王朝国家の出現
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 02:53 UTC 版)
土地課税を重視する考えは9世紀前期の藤原冬嗣執政期の頃から存在していたが、個別人身支配の原則を覆すまでには至っておらず、10世紀初頭の朱雀期になって初めて個別人身支配が放棄された。ここに、律令国家体制期が終わり、土地課税を基本原則とする新たな支配体制、すなわち王朝国家体制が出現することとなった。 なお土地課税基調体制への移行の時期について、宇多天皇及び菅原道真の主導による寛平の治を王朝国家体制への転換準備期とし、延喜の治を時平による王朝国家体制への移行期であるとする意見がある。
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