内容・エピソード
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「はなまるマーケット」の記事における「内容・エピソード」の解説
生放送という特性上、出演者が何かしらのハプニング(NG)を起こすことが多く、特に初期の頃は岡江と斎藤のNGが『オールスター赤面申告!ハプニング大賞』の常連になっていた(薬丸も葡萄の話題で岡江から「何葡萄が好きですか?」と尋ねられた時「巨峰」という所を誤って「巨乳」と答えてしまいスタジオのメンバーが爆笑するNGも起きた)。 「とくまる」の部分はライオン一社提供 で、途中で佐藤遙子、伊津野亮、吉田玲奈、山本英里(以前にも出演していたが、産休のため吉田に交替。2010年4月5日から再登場、その時のペアは佐藤。なお、吉田も引き続き出演)藤代太一による生コマーシャルが挿入される。2000年代途中までは全ての枠で提供コメントがなかったが、その後は「とくまる」のパートに限り提供コメント(前提供)が行われている。視聴者主婦の自宅を取材したVTRには視聴者宅のライオン製品が多く映される。なお、ライオンは当番組の後を受けた『いっぷく!』→『白熱ライブ ビビット』→『ビビット』→『グッとラック!』→『ラヴィット!』でも8時台のスポンサーに付いている。 9時台は(一部は日替わりで)各社30秒ずつ。番組名の由来は、当時番組後半(前半は『モーニングEye』同様、ライオンが担当)(中盤はジャパネットたかたが担当)のスポンサーだったマイカルのSATY(現在はイオンリテールのイオン店舗)の「はなまる市」の宣伝のためのものだった。マイカルは安達祐実→佐藤藍子を起用し「はなまる市」テレビスポットを大量投入していたが、番組スポンサーを行うことで全国エリアでの認知を目指した。 2000年10月には、派生番組『ウラまるカフェ』が同局の深夜枠で放送された。総合司会はブラザー薬丸(薬丸裕英の弟という設定で、サングラスを着用していた)と豊田綾乃(TBSアナウンサー)が務め、“おねむ”や“ウラまるアルバム”など「はなまるカフェ」に似せたコーナーもあった。ゲストも岡江の夫・大和田獏、本家の裏番組『情報プレゼンター とくダネ!』(フジテレビ系列)総合司会の小倉智昭をはじめ、本家では出演不可能なゲストが登場した。また、深夜番組であるためトーク内容も過激なものが多く、ピー音で処理されることもしばしばあった。本番組は2001年に3月で一旦終了するも、同年10月より『帰ってきた!ウラまるカフェ』と改題の上で放送を再開し、2002年3月まで放送された。 2005年9月30日には放送開始9周年(九州年)と位置付け、福岡Yahoo!JAPANドームから生中継を行った。また、世界陸上大阪大会開催前日である2007年8月24日には、そのメイン会場である長居スタジアムから生中継を行った。 ハイビジョン化については、赤坂のTBS本社放送センター内の本番組で使っているスタジオのハイビジョン化工事が遅れたため、2005年1月にハイビジョン化されたものの、検討課題が多いという理由から、途中から一旦SD(標準画質)ワイド放送にしてみたり、720iでの放送を実施したりと色々と試行錯誤をした末に、同年7月頃にまずスタジオ内の映像が1080iのハイビジョン撮影になり、2007年4月までには取材部分も全面ハイビジョン撮影と、段階的に移行した。なお、朝や昼のワイド番組で取材部分まで全面ハイビジョン化をいち早く行ったのは、民放では本番組が初めてである。この当時、TBSを含む他番組ではスタジオ内の映像こそハイビジョン化されていたが、まだ取材部分はSD取材がほとんどだった。なお、本番組のビデオ保存については、スタジオのハイビジョン化工事が終わった時点から、ハイビジョンで収録保存している。2007年3月29日の放送からはリアルタイム字幕放送を実施している。 毎週金曜日には出演者のスケジュールの都合により、録画放送になる場合もある。また、学校の長期休暇期間中など、オープニングやエンディングのみを新規に事前収録し、総集編や単発企画を放送することがある。逆にゲストの都合により「はなまるカフェ」のみ事前収録になることもある。なお、事前収録の場合、本来進行アナウンサーが担当する天気予報(台風接近時には台風情報も)は、報道フロア担当のアナウンサーが担当する。また、2010年7月2日までは、通常ハイビジョンで放送されるライオンの生コマーシャルも収録の場合はアスペクト比4:3画面となっていたが、後に全曜日ハイビジョン放送となった。 年末年始については、基本的に休止(曜日配列によって分かれる)となる。ただし、2001年 - 2004年については、年末は大晦日まで放送(11:24までの拡大版となった年もある)していた(当時の新聞ラ・テ欄で確認できる)。 2006年12月15日の放送で「トイレ掃除の前に熱湯を便器にかけると、消毒になり、汚れも落としやすくなる」などと紹介し、放送後、視聴者から「試したら便器にひびが入った」と苦情が寄せられたほか、同様の問い合わせがあった業界団体・日本衛生設備機器工業会からも指摘を受けた。TBSでは「便器を破損させる恐れがある」として、同種の方法を試さないよう本番組と番組ホームページで呼びかけた。 2008年6月17日の放送で放送3000回になり、これを記念して、パパイヤ鈴木の振り付け、演出によるはなまるオリジナルの携帯用着ムービーが1ヶ月間無料でダウンロードできるサービスを行った。2012年5月21日には放送4000回を迎えた。 2011年9月26日より、データ放送を実施。 2014年1月17日(金曜日、前述の通り収録放送)の放送中に突然画面が乱れ、約1分間カラーバーなどが放送されるトラブルがあった。その後放送再開後に字幕テロップで謝罪文を表示。また放送終了後に番組ホームページにて「送出関連のトラブルにより一時画面が中断されてしまいました」として視聴者に謝罪した。
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内容・エピソード
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第1戦と第5戦はその年のプロレス大賞のベストバウト(年間最高試合)に選ばれている。 第4戦では天龍の執拗な喉元へ逆水平チョップと張り手に我を忘れて激怒した鶴田がのちにジャンボリフトと呼ばれる高角度のハイスピード垂直落下型のパワーボムで天龍を失神させてしまった。このパワーボムについて天龍は引退直前のインタビューで「あれはジャンボが汗で滑っちゃったんだと思います。でもそれについて今更とやかく言うつもりはありません。僕も長州とのシングル2戦目でパワーボムが汗で滑って垂直に落としてしまい、彼が長く首を痛める原因を作っちゃいましたから(笑」と語っている。 天龍は週刊大衆のインタビューで、自身のレスラー人生のベストバウトとして、最後の戦いとなった第7戦目を上げている。 また、天龍は同誌のインタビューで「正直、3試合目くらいからジャンボとの地力の差を感じていた」「いつも『お客さんにはジャンボよりも1ミリ先を見せよう』って頑張っていたけど、この最後の一騎討ちだけは、試合中に初めて『転んで(負けて)もいいや』って思った。実際負けてしまったんですが、もう全日本を辞めようって気持ちがあって(この試合を最後に退団)、それとどこか重なってしまったんです」と語っている。 天龍は「良く言えばクール、悪く言えば僕らレスラー仲間から見てもどこか冷めている部分のあるジャンボが、僕の挑発に乗ってくれた時は本当に嬉しかった」という。「『全日の危機だ、皆で盛り上げよう』という空気があったのは確かですけど、ジャンボの性格からして無視されるんじゃ…と内心心配でした」そうである。ただ「馬場さんから強制された訳でもないのに、どうしてジャンボが挑発に乗ってくれたのかは、もうジャンボが先に旅立った今では永遠に分からない」という。天龍は今でも時間を見つけては鶴田の墓参りに赴くが、墓前で手を合わせて心の中で必ずこう問うそうである。「ジャンボ、あの世で再会したら教えてね。どうしてあの時、俺の挑発に乗ってかかってきてくれたのか」 鶴田は、この鶴龍対決に際し、繰り出す技の強度を、それまでと違い、露骨に強めていた。ジャンピングニーは、顔面正面を狙っていたし、余り見掛けなくなっていた、ドロップキックも繰り出すようになった。
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内容、エピソード
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「ジャンボ鶴田試練の十番勝負」の記事における「内容、エピソード」の解説
実行委員長は、「プロが栄えればアマも栄える」と鶴田にプロ入りを勧めたレスリング界のドン八田一朗であった。試合開始前にはタイトルマッチ並みに実行委員長の十番勝負認定宣言が行われた。 通算成績は鶴田側から見て4勝(ブラジル、ブッチャー、テーラー、エリック)2敗(テリー、レイス)4引き分け(ガニア、木村、ロビンソン、大木)であった。 木村戦で鶴田は1977年にプロレス大賞の年間最高試合賞を受賞している。 対戦相手は一般公募を基礎に全日本側で選考されたが、発表された一般公募の上位15人の中には新日本プロレスのエースアントニオ猪木や外人エースのアンドレ・ザ・ジャイアントの名もあった。 第3戦のテリー・ファンク戦と第8戦のハーリー・レイス戦ではNWA世界王座が賭けられ、第9戦の大木金太郎戦は鶴田の保持するUN王座と大木の保持するアジアヘビー級王座のダブルタイトルマッチになった。
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