内容の解釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 18:22 UTC 版)
いろは歌にある「うゐ」とは「有為」という仏教用語で、因縁によって起きる一切の事物(サンスカーラ)。転じて「有為の奥山」とは、無常の現世を、どこまでも続く深山に喩えたものである。 いろは歌の内容については中世から現代にいたるまで、各種の解釈がなされてきたが、多くは「匂いたつような色の花も散ってしまう。この世で誰が不変でいられよう。いま現世を超越し、儚い夢をみたり、酔いに耽ったりすまい」と、仏教的な無常を述べたものと解釈されてきた。新義真言宗の祖である覚鑁(1095 - 1144年)はその著『密厳諸秘釈』(みつごんしょひしゃく)の中で、いろは歌は『大般涅槃経』にある、以下の「諸行無常」と始まる無常偈(むじょうげ)の意訳であると説明している。 Aniccā vata saṅkhārā uppādavayadhammino, Uppajjitvā nirujjhanti tesaṃ vūpasamo sukho 諸行無常 是生滅法生滅滅已 寂滅為楽 諸行は無常なり、是れ生滅の法なり。生滅(へのとらわれを)滅しおわりぬ、寂滅をもって楽と為す。 —パーリ仏典, 長部16, 大般涅槃経, Sri Lanka Tripitaka Project すなわち、 諸行無常→色は匂へど散りぬるを 是生滅法→我が世誰ぞ常ならむ 生滅滅已→有為の奥山今日こえて 寂滅為楽→浅き夢見し酔ひもせず と、この四句の意をあらわしたものであるとした。 しかし語句の具体的な意味については諸説ある。前述の『悉曇輪略図抄』においては「いろは」は「色は」ではなく「色葉」であり、春の桜と秋の紅葉を指すとする。また清音か濁音かにより文の意味は異なるが、『悉曇輪略図抄』は「あさきゆめみし」の「し」は「じ」と濁音に読み、すなわち「夢見じ」という打消しの意とする。一方『密厳諸秘釈』はこの「し」を清音とするので、これは助動詞「き」の連体形「し」にあたる。17世紀の僧観応著の『補忘記』(ぶもうき)では最後の「ず」以外すべて清音とするなど、この誦文は古文献においても清濁の表記が確定していない。「夢」や「酔ひ」が何を意味するかも多様な解釈があり、結局のところ内容や文脈についての説明は、現時点で確定していない。
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