初期ロマン派、盛期ロマン派音楽とは? わかりやすく解説

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初期ロマン派、盛期ロマン派音楽(-1850)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 05:07 UTC 版)

ロマン派音楽」の記事における「初期ロマン派、盛期ロマン派音楽(-1850)」の解説

楽曲素材対す1810年代までの変化は、旋律中における半音階のいっそうの利用やより表情豊かな和声法への要求並んで一目瞭然変化となったナポレオン以後ヨーロッパという新し環境では、訴求力を持つ作曲家のための舞台出来上がった。 これらの作曲家第一波は、概ねベートーヴェンシュポーアホフマンのほか、カール・マリア・フォン・ウェーバーフランツ・シューベルトであった。これらの作曲家は、18世紀後半から19世紀初頭までの演奏界の劇的な急成長のさなかで育っている。大勢から従うべき模範として認められていたのはベートーヴェンであったが、クレメンティ半音階的旋律加え ルイジ・ケルビーニ エティエンヌ=ニコラ・メユール ジョアキーノ・ロッシーニオペラ作品影響力をもっていた。それと同時に中産階級にとって自宅での音楽活動家庭生活重要な部分となりつつあったため、民族詩への曲付けピアノ伴奏歌曲作曲は、作曲家重要な収入源となったこのようなロマン主義の波において重大な作品は、 ウェーバー一連のロマンティック・オペラ(《オベロン》《魔弾の射手》《オイリアンテ》) シューベルト連作歌曲交響曲 などである。シューベルト作品は、当時聴衆の前での演奏限られていたが、次第衝撃力広げていった。対照的にジョン・フィールド作品はすぐ有名になった。フィールドピアノのため性格的小品舞曲創る能力恵まれていたからである。ロマン派作曲家次なる一団は、 エクトル・ベルリオーズ フェリックス・メンデルスゾーン フレデリック・ショパン フランツ・リスト である。みな19世紀生まれであり、初期の経歴から作品創作とりかかっている。メンデルスゾーンとりわけ早熟であり2つ弦楽四重奏曲弦楽八重奏曲演奏会用序曲夏の夜の夢》を完成させたのは、まだ10代のうちであったショパンピアノ曲作曲集中しようとしていた初期に、2つピアノ協奏曲練習曲集完成させており、ベルリオーズベートーヴェン以後で最も重要な交響曲先駆け幻想交響曲》を完成させている。 また、今日ではロマンティック・オペラ呼ばれている音楽は、パリ北部イタリアとの強力な関係によって成立したのであるフランス超絶技巧オーケストラと、イタリア風の声楽の旋律線や劇的な燃焼力との結合は、原作大衆文学からとる傾向相俟って今なおオペラの舞台君臨し続けているような、感情表現1つ規範となっている。 ヴィンチェンツォ・ベッリーニ ガエターノ・ドニゼッティ が、この頃すこぶる人気であったロマン主義このような局面についての重要な視点は、ピアノ演奏会リスト用いた言葉借りるなら「リサイタル」)の幅広い人気であった当時リサイタルは、人気のある主題による即興演奏小品ベートーヴェンモーツァルトピアノソナタなどの大作から構成されていた。最も重要なベートーヴェン弾きは、後のシューマン夫人クララ・ヴィークであった鉄道蒸気船によって旅行簡便になると、リストやショパン・タールベルクといったピアノヴィルトゥオーソは、演奏旅行回数増やし国際的な聴衆獲得した演奏会はそれ自体事件となったこのようなヴィルトゥオーソ現象波に乗って成功収めたのがニコロ・パガニーニだった。 1830年代から1840年代にかけて、 ロベルト・シューマン ジャコモ・マイヤベーア ジュゼッペ・ヴェルディ らを含む音楽的な世代最盛期迎えた当時音楽活動主流様式ですらあったパリ音楽院手本となったポスト古典主義様式だけでなく、宮廷音楽までもが演奏会プログラム左右していたが、交響楽団のような団体による定期公演メンデルスゾーンによって振興されてからはこのような演奏形式衰退した音楽半ば宗教的な経験見なされるようになり、「楽友(フィルハーモニー)」協会演奏会一部となって前時代演奏会とは対照的に形式ばった態度がとられた。 リヒャルト・ワーグナー最初に成功したオペラ制作し、「楽劇」という概念に至る構想大胆に膨らませるようになったのもこの時期である。自称革命家で、つねに債権者為政者トラブル抱えたワーグナーではあったが、身の回りに気の合う音楽家集め始めたそのひとりがフランツ・リストであり、両者はともに、「未来の音楽」の創出へと没頭した文字通りの「ロマン主義」は、大雑把に見ると、ヨーロッパ情勢一変させた1848年の「革命の年」をもって終息する。パガニーニやメンデルスゾーン・シューマンらの逝去リストリサイタルからの引退加えて、「写実主義」のイデオロギー高まりとともに音楽活動新しい波訪れた。この新しい波については、詩や絵画場合同じくロマン主義というより「ヴィクトリア朝文化」と位置付けるべきだと論じ向き英国にはあるが、この時代クラシック音楽中心地であった大陸ヨーロッパ英国ヴィクトリア朝とは直接の関係は無いので、その代わりに、19世紀後半音楽については、「後期ロマン主義音楽」と評されている。

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