八連覇の時代とは? わかりやすく解説

八連覇の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 14:55 UTC 版)

ビル・ラッセル」の記事における「八連覇の時代」の解説

1958-59シーズン ファイナルという最も大事な場面でチーム援護できなかったラッセルは、新シーズンで名誉を取り戻すために復活自身は16.7得点23.0リバウンド記録しチーム当時NBA歴代最高勝利数となる5220敗をあげた。ラッセル2年連続MVPこそならなかったが、オールNBAチームではめでたく初の1stチーム入り果たしている。 プレーオフではデビジョン決勝シラキュース・ナショナルズ思わぬ苦戦強いられたが、4勝3敗で退け3年連続ファイナル進出ファイナルではお馴染みライバルだった、この年セルティックスに次ぐ49勝をあげたセントルイス・ホークス待っているはずだったが、彼らはデビジョン決勝不覚を取ったホークス破ってファイナル勝ち上がったのはミネアポリス・レイカーズ(後のロサンゼルス・レイカーズ)。後に時代を跨いでセルティックス最大ライバルとなるレイカーズとの、初の頂上決戦実現した記念すべき最初対決は、しかし両者チームとしての完成度天と地ほどの開きがあり、エルジン・ベイラーのワンマンチームであったレイカーズを、セルティックスは4戦全勝一蹴。あっさりと王座返り咲いた完敗したレイカーズヘッドコーチジョン・クンドラは「我々はビル居ないセルティックス恐れない。彼をどこかへやってくれ。そうすれば我々は彼らを倒すことが出来る。彼は精神的にも我々を鞭打ってくれた」とラッセルプレイ舌を巻いた。 1シーズン置いて再び王座返り咲いたセルティックスは、今後7シーズン続けてこの椅子座り続けることになる。アメリカプロスポーツ史上最長となる八連覇の時代は、こうして幕を開けた。 1959-60シーズンBattle Of Titans セルティックス前年をさらに上回る5916敗(当時NBA最長記録となる17連勝記録した)、ラッセルは18.2得点24.0リバウンド記録2度目優勝経て自身チーム絶頂期迎えつつあるこのシーズンNBAかつてない新人迎える。216cmの長身を誇るウィルト・チェンバレンである。チェンバレンはルーキーイヤーから37.6得点27.0リバウンドという先例のない数字残し新人王のみならずシーズンMVP受賞得点王加えリバウンド王の座もラッセルから奪ったラッセルチェンバレン両者選手タイプとしては対極に立つ2人だった。ラッセルリーグ随一ディフェンダーであり、そしてチェンバレンオフェンス特化した最強のスコアリングマシーンだった。その2人のビッグマンが同じ時代に同じリーグ並び立つ。そこにライバル関係成立しないはずはなく、チェンバレン登場ラッセルにとって2人居ない好敵手登場意味した1959年11月7日ラッセルセルティックスチェンバレンフィラデルフィア・ウォリアーズ対戦両者初め相見え、ラッセル22得点対しチェンバレン30得点をあげ、試合は115-106でセルティックス勝利という形で、後にNBA史上最大ライバル関係一つとされる2人最初The Big Collision幕を閉じたラッセルチェンバレン対決は『The Big Collision(大激突)』、あるいは『Battle Of Titans巨人たちの戦い)』と呼ばれ当時NBA最大呼び物として人気集めることになる。 プレーオフ・デビジョン決勝では再びウォリアーズとの対戦実現したが、ラッセル率いセルティックスは4勝2敗でウォリアーズ退けた以後ラッセルチェンバレンライバル関係は、個人成績ではチェンバレン上回りながらも、チームとしての対決ではラッセルセルティックス尽くチェンバレンチーム駆逐するという関係が続く。 ファイナルではお馴染みホークス待っていた。当時最大ライバルチームだった両者3度目対決は第7戦までもつれた末に、セルティックスが4勝3敗でホークス降しミネアポリス・レイカーズ1954年達成して以来となる連覇成し遂げた。このシリーズラッセルは第2戦ではファイナル史上最多となる40リバウンド、第7戦では22得点35リバウンド大活躍だった。 1960-61シーズン三連覇達成 連覇成し遂げてもなおラッセルモチベーション落ちず、1960-61シーズンも16.9得点23.9リバウンド安定した成績残し2度目シーズンMVP受賞チーム5722敗と5年連続でリーグトップの勝率記録した。プレーオフ・デビジョン決勝シラキュース・ナショナルズ破ったセルティックスは、ファイナルではホークス5度目にして最後対決を4勝1敗で制して4回目優勝果たしNBA史上2度目となる三連覇達成した。 1961-62シーズン最大危機 この5年間で三連覇を含む計4回の優勝成し遂げたセルティックスだが、王朝基盤をより磐石なものにするためにも、チーム内の世代交代進めなければならなかった。そして新シーズン開幕前にセルティックスの主要得点源だったビル・シャーマン引退彼にかわってサム・ジョーンズチーム内で台頭したこのようにセルティックス連覇記録伸ばすために絶え選手入れ替え行っていくが、王朝終焉迎えその時までラッセル大黒柱としての存在不動のものだった。 1961-62シーズンウィルト・チェンバレン平均50.4得点1試合100得点達成した伝説的なシーズンとして記憶されるが、このシーズンMVP獲得した2年連続受賞となるラッセルだった。ラッセルは18.9得点23.6リバウンド例年通り数字残した上でチーム史上初の60勝越えとなる6020敗の成績導いていた。プレーオフ・デビジョン決勝では伝説シーズン過ごしたチェンバレンウォリアーズ2度目対決となったが、チェンバレン毎夜50得点あげようとも、最後に笑うのはセルティックスだった。ラッセル率いセルティックスは第7戦までもつれたこのシリーズを、サム・ジョーンズクラッチシュートという形で締めくくり、4勝3敗で制して6年連続ファイナル進出決めたファイナルでは3年ぶり2度目となるレイカーズとの対決待っていた。前回レイカーズエルジン・ベイラーのほぼワンマンチームだったが、今回ジェリー・ウェストという強力な仲間得てセルティックスとのリベンジマッチ備えていた。このファイナル両者初めライバルらしい激戦演じ、2勝2敗のタイ迎えた第5戦ではベイラーファイナル記録となる61得点にやられ、2勝3敗とシリーズリードされた。第6戦ではセルティックス勝利し優勝行方は第7戦に委ねられる。そして勝った方が優勝という緊張感みなぎるこの試合で、セルティックスを八連覇時代最大危機襲った。 100-100の同点迎え第4Q終盤レイカーズオフェンスセルティックスは当然得点源のベイラーウェストディフェンス集中させたが、ボールオープンフランク・セルヴィ渡り、セルヴィは7フィート位置からシュート打った残り時間は5秒を切り、これが決まればレイカーズ勝利優勝がほぼ決定付けられたが、セルヴィのシュート幸運に外れ試合オーバータイム突入した命拾いしたセルティックスだったが、彼らは追い込まれていた。ベイラーらへの懸命なディフェンスが仇となり、オーバータイム入った時点トム・ヘインソーンジム・ロスカトフサッチ・サンダースセルティックス主力フォワード3人がファウルアウトに追いやられていたのだ。そしてオーバータイムではさらにフランク・ラムジーもファウルアウトとなり、セルティックス陣容壊滅的な状況となった。しかしこのチーム危機ラッセル真価発揮されラッセルコート上に残された4選手見事に統率ベイラーマッチアップする普段殆ど出番の無いジーン・グアリアにも巧みにヘルプディフェンスに走ってベイラー抑え込むと、自身30得点自身が持つファイナル最多記録タイとなる40リバウンド記録し、110-107でセルティックス勝利導いた。ついに前人未到四連覇を達成したセルティックスは(この時代セルティックス除き2019年現在に至るまで四連覇以上を達成したチーム一つ存在しない)、今後もさらに連覇記録伸ばすことになるが、このシーズンプレーオフ2つシリーズいずれもが第7戦までもつれる接戦となり、八連覇時代セルティックス優勝する上で最も苦労したシーズンとなった。 1962-63シーズン シーズン前ドラフトでは王朝後期エースとして活躍するジョン・ハブリチェック指名され、また新しい血を注ぐのみでなくウィリー・ナオルスクライド・ラブレットというベテラン獲得もそつ無くこなし、1962-63シーズン7年連続リーグトップとなる5822敗を記録ラッセル変わらず16.8得点23.6リバウンド大黒柱としての役割完遂し3年連続4度目シーズンMVP獲得し19得点24リバウンドをあげたオールスターでは初のMVP輝いた。プレーオフ・デビジョン決勝ではオスカー・ロバートソン率いシンシナティ・ロイヤルズ苦戦強いられ、7戦中2試合オーバータイムもつれる接戦だったが、4勝3敗で辛うじて退けると、ファイナルでは2年連続となるレイカーズとの対戦を4勝2敗で制し、五連覇達成した。 1963-64シーズン 長年セルティックス司令塔務めたボブ・クージー引退し彼のかわりにラッセル学生時代から戦友だったK.C.ジョーンズ先発ガード昇格円熟期迎えたラッセルは15.0得点24.7リバウンドをあげてウィルト・チェンバレンから5年ぶりにリバウンド王の座を奪回セルティックスはクージーを失ってもなお8年連続リーグトップとなる5921敗の成績残したファイナルではチェンバレン率いウォリアーズフィラデルフィアからサンフランシスコ本拠地移し、ウェスタン・デビジョン王者としてファイナル進出した)と対決Battle Of Titans第3幕となったこのシリーズラッセルは第1戦でウォリアーズの誇る2人ビッグマンチェンバレンネイト・サーモンドシュート立て続けブロックするという離れ業やってのけチームを波に乗せると、セルティックスは4勝1敗でウォリアーズ粉砕し当時アメリカのどのプロスポーツチーム成し遂げたことのない六連覇を達成した。 1964-65シーズン セルティックスは自らが保持する記録を再び更新する6218敗をあげ、14.1得点24.1リバウンド5.3アシスト記録し2年連続リバウンド王に輝いたラッセルは、30歳節目の年に自身5度目シーズンMVP獲得。5回のシーズンMVP獲得カリーム・アブドゥル=ジャバー破られるまでの歴代最多受賞だった。プレーオフ・デビジョン決勝ではフィラデルフィア・76ers対戦シーズン中76ers移籍してきたチェンバレンとの2年連続対決実現したプレーオフ4度目の大激突激戦となり、第3戦ではラッセルチェンバレン第3Qまでフィールドゴールをわずか2本に抑えると、第5戦28リバウンド7アシスト10ブロック6スティール記録。第7戦ではチェンバレン30得点32リバウンドをあげると、ラッセル16得点27リバウンド8アシスト記録したここまでこのシリーズラッセルチェンバレンNBAが誇る2人巨人のための舞台となっていたが、第7戦、シリーズ行方決する最後の場面輝いたのはラッセルでもチェンバレンでもなかった。110-109のわずか1点リード迎えた試合終盤、この大事な場面でラッセルスローインミスしてしまい、ボール保持76ers与えてしまう。逆転を狙う76ersハル・グリアスローイン入れたが、そのボールジョン・ハブリチェック見事にスティールし、チーム勝利ファイナル導いた。ハブリチェックのスティール実況のジョニー・モストが叫んだ「ハブリチェックがボール奪った試合終了ジョン・ハブリチェックボールスティールしました!(Havlicek stole the ball! It's all over! Johnny Havlicek stole the ball!)」という言葉と共に連覇時代伝説一つとなったファイナルではベイラーウェストレイカーズ4度目の対決となったが、4勝1敗で危なげなくシリーズ制しファイナル連覇達成した。 1965-66シーズン八連覇達成 どの王朝にも終焉の時はやってくるが、1960年代我が世の春謳歌していたボストン王朝もその例外ではなく王朝チーム衰退期着々と訪れているように思えた。七連覇達成した後のオフラッセルとは同期トム・ヘインソーンと、名ディフェンダーだったジム・ロスカトフ引退。これでセルティックス全ての優勝を知るのはラッセルのみとなったサム・ジョーンズまだまだチームのリーディングスコアラーとして活躍し先発定着したハブリチェックは益々存在感高めてはいたが、このシーズン5426敗だったセルティックスは、10年ぶりに勝率首位の座を他チーム明け渡した。そしてセルティックスかわりにリーグ首位の座に座ったのが、チェンバレンフィラデルフィア・76ersだった。 毎年第1シード特権としてプレーオフ1回戦(デビジョン準決勝)を免除されてきたセルティックスだが、この年10年ぶりに1回戦からの参加となった初戦相手シンシナティ・ロイヤルズオスカー・ロバートソンジェリー・ルーカス擁する強敵で、セルティックスは3戦先勝制の1回戦で1勝2敗と先に王手掛けられ、いきなりピンチ陥った。しかしその後2連勝飾ったセルティックスが、辛うじてデビジョン決勝進出76ersとの対決迎えたBattle Of Titans今度こそチェンバレン勝利かに見えたが、しかしロイヤルズ対する2連勝波に乗ったセルティックスは、76ers苦戦するどころか4勝1敗で降し10年連続ファイナル進出果たしたファイナル2年連続5回目となるレイカーズ対戦。第1戦にセルティックスオーバータイムの末に敗れるが、敗戦ショック覚めやらぬ試合終了後、コーチ・アワーバックから衝撃的なコメント発表された。アワーバックはこのシーズン限りをもってヘッドコーチの座から退くことを宣言し、さらに後任ビル・ラッセル指名したのであるラッセル未だ現役選手であり、この発表ラッセル選手兼任のままヘッドコーチ重責を担うこと、さらにはアメリカプロスポーツ史上初の黒人ヘッドコーチ誕生意味した。名コーチアワーバック引退ラッセルコーチ就任、初の黒人ヘッドコーチ誕生驚き尽くめ発表は、セルティックス選手敗戦ショック忘れさせ、続く第2戦以降を3連勝させた。悲願の優勝向けて粘るレイカーズその後2連勝しシリーズは第7戦に突入最後はこの日足骨折抱えたままでプレイ続けたラッセル32リバウンド活躍セルティックス勝利早まったファンコートオレンジジュースぶちまけサッチ・サンダース興奮したファンたちにユニフォーム奪われるなか、セルティックス空前絶後の連覇達成した。八連覇NBAもちろんのこと、アメリカプロスポーツ史上どのチーム成し遂げていない金字塔である。

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