王朝後期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:45 UTC 版)
1175年、英宗が没して高宗が第7代皇帝として即位した。ところが、この高宗は暗愚な人物で、国民に対して重税と賦役を布く悪政を繰り広げた。このため、国内各地で農民による反乱が多発し、李朝は急速に衰退していく。 1210年、高宗が没して恵宗が即位した。この恵宗も父の高宗同様に暗愚な人物だったため、国内はさらに乱れた。このような中で、恵宗の外戚にあたる陳守度の権勢が著しく拡大した。 政治の実権を完全に掌握した陳守度は、1224年、恵宗を廃してその娘である李昭皇を擁立した。1226年1月11日、李昭皇と陳守度の従甥の陳煚を結婚させて陳煚を皇位につけることで、陳朝を開いた。同年、陳守度によって恵宗は自殺に追い込まれた。 李朝は9代217年に及ぶ、ベトナム史上最初の長期政権であった。
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