セントルイス・ホークスとは? わかりやすく解説

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アトランタ・ホークス

(セントルイス・ホークス から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/13 21:30 UTC 版)

アトランタ・ホークス
Atlanta Hawks
2025-26シーズンのアトランタ・ホークス
チームロゴ 赤を基調とした円形で外側に白文字でATLANTA HAWKS BASKETBALL CLUBと書かれ、その中に鷹のくちばしがデザインされている。
所属リーグ  NBA 
カンファレンス  イースタン・カンファレンス 
ディビジョン  サウスイースト 
創設 1946年 (79年前) (1946)
チーム史 トライシティーズ・ブラックホークス
1946年-1951年
ミルウォーキー・ホークス
1951年-1955年
セントルイス・ホークス
1955年-1968年
アトランタ・ホークス
1968年-現在[1][2][3]
本拠

ジョージア州アトランタ
アリーナ ステートファーム・アリーナ
チームカラー トーチレッド, レガシーイエロー, インフィニティブラック, グラナイトグレー[4][5][6]
       
主なスポンサー Sharecare英語版[7]
オーナー トニー・レスラー英語版
社長 スティーブ・クーニン英語版
GM ランドリー・フィールズ
ヘッドコーチ クイン・スナイダー
優勝歴 1回 (1958年英語版)
ファイナル進出 4回 (1957年, 1958年, 1960年, 1961年)
ディビジョン優勝 12回 (1957年, 1958年, 1959年, 1960年, 1961年, 1968年, 1970年, 1980年, 1987年, 1994年, 2015年, 2021年)
永久欠番  9   21   23   44   55   59 
NBAGL提携チーム カレッジパーク・スカイホークス
公式サイト www.nba.com/hawks
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アトランタ・ホークスAtlanta Hawks)は、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。イースタン・カンファレンスサウスイースト・ディビジョンに所属。

傘下のNBA Gリーグチームは、CPS

歴史

初期

フィリップス・アリーナ
ボブ・ペティット

1946年イリノイ州モリーン英語版にてトライシティーズ・ブラックホークスとして創設され、NBL (National Basketball League) に加盟した。

地名はミシシッピ川ロック川の合流点付近に位置するアイオワ州ダベンポート、イリノイ州ロックアイランド、モリーンの3都市がトライシティーズと呼ばれていたことに由来する。ただし、当時すでに4番目の都市であるイリノイ州イーストモリーン英語版を加えてクアッドシティーズ英語版と呼ばれつつあった。その後5番目の都市であるアイオワ州ベッテンドルフ英語版も加わったがクイントシティーズとはならず、現在もクアッドシティーズの呼称で定着している。モリーンには当時の競技場、ウォートン・フィールド・ハウスが現在も残っており、地元の高校がバスケットボールやバレーボール、レスリングの試合などに使用している[8]

ニックネームはブラック・ホーク戦争で知られるソーク族のリーダーだったブラック・ホーク英語版がロックアイランド出身であることに由来する。なお、ナショナルホッケーリーグ(NHL)のシカゴ・ブラックホークス1926年創設)もブラック・ホークに敬意を表してニックネームとしており、ホークスと通称されることも多い。

1949年にNBLはBAA (Basketball Association of America) と合併しNBAが誕生、ホークスは監督にレッド・アワーバックを迎えた。

1951年ウィスコンシン州ミルウォーキーへ移転し、ミルウォーキー・ホークスと改称した。ミルウォーキー時代最後の1954年にホークスはボブ・ペティットを獲得した。

1955年ミズーリ州セントルイスへ移転し、セントルイス・ホークスと改称した。この頃の監督は後にバスケットボール殿堂入りするレッド・ホルツマンだったもののチーム成績は伸び悩んだ。

1956年に元ホークス選手のアレックス・ハナムが監督に就くと状況は好転し、ボブ・ペティット、クリフ・ヘイガンを中心とした強豪へと成長した。1958年のNBAファイナル英語版で優勝を果たし、これが現在もチーム史上唯一の優勝経験となっている。続く1960年代前半、ペティットが現役でいる間ホークスはリーグの強豪の1つだったが、同時代を支配したボストン・セルティックスに優勝を譲る時期が続いた。

アトランタ・ホークス

ピストル・ピート ピート・マラビッチ

1968年ジョージア州アトランタへ移転し、アトランタ・ホークスと改称した。この頃よりチームは勝率5割前後が長く続いた。プレーオフには進出するものの、1回戦ないし2回戦敗退が長く続いた。1970年代前半はのちに殿堂入りするピート・マラビッチがチームを率いた。

70年代後半は低迷しプレーオフからも離れ、低迷期は1980年代前半まで続いた。80年代中期にはマイク・フラテロが監督を務め、徐々にディビジョンの強豪の1つとして成長していった。1982年のNBAドラフトで指名したドミニク・ウィルキンズはリーグを代表する選手の1人として人気を集め、ドック・リバースケビン・ウィリスステイシー・オーグモンらが脇を固めた。

1990年代に入る頃ホークスは再び低迷期に入り、1993年に就任した名将レニー・ウィルケンズがチームの再建に取り組んだ。1993-94シーズン途中にウィルキンズ、翌シーズン途中にはウィリスも放出したが、ムーキー・ブレイロックスティーブ・スミスディケンベ・ムトンボアラン・ヘンダーソン英語版などの好選手を擁し、ディビジョン上位に食い込む活躍を見せた。ウィルケンズは在任中に監督として勝利数を塗り替える快挙を成し遂げたもののプレーオフでは2回戦を越えられない年が続き、1999年にブレイロック、スティーブ・スミスは放出され、2000年にウィルケンズは辞任。1999-00シーズンからは8シーズン連続でプレーオフ進出を逃した。

2001年のNBAドラフト3位指名権などと交換でシャリーフ・アブドゥル=ラヒームを獲得し、1999年のNBAドラフトにドラフトで指名したジェイソン・テリーと2人を軸に再建を図ったが低迷から脱せず、2004年にテリーとアブドゥル=ラヒームは放出された。また、2003年9月にチームは、同じアリーナを使用するプロアイスホッケーNHLのチームのアトランタ・スラッシャーズと共に、タイムワーナー社から、投資者集団に売り渡された。

2004年のNBAドラフトジョシュ・チルドレスジョシュ・スミスサリム・スタウダマイアー英語版を指名したが、2004-05シーズンは連勝が1度もなく不振を極め、球団史上最低の13勝に終った。

アル・ホーフォード

2005年のNBAドラフトでは全体2位指名権を得てマービン・ウィリアムズを指名、トレードでジョー・ジョンソンを獲得。2007年のNBAドラフトでは全体3位指名権を得てアル・ホーフォードを指名し有望な若手選手を揃えたチームは、2007-08シーズン2008年2月にはマイク・ビビーをトレードで獲得し、更なる飛躍を目指し、9年振りとなるプレーオフ進出決定した。

2013年のNBAファイナル直前に、グレッグ・ポポヴィッチのもと、サンアントニオ・スパーズの第1アシスタントコーチとしてポポビッチを支え、4度のNBA優勝を経験した[9]マイク・ブーデンホルツァーがホークスのヘッドコーチに選任された[10]。新ヘッドコーチでのシーズンは、前シーズンまで6年連続プレーオフ進出が続いている強豪で、主力のアル・ホーフォードが故障で十分に出場できない中、残りのロースターで苦戦しながら、38勝44敗と負け越しはしたものの、プレーオフに8位で滑り込んだ。1stラウンド1戦目で1位のインディアナ・ペイサーズを下し、新ヘッドコーチでプレーオフ初勝利を勝ち取った。その後2勝し最終戦まで粘ったが、1回戦で敗退した。

2014-15シーズンは、ブーデンホルツァーの標榜するチームバスケットが浸透し、派手さはないがターンオーバーが少なくパスの良く回るスパーズ仕込みのゲームを展開。またデニス・シュルーダーら若手選手の成長もあり、序盤から勝率7割以上で、イースタンカンファレンスの首位を独走した。ビューデンホルツァーは、ウェストで同じく好スタートを維持したゴールデンステート・ウォリアーズ新ヘッドコーチのスティーブ・カーと共にオールスターゲームのヘッドコーチに選ばれた。選手も、アル・ホーフォードジェフ・ティーグポール・ミルサップの3選手が選ばれた[11]カイル・コーバードウェイン・ウェイドの欠場に伴い出場した。後半戦も勝ち星を伸ばし、サウスイーストディビジョン優勝とイースタン・カンファレンス第1シードでのプレーオフ進出を決め、4月7日のフェニックス・サンズ戦でシーズン58勝目を挙げ、フランチャイズ記録を更新[12]。更に10日のシャーロット・ホーネッツ戦の勝利で、チーム史上初のシーズン60勝を達成。プレーオフに入ってからも好調が続き、ブルックリン・ネッツワシントン・ウィザーズをそれぞれ4勝2敗で下し、アトランタに移転して以降初めてカンファレンスファイナルに進出したものの、カンファレンスファイナルでは、レブロン・ジェームズが復帰したクリーブランド・キャバリアーズに4戦全敗をスイープ負けを喫し、NBAファイナル進出はならなかった。

2015-16シーズンは、攻守のキーマンだったデマール・キャロルを失い、先行きが不安視されたが、48勝34敗でプレーオフに進出。1stラウンドはボストン・セルティックスを退けたものの、セミファイナルはまたしてもクリーブランド・キャバリアーズに4戦全敗を喫し、シーズン終了後には契約交渉が決裂していたジェフ・ティーグアル・ホーフォードを放出。新たに地元アトランタ出身のドワイト・ハワードを獲得し、チームを立て直すことになった。2016-17シーズンは43勝39敗の成績でイースタンカンファレンス5位でプレーオフに進出するも、1stラウンドでワシントン・ウィザーズに2勝4敗で敗れた。オフにはミルサップが退団するなど、再建に舵を切った。

2017-18シーズンは苦しいシーズンとなり、24勝58敗でカンファレンス最下位に沈み、11年振りにプレーオフ進出を逃した。また、このシーズンはダンクコンテスト優勝者のヴィンス・カーターを獲得する。

2018-:トレイ・ヤングの時代

トレイ・ヤング in 2022

2018年5月、アトランタ・ホークスはロイド・ピアース英語版を新ヘッドコーチに招聘した。同年のNBAドラフトでは3位指名でルカ・ドンチッチを獲得したが、直後にダラス・マーベリックスとのトレードを成立。ドンチッチの交渉権と引き換えに、2019年の1巡目指名権(保護付き)とトレイ・ヤングの交渉権を獲得した。さらに、同ドラフトの19位でケビン・ハーター、30位でオマリ・スペルマンを指名し、再建へと舵を切った。オフシーズンにはデニス・シュルーダーを放出し、代わりにジェレミー・リンを獲得。他にもベテランのヴィンス・カーターアレックス・レンらを補強し、ピアース政権下のチームは、トラビス・シュレンクGMの方針を反映し、若手中心の育成路線を進めた。

2019年のNBAドラフトでは、ホークスは全体4位指名でデアンドレ・ハンターを獲得。さらに、ドンチッチとのトレードで得た10位指名権を使ってキャム・レディッシュを獲得した。2020年1月23日、ヤングが初めてオールスターゲームに選出され、先発出場を果たした。ホークスの選手がオールスター戦で先発出場するのは、1998年のディケンベ・ムトンボ以来初のことだった。2月4日には4チーム間トレードでクリント・カペラを獲得した[13]。このシーズンを最後にヴィンス・カーターはNBA歴代最長となる22シーズンの現役生活を終えた。

2020-21シーズン、ホークスはロスターを強化するために動き、ボグダン・ボグダノヴィッチダニーロ・ガリナリの2人のベテランを獲得。さらにバックコートの補強としてラジョン・ロンドクリス・ダンを加えた。2021年3月、チームが14勝20敗と不振に陥ったため、ロイド・ピアースは解任され、ネイト・マクミランが暫定ヘッドコーチに就任。マクミランが指揮を執ると、チームはすぐに8連勝を記録し、プレーオフ圏内に浮上した。その後ホークスはマクミランの下で27勝11敗と好成績を残し、最終的に41勝31敗(イースタン・カンファレンス5位)でシーズンを終え、サウスイースト地区優勝を果たした。プレーオフでは、第4シードのニューヨーク・ニックスを破り、さらに第1シードのフィラデルフィア・セブンティシクサーズを下してイースタン・カンファレンスファイナルに進出。これは球団史上54年ぶりにカンファレンス準決勝を突破した快挙だった。しかし、ヤングは第3戦で審判の足を踏んで負傷し、チームは最終的にマイク・ブーデンホルツァー率いるミルウォーキー・バックスに6試合で敗退した。プレーオフ敗退から2日後、ホークスはマクミランと4年契約で正式にヘッドコーチ就任に合意したと発表した。

2021-22シーズン開幕前、ホークスはガリナリと将来の1巡目指名権3本をサンアントニオ・スパーズに送り、オールスター経験のあるデジャンテ・マレーを獲得した[14]。同年7月6日には、ケビン・ハーターをサクラメント・キングスへトレードし、代わりにモーリス・ハークレスジャスティン・ホリデー、および将来の1巡目指名権を獲得した。ヤングとマレーの新バックコート体制で臨んだものの、チームは41勝41敗と期待外れの成績に終わり、プレーオフ1回戦でボストン・セルティックスに敗れた。

2023–24シーズン、トレード期限前の時点でチームは負け越しの戦績となり、ヤングと3年目フォワードのジェイレン・ジョンソンを除く全選手をトレード候補として検討していることが明らかになった。ホークスは最終的に36勝46敗でシーズンを終え、プレーイン・トーナメントではシカゴ・ブルズに131–116で敗れ、プレーオフ進出を逃した。

2024-25シーズン開幕前のトレードでニューオーリンズ・ペリカンズにマレーを放出し、ダイソン・ダニエルズラリー・ナンス・ジュニアE・J・リデルコディ・ゼラーサイン・アンド・トレード)、2つの将来のドラフト1巡目指名権を獲得し、ヤングとマレーのバックコートはわずか2年で解体となった[15]2024年のNBAドラフトでは、3%の確率で全体1位指名権を引き当て、フランス出身のザカリー・リザシェイを指名した[16]

ザカリー・リザシェイ

ホークスはNBAカップ2024の準決勝に進出した時点で14勝12敗の成績だったが、ミルウォーキー・バックスに敗れ、初のNBAカップ決勝進出を逃した。シーズン中盤にはジェイレン・ジョンソンがシーズン絶望となり、チームの主力選手であったハンターをクリーブランド・キャバリアーズに、ボグダノヴィッチをロサンゼルス・クリッパーズへ放出するなどロスターが大きく入れ替わった。そんな中、ダイソン・ダニエルズが卓越した守備力を発揮し、1シーズンで229スティールという球団新記録を樹立。スティール数とディフレクション数でリーグ首位となり、NBA最成長選手賞を受賞した。しかし、チームはプレーイン・トーナメントでオーランド・マジックマイアミ・ヒートに連敗して敗退した。

2025-26シーズン、オフシーズンにボストン・セルティックスからオールスター経験のあるクリスタプス・ポルジンギスを獲得。NBAドラフトでは23位でエイサ・ニューエルを指名した。フリーエージェントではニキール・アレクサンダー=ウォーカールーク・ケナードを獲得し、補強に成功した。

シーズンごとの成績

Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率

シーズン % プレーオフ 結果
トライシティーズ・ブラックホークス
1949–50 29 35 .453 ディビジョン準決勝 アンダーソン 2, ブラックホークス 1
1950–51 25 43 .368
ミルウォーキー・ホークス
1951–52 17 49 .258
1952–53 27 44 .380
1953–54 21 51 .292
1954–55 26 46 .361
セントルイス・ホークス
1955–56 33 39 .458 ディビジョン2位決定戦敗退
ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝敗退
ミネアポリス 1, ホークス 0
ホークス 2, ミネアポリス 1
フォートウェイン 3, ホークス 2
1956–57 34 38 .472 タイブレークゲーム勝利
タイブレークゲーム勝利
ディビジョン決勝勝利
NBAファイナル英語版
ホークス 1, フォートウェイン 0
ホークス 1, ミネアポリス 0
ホークス 3, ミネアポリス 0
セルティックス 4, ホークス 3
1957–58 41 31 .569 ディビジョン決勝勝利
NBAファイナル英語版優勝
ホークス 4, フォートウェイン 1
ホークス 4, セルティックス 2
1958–59 49 23 .681 ディビジョン決勝敗退 ミネアポリス 4, ホークス 2
1959–60 46 29 .613 ディビジョン決勝勝利
NBAファイナル英語版敗退
ホークス 4, ミネアポリス 3
セルティックス 4, ホークス 3
1960–61 51 28 .646 ディビジョン決勝勝利
NBAファイナル英語版敗退
ホークス 4, ミネアポリス 3
セルティックス 4, ホークス 1
1961–62 29 51 .363
1962–63 48 32 .600 ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝敗退
ホークス 3, フォートウェイン 1
レイカーズ 4, ホークス 3
1963–64 46 34 .575 ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝敗退
ホークス 3, レイカーズ 2
サンフランシスコ 4, ホークス 3
1964–65 45 35 .563 ディビジョン準決勝敗退 ボルチモア 3, ホークス 1
1965–66 36 44 .450 ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝敗退
ホークス 3, ボルチモア 0
レイカーズ 4, ホークス 3
1966–67 39 42 .481 ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝敗退
ホークス 3, ブルズ 0
サンフランシスコ 4, ホークス 2
1967–68 56 26 .683 ディビジョン準決勝敗退 サンフランシスコ 4, ホークス 2
アトランタ・ホークス
1968–69 48 34 .585 ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝敗退
ホークス 4, サンディエゴ 2
レイカーズ 4, ホークス 1
1969–70 48 34 .585 ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝敗退
ホークス 4, ブルズ 1
レイカーズ 4, ホークス 0
1970–71 36 46 .439 カンファレンス準決勝敗退 ニックス 4, ホークス 1
1971–72 36 46 .439 カンファレンス準決勝敗退 セルティックス 4, ホークス 2
1972–73 46 36 .561 カンファレンス準決勝敗退 セルティックス 4, ホークス 2
1973–74 35 47 .427
1974–75 31 51 .378
1975–76 29 53 .354
1976–77 31 51 .378
1977–78 41 41 .500 1回戦敗退 ウィザーズ 2, ホークス 0
1978–79 46 36 .561 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ホークス 2, ロケッツ 0
ウィザーズ 4, ホークス 3
1979–80 50 32 .610 カンファレンス準決勝敗退 シクサーズ 4, ホークス 1
1980–81 31 51 .378
1981–82 42 40 .512 1回戦敗退 シクサーズ 2, ホークス 0
1982–83 43 39 .524 1回戦敗退 セルティックス 2, ホークス 1
1983–84 40 42 .488 1回戦敗退 バックス 3, ホークス 2
1984–85 34 48 .415
1985–86 50 32 .610 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ホークス 3, ピストンズ 1
セルティックス 4, ホークス 1
1986–87 57 25 .695 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ホークス 3, ペイサーズ 1
ピストンズ 4, ホークス 1
1987–88 50 32 .610 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ホークス 3, バックス 2
セルティックス 4, ホークス 3
1988–89 52 30 .634 1回戦敗退 バックス 3, ホークス 2
1989–90 41 41 .500
1990–91 43 39 .524 1回戦敗退 ピストンズ 3, ホークス 2
1991–92 38 44 .463
1992–93 43 39 .524 1回戦敗退 ブルズ 3, ホークス 0
1993–94 57 25 .695 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ホークス 3, ヒート 2
ペイサーズ 4, ホークス 2
1994–95 42 40 .512 1回戦敗退 ペイサーズ 3, ホークス 0
1995–96 46 36 .561 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ホークス 3, ペイサーズ 2
マジック 4, ホークス 1
1996–97 56 26 .683 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ホークス 3, ピストンズ 2
ブルズ 4, ホークス 1
1997–98 50 32 .610 1回戦敗退 シャーロット 3, ホークス 1
1998–99 31 19 .620 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ホークス 3, ピストンズ 2
ニックス 4, ホークス 0
1999-00 28 54 .341
2000–01 25 57 .305
2001–02 33 49 .402
2002–03 35 47 .427
2003–04 28 54 .341
2004–05 13 69 .188
2005–06 26 56 .317
2006-07 30 52 .366
2007-08 37 45 .451 1回戦敗退 セルティックス 4, ホークス 3
2008-09 47 35 .573 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ホークス 4, ヒート 3
キャブス 4, ホークス 0
2009-10 53 29 .646 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ホークス 4, バックス 3
マジック 4, ホークス 0
2010–11 44 38 .537 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ホークス 4, マジック 2
ブルズ 4, ホークス 2
2011–12 40 26 .606 1回戦敗退 セルティックス 4, ホークス 2
2012–13 44 38 .537 1回戦敗退 ペイサーズ 4, ホークス 2
2013–14 38 44 .463 1回戦敗退 ペイサーズ 4, ホークス 3
2014–15 60 22 .732 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ホークス 4, ネッツ 2
ホークス 4, ウィザーズ 2
キャバリアーズ 4, ホークス 0
2015–16 48 34 .585 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ホークス 4, セルティックス 2
キャバリアーズ 4, ホークス 0
2016–17 43 39 .524 1回戦敗退 ウィザーズ 4, ホークス 2
2017–18 24 58 .293
2018–19 29 53 .354
2019–20 20 47 .299
2020–21 41 31 .569 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ホークス 4, ニックス 1
ホークス 4, シクサーズ 3
バックス 4, ホークス 2
2021–22 43 39 .524 1回戦敗退 ヒート 4, ホークス 1
2022–23 41 41 .500 1回戦敗退 セルティックス 4, ホークス 2
2023–24 36 46 .439
2024–25 40 42 .488
通算勝敗 2,967 3,052 .493
プレーオフ 168 222 .431 優勝1回

主な選手

現役選手

プレーヤー スタッフ
Pos. # 名前 国籍 年齢 身長 体重 出身
G/F 7 ニキール・アレクサンダー=ウォーカー (Nickeil Alexander-Walker) 27 (1998/09/02) 6 ft 5 in (1.96 m) 205 lb (93 kg) バージニア工科大学 
G 5 ダイソン・ダニエルズ (Dyson Daniels) 22 (2003/03/17) 6 ft 7 in (2.01 m) 199 lb (90 kg) オーストラリア 
C 24 エヌファリー・ダンテ (N'Faly Dante) 24 (2001/10/19) 6 ft 11 in (2.11 m) 230 lb (104 kg) オレゴン大学 
F 22 ニコラ・ジュリシッチ (Nikola Đurišić) 21 (2004/02/23) 6 ft 8 in (2.03 m) 214 lb (97 kg) セルビア 
F/C 18 モハメド・ゲイ (Mouhamed Gueye) 23 (2002/11/09) 6 ft 11 in (2.11 m) 210 lb (95 kg) ワシントン州立大学 
F 33 ケイレブ・ヒュースタン (Caleb Houstan)  22 (2003/01/09) 6 ft 8 in (2.03 m) 205 lb (93 kg) ミシガン大学 
F 1 ジェイレン・ジョンソン (Jalen Johnson) 23 (2001/12/18) 6 ft 8 in (2.03 m) 219 lb (99 kg) デューク大学 
G/F 3 ルーク・ケナード (Luke Kennard) 29 (1996/06/24) 6 ft 5 in (1.96 m) 206 lb (93 kg) デューク大学 
G 27 ヴィト・クレイチ (Vít Krejčí) 25 (2000/06/19) 6 ft 8 in (2.03 m) 195 lb (88 kg) チェコ 
C 30 エリ・ンジャイ (Eli Ndiaye)  21 (2004/06/26) 6 ft 8 in (2.03 m) 209 lb (95 kg) セネガル 
F/C 14 エイサ・ニューエル (Asa Newell) 20 (2005/08/05) 6 ft 10 in (2.08 m) 220 lb (100 kg) ジョージア大学 
F/C 17 オニエカ・オコング (Onyeka Okongwu) 6th 24 (2000/12/11) 6 ft 10 in (2.08 m) 240 lb (109 kg) USC 
F/C 8 クリスタプス・ポルジンギス (Kristaps Porziņģis) 30 (1995/08/02) 7 ft 2 in (2.18 m) 240 lb (109 kg) ラトビア 
F 10 ザカリー・リザシェイ (Zaccharie Risacher) 20 (2005/04/08) 6 ft 8 in (2.03 m) 200 lb (91 kg) フランス 
F 0 ジェイコブ・トッピン (Jacob Toppin)  25 (2000/05/08) 6 ft 9 in (2.06 m) 200 lb (91 kg) ケンタッキー大学 
G 2 キートン・ウォーレス (Keaton Wallace) 26 (1999/02/26) 6 ft 3 in (1.91 m) 185 lb (84 kg) UTSA 
G 11 トレイ・ヤング (Trae Young)  27 (1998/09/19) 6 ft 1 in (1.85 m) 164 lb (74 kg) オクラホマ大学 
ヘッドコーチ
クイン・スナイダー (Quin Snyder)
アシスタントコーチ
  マイク・ブレイ (Mike Brey)
  ブリットニー・ドナルドソン (Brittni Donaldson)
  イゴール・ココスコフ (Igor Kokoškov)
  アントニオ・ラング (Antonio Lang)
  ロナルド・ノレッド (Ronald Nored)
  エペイ・ウドゥ (Ekpe Udoh)



更新日:2025年11月13日


保有するドラフト交渉権

ドラフト年 指名順 選手 Pos. 国籍 現所属チーム 注釈 Ref
2015 2 50 マーカス・エリクソン英語版 G/F  スウェーデン アルバ・ベルリンドイツ語版 (ドイツ) [17]

コーチ、その他

歴代ヘッドコーチ

栄誉

永久欠番

アトランタ・ホークス永久欠番一覧
番号 選手 Pos. 在籍期間 永久欠番年
9 ボブ・ペティット F 1954–1965
21 ドミニク・ウィルキンス F 1982–1994 2001年1月13日
23 ルー・ハドソン F/G 1966–1977 1977年3月1日
44 ピート・マラビッチ G 1970–1974 2017年3月1日
55 ディケンベ・ムトンボ C 1996–2001 2015年11月24日
59 1 カシム・リード アトランタ市長 2010–2018 2017年11月3日
テッド・ターナー テッド・ターナー オーナー 1977–2001 2004年11月30日

注釈

  • 1 ホークスは2010年から2018年まで地元アトランタの第59代目市長であったカシム・リードに敬意を表して、59代にちなんだ背番号「59」を永久欠番にした[18][19]

バスケットボール殿堂入り

アトランタ・ホークス殿堂入りメンバー一覧
選手
No. 名前 ポジション 在籍期間 殿堂入り年 No. 名前 ポジション 在籍期間 殿堂入り年
20
50
エド・マコーレー Ed Macauley 1 C/F 1956–1959 1960 9 ボブ・ペティット Bob Pettit F/C 1954–1965 1971
6
16
17
クリフ・ヘイガン en:Cliff Hagan F/G 1956–1966 1978 22 スレーター・マーティン Slater Martin 2 G 1956–1960 1982
14 ボブ・ホーブレッグス Bob Houbregs C/F 1953 1987 44 ピート・マラビッチ Pete Maravich G 1970–1974 1987
ボビー・マクダーモット Bobby McDermott G 1947–1948 1988 34 クライド・ラブレット Clyde Lovellette C/F 1958–1962 1988
14
15
32
レニー・ウィルケンズ Lenny Wilkens 3 G 1960–1968 1989 42 コニー・ホーキンズ Connie Hawkins F/C 1975–1976 1992
8 ウォルト・ベラミー Walt Bellamy 4 C 1970–1974 1993 2 モーゼス・マローン Moses Malone C/F 1988–1991 2001
21 ドミニク・ウィルキンス Dominique Wilkins F 1982–1994 2006 15
18
19
リッチー・ゲリン Richie Guerin 5 G 1963–1967
1968–1970
2013
55 ディケンベ・ムトンボ Dikembe Mutombo C 1996–2001 2015 14
31
ゼルモ・ビーティ Zelmo Beaty C 1962–1969 2016
1 トレイシー・マグレディ Tracy McGrady G/F 2011–2012 2017[20] 10 モーリス・チークス Maurice Cheeks G 1991–1992 2018
15
11
チャック・クーパー Chuck Cooper F 1954–1956 2019 15 シドニー・モンクリーフ Sidney Moncrief G 1990–1991 2019
7 トニー・クーコッチ Toni Kukoč F 2001–2002 2021 23 ルー・ハドソン Lou Hudson G/F 1966–1977 2022
15 ヴィンス・カーター Vince Carter F 2018–2020 2024 8 ドワイト・ハワード 6 Dwight Howard C 2016–2017 2025
コーチ
名前 役職 在籍期間 殿堂入り年 名前 役職 在籍期間 殿堂入り年
レッド・アワーバック Red Auerbach ヘッドコーチ 1949–1950 1969 10 レッド・ホルツマン Red Holzman 7 ヘッドコーチ 1954–1957 1986
4
6
33
アレックス・ハナム Alex Hannum 8 ヘッドコーチ 1957–1958 1998 レニー・ウィルケンズ Lenny Wilkens 3 ヘッドコーチ 1993–2000 1998
貢献者
名前 Pos. 在籍期間 選出年 名前 Pos. 在籍期間 選出年
ヒュービー・ブラウン Hubie Brown ヘッドコーチ 1976–1981 2005 22
44
ロッド・ソーン Rod Thorn G 1965–1967 2018
コットン・フィッツシモンズ Cotton Fitzsimmons ヘッドコーチ 1972–1976 2021

注釈:

  • 1 1958年から1960年にかけてコーチも務めた。
  • 2 1957年にはコーチも務めた。
  • 3 ウィルケンズは1992年オリンピックチームのアシスタントコーチとしても殿堂入りを果たしている。
  • 4 ベラミーは選手及び1960年のオリンピックチームのメンバーとしても殿堂入りを果たしている。
  • 5 1964年から1972年までコーチも務めた。
  • 6 ハワードは2008年オリンピックチームのメンバーとしても殿堂入りを果たした。
  • 7 1953-1954シーズンに同チームでプレーしている。
  • 8 1954年から1956年、1956年から1957年にも同チームでプレーしている。

FIBA殿堂入り

アトランタ・ホークス殿堂入りメンバー一覧
選手
No. 名前 Pos. 在籍期間 選出年
7 トニー・クーコッチ Toni Kukoč F 2001–2002 2017
8 アレクサンドル・ボルコフ Alexander Volkov F/C 1989–1992 2020

チーム記録

アトランタ・ホークス
通算出場試合 882
ドミニク・ウィルキンス
通算得点 23,292
ドミニク・ウィルキンス
通算リバウンド 12,849
ボブ・ペティット
通算アシスト 3,868
トレイ・ヤング
通算スティール 1,321
ムーキー・ブレイロック
通算ブロック 2,283
トゥリー・ロリンズ
1試合最多得点 57
ボブ・ペティット
ルー・ハドソン
ドミニク・ウィルキンス
1試合最多リバウンド 35
ボブ・ペティット
1試合最多アシスト 23
ムーキー・ブレイロック
1試合最多スティール 10
ムーキー・ブレイロック
1試合最多ブロック 12
トゥリー・ロリンズ
プレーオフ1試合最多得点 50
ボブ・ペティット
ドミニク・ウィルキンス
プレーオフ1試合 最多リバウンド 36
ビル・ブリッジーズ
プレーオフ1試合 最多アシスト 22
ドック・リバース
プレーオフ1試合 最多スティール 8
ムーキー・ブレイロック
プレーオフ1試合 最多ブロック 7
ジョシュ・スミス


関連項目

脚註

  1. ^ Franchise History”. Hawks.com. NBA Media Ventures, LLC. 2018年4月4日閲覧。
  2. ^ NBA.com/Stats–Atlanta Hawks”. Stats.NBA.com. NBA Media Ventures, LLC. 2017年1月25日閲覧。
  3. ^ History: Team by Team”. 2019-20 Official NBA Guide. NBA Properties, Inc. (2019年10月17日). 2020年8月2日閲覧。
  4. ^ Forever True to Atlanta”. Hawks.com. NBA Media Ventures, LLC (2020年7月21日). 2020年7月21日閲覧。
  5. ^ “Hawks look to past with new uniform set”. NBA.com (Press release). NBA Media Ventures, LLC. 21 July 2020. 2020年7月21日閲覧.
  6. ^ Atlanta Hawks Reproduction and Usage Guideline Sheet”. NBA Properties, Inc.. 2020年8月2日閲覧。
  7. ^ “Sharecare and Hawks Launch Jersey Patch Partnership And Innovative Health Movement”. Hawks.com (Press release). NBA Media Ventures, LLC. 17 August 2017. 2017年12月17日閲覧.
  8. ^ Adams, Sarah.Wharton has survived George Wallace and Red Auerbach. Progress 2006. QCOnline.com. 2009年9月15日閲覧.
  9. ^ (PDF) 2011-2012 Spurs media guide. San Antonio Spurs. p. 58. http://i.cdn.turner.com/nba/nba/.element/media/2.0/teamsites/spurs/imgs/spurs_sse_staff_201112_mediaguide.pdf 2011年12月24日閲覧。 
  10. ^ Hawks Name Mike Budenholzer As Head Coach”. NBA.com (2013年5月28日). 2013年5月28日閲覧。
  11. ^ [2015 NBAオールスター] リザーブメンバー発表、ホークスから3選手選出”. NBA Japan (2015年2月). 2015年3月24日閲覧。
  12. ^ Hawks rip Suns, get franchise-record 58th win”. NBA.com (2015年4月7日). 2015年4月9日閲覧。
  13. ^ “Rockets Complete Four-Team Trade” (Press release). Houston Rockets. 6 February 2020. 2020年2月6日閲覧.
  14. ^ Atlanta Completes Trade with San Antonio Spurs; Acquires Dejounte Murray and Jock Landale in Exchange for Danilo Gallinari and Future First Round Draft Picks”. NBA.com. 2022年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月30日閲覧。
  15. ^ Pelicans acquire Dejounte Murray” (英語). www.nba.com. 2024年9月19日閲覧。
  16. ^ Atlanta Hawks Sign No. 1 Overall Pick Zaccharie Risacher” (英語). www.nba.com. 2024年9月20日閲覧。
  17. ^ Hawks Select Jeff Teague in First Round of 2009 NBA Draft”. NBA.com (2009年6月25日). 2010年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月14日閲覧。
  18. ^ “Hawks To Honor Mayor Kasim Reed With Ceremonial Jersey Retirement”. NBA Media Ventures, LLC. (2017年10月26日). https://www.nba.com/hawks/news/hawks-honor-mayor-kasim-reed-ceremonial-jersey-retirement 2018年2月28日閲覧。 
  19. ^ “Harden, Rockets scorch Hawks in first half of 119-104 win”. USA Today. (2017年11月3日). https://www.usatoday.com/story/sports/nba/2017/11/03/harden-rockets-scorch-hawks-in-first-half-of-119-104-win/107320224/ 2018年2月28日閲覧。 
  20. ^ Tracy McGrady, Bill Self, Rebecca Lobo and Muffet McGraw Headline Class”. Naismith Memorial Basketball Hall of Fame Official Website. 2017年4月29日閲覧。

外部リンク

  1. ^ 当時NBL英語版所属だったため、NBAに記載されているものを参考として使用するため

セントルイス・ホークス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 17:05 UTC 版)

クライド・ラブレット」の記事における「セントルイス・ホークス」の解説

ボブ・ペティット擁する当時ホークスリーグ代表する強豪チームであり、ラブレットが移籍する前季には優勝果たしていた。そしてラブレットが加入した1958-59シーズンには前季を上回る4923敗の好成績記録。しかしプレーオフでは皮肉にもラブレットの古巣であり下位シードレイカーズに、まさかの敗戦喫している。またラブレット自身移籍1年目は14.4得点8.6リバウンド彼にしては平凡な成績終わった。しかし翌1959-60シーズンには20.8得点10.6リバウンド復活しホークスペティットクリフ・ヘイガン、そしてラブレットとそれぞれアベレージ20得点以上を叩き出す当時最高峰トリオ率いられ、このシーズンにはファイナル進出果たした。翌1960-61シーズンシーズンにはレニー・ウィルケンズ加わり5128敗を記録2年連続ファイナル進出するも、ボストン・セルティックス絶頂期重なってしまい、2年連続セルティックス前に敗退した32となったラブレットは故障抱えるようになり、1961-62シーズンには40試合欠場。ラブレットの他にも故障者が続出したこのシーズンホークス大きく負け越し、ラブレットはこのシーズン最後にホークスから移籍することになった

※この「セントルイス・ホークス」の解説は、「クライド・ラブレット」の解説の一部です。
「セントルイス・ホークス」を含む「クライド・ラブレット」の記事については、「クライド・ラブレット」の概要を参照ください。

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