SFアニメや特撮などに育てられた若い世代の描き手たちが生み出した「パロディ的・アニメ的で必ずといっていいほど美少女が登場するような作品群」を半ば冗談で括ったネーミングであった。つまり、広義の意味では「美少女をキーワードとする新しい感覚の少年漫画」全般を指していたのである。これに関してコミックマーケット準備会2代目代表で漫画評論家の米沢嘉博は「同人誌における少年漫画がロリコン漫画によって復権した」と語っている。また志水によれば、それ以前から類似同人誌に存在していた、下記3つの異なる志向がロリコン漫画ブームにより部分的に重なり合ったと言う。 メルヘンチックな、あるいはオトメチックなかわいいものに接したい。 エロチックな、あるいはセクシャルなものに接したい。 (主にアニメの)ひいきのキャラクターに接したい。 その結果「ロリコン」は「美少女を素材とした広い意味でのファンタジー表現を包括する概念」として汎用化され、このジャンルは後に「美少女コミック」として括られることになる。 おたく文化におけるロリコン文化の受容と拡散について米沢嘉博は次のように説明している。 ロリコンは、吾妻ひでおブームと重なって出てきた。マンガの中の少女のエロチシズムを認め、自覚しようとするものであり、当初提唱された概念は、今で言う「萌え」に非常に近い。即物的な少女姦、ペドフィリア、ではなく、精神的な「少女」への愛しさ、自らの子供時代に向けた追憶、世界として自律していた「少女」という美など様々なものを含んでいた。小説、映画、絵画などの中に散らばっている「少女」のモチーフのフレクト。無垢な現実の少女たちを、時間を記憶する装置であるカメラやビデオによって、その時を止め置く行為。それは、SEXという行為とは無関係に成立する。かわいさへの憧憬であり、「美」の収集の一つでもあったはずだ。ほんの一時の間、少女は輝き、子供でも女でもない「時間」の中に生きる。それが失われるものであるなら、その刹那的なまでのはかなさを記録しようとすることに、他意はない。ロリコンが、「少女の美」にこだわっていたのは、「少女」という存在が孕む物の大きさ故だったのでもあるのだろう。しかし、それは少女への性犯罪という現実の犯罪と混同され、一方では「ロリコン」という言葉から「商品化された性」として消費されていく、プラグマティックなエロマンガを生み出していった。こうした「ロリコン」の一般化、混乱などが、後に問題を引き起こしていったのかもしれない。 ただ、マンガ状況の中では「ロリコンマンガ」は八〇〜八三年のわずかな時期、マンガの中の「少女」にエロスを感じたり、萌えたりすることの言い訳として、ちょっと危なげでオシャレな言葉として燃え上がっただけだ。少女の美学は、ナバコフ、キャロル、ラスキンといった作家と関係付けて語られ、ペダンティックに取り扱われもしたし、古今東西の文化や芸術も漁られた。それは「JUNE」「耽美」が、ジュネ、澁澤龍彦、三島由紀夫などと共に一つの文学的少女趣味として「少年愛」を語ったのに似ていた。ジュネは、より普通の少年たちによる「やおい」によって一般化したように、ロリコンマンガは、アニメ、少女マンガ、少年マンガなどの絵によって描かれる「エロマンガ」である「美少女コミック」へと一般化し、消えていくことになるのだ。 さらに米沢は吾妻ひでお人気とも重なる同人誌発のロリコンブームについて「“少女”というモチーフを少年漫画や青年漫画の中で浮上させていくだけでなく、SF/ニューウェーブ/少女漫画/アニメ等と結びつかせたことで新世代にとっての心地良さ感覚をエロスとして描いていく方法論を内在させていた」と説明し、昭和30年代以後の世代のためのエロ表現として従来の三流劇画とは一線を画した「アニメ絵によるエロ漫画」が登場したと位置づけている。また、こうした作品への思い入れは青年男性を中心に「二次元コンプレックス」なる現象を生み出すことにもつながっていった。 とりわけ宮崎駿監督『ルパン三世 カリオストロの城』を題材にしたさえぐさじゅんの『クラリスMAGAZINE』や高橋留美子の『うる星やつら』をはじめとするアニメ調や少女漫画風の男性向け同人誌がコミケで急増し、そこから描き手の供給を得ながらロリコン漫画同人誌ブームのひとつの到達点として1981年12月に商業初の美少女コミック誌『レモンピープル』(あまとりあ社)が創刊される。創刊に際しては米沢嘉博の全面協力のもと、蛭児神建、千之ナイフ、破李拳竜、孤ノ間和歩、森野うさぎ、猫井るとと、MEIMU、阿乱霊、火野妖子らコミケ出身の同人作家が大量に起用されたほか、吾妻ひでお、内山亜紀、中島史雄、村祖俊一、あさりよしとお、御茶漬海苔、ちみもりを、雨宮じゅん、しのざき嶺、新田真子、牧村みき、阿島俊らも執筆陣として参画した。 ここまでの経緯を阿島俊は次のように総括している。 79年末、たぶん『OUT』で連載されていた「病気の人のためのマンガ考現学」(米沢嘉博)で、さりげなく「シベール」のことが紹介され、「ロリコン」というキーワードがあたえられた時、同人誌は大きく変化し、コミケットでは、シベールに大きな列が出来、混乱が起きた。続く横浜で行なわれたコミケット18では、吾妻ひでおの出した「ミャアちゃん官能写真集」が一人一冊という頒布にもかかわらず1500冊を売っている。そして、この刺激を受けて、ロリコン同人誌と呼ばれる新たな波が同人誌界で生まれるのだ。その方向性は大きく分けて3つあった。一つは、少女という美学にこだわり、キャロル以来の流れにある「ロリータコンプレックス」という「少女妄想」をテーマに創作、研究などを行なう本。ロリコンという言葉をもっと単純に捉えて、女の子の出てくるエッチなマンガ、エロマンガを描く方向。そして、アニメやマンガの中に出てくる少女キャラクターを、男性の性的妄想をテコにパロディにする方向だ。「シベール」を核にして、同人誌界にはロリコンブームが訪れることになる。アリス、変質社、キャロリータ。さらにピグマリオニズムをテーマにした「人形姫」(サーカスマッドカプセル)。アニメキャラ系では「カリオストロの城」のヒロインを扱った小冊子「クラリスマガジン」。80年から82年、サークルの数は20から30もなかったにも関わらず、女性が8割を占めていた同人誌界に、大量の男性参加者を呼び込むことになっていった。こうした「ロリコン」という方法論、キーワードによって、留美子系サークルなどのジャンルも築かれていったのだ。〔……〕 一方、創作少女マンガサークルは、JUNE系の特化が行なわれていき、ロリコンにたいする「アダルトコンプレックス」(おじさま趣味)がまのとのまなどを中心に提唱される一方、かわいい系少女マンガの描き手を中心に「ショタコン」という言葉が作られることになる。これらは明らかに「ロリコン」への女性たちの対抗文化であった。〔……〕 こうした中、初の商業誌としてのロリコンマンガ誌『レモンピープル』が創刊されることになるのである。 — 阿島俊『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史』久保書店 2004年9月 p.22「序章/マンガ同人誌の歴史 〜1981」より一部省略して引用
※この「初期ロリコン漫画の特徴」の解説は、「ロリコン漫画」の解説の一部です。
「初期ロリコン漫画の特徴」を含む「ロリコン漫画」の記事については、「ロリコン漫画」の概要を参照ください。
- 初期ロリコン漫画の特徴のページへのリンク