八連覇時代へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 04:39 UTC 版)
翌1957-58シーズンには17.8得点10.2リバウンドと平均ダブル・ダブルを達成し、プレーオフでは2年連続でファイナルで宿敵ホークスと対決するも、今回はホークスに軍配があがり、セルティックスの連覇はならなかった。 しかし翌1958-59シーズンのファイナルではセルティックス生涯のライバル、ミネアポリス・レイカーズを破って2度目の優勝を果たすと、この年を皮切りにセルティックスはアメリカスポーツ界の金字塔となる八連覇を成し遂げる。チームが黄金期を迎えると共にヘインソーンも全盛期を迎え、彼とセルティックスが3度目の優勝を遂げた1959-60シーズンにはキャリアハイとなる21.7得点10.6リバウンドを記録。これはチームトップの成績だった。以後ヘインソーンは3シーズン連続で平均20得点以上を達成し、チームのリーディングスコアラーとして活躍した。 ヘインソーン自身が振り返って、彼のキャリアの中で最も忘れがたい試合は1960年のプレーオフ地区決勝である。この年はリーグを怪物ルーキーウィルト・チェンバレン旋風が吹き荒れた年で、セルティックスはプレーオフ地区決勝でチェンバレンが所属するフィラデルフィア・ウォリアーズと対戦。3勝2敗でセルティックスがシリーズに王手をかけた第6戦、ヘインソーンは勝ち越しとなるブザービーターを決め、チェンバレンとウォリアーズに引導を渡した。 1960年代中盤に入ってもセルティックスは衰えることを知らず、連覇記録を伸ばしていったが、チーム内では世代交代が進み、クージーとシャーマンは引退し、ラッセルを絶対的な大黒柱としつつもチームの主役はジョン・ハブリチェックら若い選手に移りつつあった。ヘインソーンの成績も少しずつ後退し、そしてヘインソーンとセルティックスが7年連続、8回目の優勝を手にした1964-65シーズンを最後に、ヘインソーンは現役から引退した。 NBA通算成績は9シーズン654試合の出場で、12,194得点5,749リバウンド、平均18.6得点8.8リバウンドだった。
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