アトランタ・ホークス
(セントルイス・ホークス から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/13 21:30 UTC 版)
| アトランタ・ホークス Atlanta Hawks |
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| チームロゴ | 赤を基調とした円形で外側に白文字でATLANTA HAWKS BASKETBALL CLUBと書かれ、その中に鷹のくちばしがデザインされている。 | |||
| 所属リーグ | NBA |
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| カンファレンス | イースタン・カンファレンス | |||
| ディビジョン | サウスイースト | |||
| 創設 | 1946年 | |||
| チーム史 | トライシティーズ・ブラックホークス 1946年-1951年 ミルウォーキー・ホークス 1951年-1955年 セントルイス・ホークス 1955年-1968年 アトランタ・ホークス 1968年-現在[1][2][3] |
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| 本拠 |
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| アリーナ | ステートファーム・アリーナ | |||
| チームカラー | トーチレッド, レガシーイエロー, インフィニティブラック, グラナイトグレー[4][5][6] |
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| 主なスポンサー | Sharecare[7] | |||
| オーナー | トニー・レスラー | |||
| 社長 | スティーブ・クーニン | |||
| GM | ランドリー・フィールズ | |||
| ヘッドコーチ | クイン・スナイダー | |||
| 優勝歴 | 1回 (1958年) |
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| ファイナル進出 | 4回 (1957年, 1958年, 1960年, 1961年) | |||
| ディビジョン優勝 | 12回 (1957年, 1958年, 1959年, 1960年, 1961年, 1968年, 1970年, 1980年, 1987年, 1994年, 2015年, 2021年) | |||
| 永久欠番 | 9 21 23 44 55 59 | |||
| NBAGL提携チーム | カレッジパーク・スカイホークス | |||
| 公式サイト | www |
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アトランタ・ホークス(Atlanta Hawks)は、アメリカ合衆国・ジョージア州アトランタに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。イースタン・カンファレンス、サウスイースト・ディビジョンに所属。
歴史
初期
1946年にイリノイ州モリーンにてトライシティーズ・ブラックホークスとして創設され、NBL (National Basketball League) に加盟した。
地名はミシシッピ川とロック川の合流点付近に位置するアイオワ州ダベンポート、イリノイ州ロックアイランド、モリーンの3都市がトライシティーズと呼ばれていたことに由来する。ただし、当時すでに4番目の都市であるイリノイ州イーストモリーンを加えてクアッドシティーズと呼ばれつつあった。その後5番目の都市であるアイオワ州ベッテンドルフも加わったがクイントシティーズとはならず、現在もクアッドシティーズの呼称で定着している。モリーンには当時の競技場、ウォートン・フィールド・ハウスが現在も残っており、地元の高校がバスケットボールやバレーボール、レスリングの試合などに使用している[8]。
ニックネームはブラック・ホーク戦争で知られるソーク族のリーダーだったブラック・ホークがロックアイランド出身であることに由来する。なお、ナショナルホッケーリーグ(NHL)のシカゴ・ブラックホークス(1926年創設)もブラック・ホークに敬意を表してニックネームとしており、ホークスと通称されることも多い。
1949年にNBLはBAA (Basketball Association of America) と合併しNBAが誕生、ホークスは監督にレッド・アワーバックを迎えた。
1951年にウィスコンシン州ミルウォーキーへ移転し、ミルウォーキー・ホークスと改称した。ミルウォーキー時代最後の1954年にホークスはボブ・ペティットを獲得した。
1955年にミズーリ州セントルイスへ移転し、セントルイス・ホークスと改称した。この頃の監督は後にバスケットボール殿堂入りするレッド・ホルツマンだったもののチーム成績は伸び悩んだ。
1956年に元ホークス選手のアレックス・ハナムが監督に就くと状況は好転し、ボブ・ペティット、クリフ・ヘイガンを中心とした強豪へと成長した。1958年のNBAファイナルで優勝を果たし、これが現在もチーム史上唯一の優勝経験となっている。続く1960年代前半、ペティットが現役でいる間ホークスはリーグの強豪の1つだったが、同時代を支配したボストン・セルティックスに優勝を譲る時期が続いた。
アトランタ・ホークス
1968年にジョージア州アトランタへ移転し、アトランタ・ホークスと改称した。この頃よりチームは勝率5割前後が長く続いた。プレーオフには進出するものの、1回戦ないし2回戦敗退が長く続いた。1970年代前半はのちに殿堂入りするピート・マラビッチがチームを率いた。
70年代後半は低迷しプレーオフからも離れ、低迷期は1980年代前半まで続いた。80年代中期にはマイク・フラテロが監督を務め、徐々にディビジョンの強豪の1つとして成長していった。1982年のNBAドラフトで指名したドミニク・ウィルキンズはリーグを代表する選手の1人として人気を集め、ドック・リバース、ケビン・ウィリス、ステイシー・オーグモンらが脇を固めた。
1990年代に入る頃ホークスは再び低迷期に入り、1993年に就任した名将レニー・ウィルケンズがチームの再建に取り組んだ。1993-94シーズン途中にウィルキンズ、翌シーズン途中にはウィリスも放出したが、ムーキー・ブレイロック、スティーブ・スミス、ディケンベ・ムトンボ、アラン・ヘンダーソンなどの好選手を擁し、ディビジョン上位に食い込む活躍を見せた。ウィルケンズは在任中に監督として勝利数を塗り替える快挙を成し遂げたもののプレーオフでは2回戦を越えられない年が続き、1999年にブレイロック、スティーブ・スミスは放出され、2000年にウィルケンズは辞任。1999-00シーズンからは8シーズン連続でプレーオフ進出を逃した。
2001年のNBAドラフト3位指名権などと交換でシャリーフ・アブドゥル=ラヒームを獲得し、1999年のNBAドラフトにドラフトで指名したジェイソン・テリーと2人を軸に再建を図ったが低迷から脱せず、2004年にテリーとアブドゥル=ラヒームは放出された。また、2003年9月にチームは、同じアリーナを使用するプロアイスホッケー、NHLのチームのアトランタ・スラッシャーズと共に、タイムワーナー社から、投資者集団に売り渡された。
2004年のNBAドラフトでジョシュ・チルドレス、ジョシュ・スミス、サリム・スタウダマイアーを指名したが、2004-05シーズンは連勝が1度もなく不振を極め、球団史上最低の13勝に終った。
2005年のNBAドラフトでは全体2位指名権を得てマービン・ウィリアムズを指名、トレードでジョー・ジョンソンを獲得。2007年のNBAドラフトでは全体3位指名権を得てアル・ホーフォードを指名し有望な若手選手を揃えたチームは、2007-08シーズン、2008年2月にはマイク・ビビーをトレードで獲得し、更なる飛躍を目指し、9年振りとなるプレーオフ進出決定した。
2013年のNBAファイナル直前に、グレッグ・ポポヴィッチのもと、サンアントニオ・スパーズの第1アシスタントコーチとしてポポビッチを支え、4度のNBA優勝を経験した[9]マイク・ブーデンホルツァーがホークスのヘッドコーチに選任された[10]。新ヘッドコーチでのシーズンは、前シーズンまで6年連続プレーオフ進出が続いている強豪で、主力のアル・ホーフォードが故障で十分に出場できない中、残りのロースターで苦戦しながら、38勝44敗と負け越しはしたものの、プレーオフに8位で滑り込んだ。1stラウンド1戦目で1位のインディアナ・ペイサーズを下し、新ヘッドコーチでプレーオフ初勝利を勝ち取った。その後2勝し最終戦まで粘ったが、1回戦で敗退した。
2014-15シーズンは、ブーデンホルツァーの標榜するチームバスケットが浸透し、派手さはないがターンオーバーが少なくパスの良く回るスパーズ仕込みのゲームを展開。またデニス・シュルーダーら若手選手の成長もあり、序盤から勝率7割以上で、イースタンカンファレンスの首位を独走した。ビューデンホルツァーは、ウェストで同じく好スタートを維持したゴールデンステート・ウォリアーズ新ヘッドコーチのスティーブ・カーと共にオールスターゲームのヘッドコーチに選ばれた。選手も、アル・ホーフォード、ジェフ・ティーグ、ポール・ミルサップの3選手が選ばれた[11]。カイル・コーバーもドウェイン・ウェイドの欠場に伴い出場した。後半戦も勝ち星を伸ばし、サウスイーストディビジョン優勝とイースタン・カンファレンス第1シードでのプレーオフ進出を決め、4月7日のフェニックス・サンズ戦でシーズン58勝目を挙げ、フランチャイズ記録を更新[12]。更に10日のシャーロット・ホーネッツ戦の勝利で、チーム史上初のシーズン60勝を達成。プレーオフに入ってからも好調が続き、ブルックリン・ネッツ、ワシントン・ウィザーズをそれぞれ4勝2敗で下し、アトランタに移転して以降初めてカンファレンスファイナルに進出したものの、カンファレンスファイナルでは、レブロン・ジェームズが復帰したクリーブランド・キャバリアーズに4戦全敗をスイープ負けを喫し、NBAファイナル進出はならなかった。
2015-16シーズンは、攻守のキーマンだったデマール・キャロルを失い、先行きが不安視されたが、48勝34敗でプレーオフに進出。1stラウンドはボストン・セルティックスを退けたものの、セミファイナルはまたしてもクリーブランド・キャバリアーズに4戦全敗を喫し、シーズン終了後には契約交渉が決裂していたジェフ・ティーグ、アル・ホーフォードを放出。新たに地元アトランタ出身のドワイト・ハワードを獲得し、チームを立て直すことになった。2016-17シーズンは43勝39敗の成績でイースタンカンファレンス5位でプレーオフに進出するも、1stラウンドでワシントン・ウィザーズに2勝4敗で敗れた。オフにはミルサップが退団するなど、再建に舵を切った。
2017-18シーズンは苦しいシーズンとなり、24勝58敗でカンファレンス最下位に沈み、11年振りにプレーオフ進出を逃した。また、このシーズンはダンクコンテスト優勝者のヴィンス・カーターを獲得する。
2018-:トレイ・ヤングの時代
2018年5月、アトランタ・ホークスはロイド・ピアースを新ヘッドコーチに招聘した。同年のNBAドラフトでは3位指名でルカ・ドンチッチを獲得したが、直後にダラス・マーベリックスとのトレードを成立。ドンチッチの交渉権と引き換えに、2019年の1巡目指名権(保護付き)とトレイ・ヤングの交渉権を獲得した。さらに、同ドラフトの19位でケビン・ハーター、30位でオマリ・スペルマンを指名し、再建へと舵を切った。オフシーズンにはデニス・シュルーダーを放出し、代わりにジェレミー・リンを獲得。他にもベテランのヴィンス・カーターやアレックス・レンらを補強し、ピアース政権下のチームは、トラビス・シュレンクGMの方針を反映し、若手中心の育成路線を進めた。
2019年のNBAドラフトでは、ホークスは全体4位指名でデアンドレ・ハンターを獲得。さらに、ドンチッチとのトレードで得た10位指名権を使ってキャム・レディッシュを獲得した。2020年1月23日、ヤングが初めてオールスターゲームに選出され、先発出場を果たした。ホークスの選手がオールスター戦で先発出場するのは、1998年のディケンベ・ムトンボ以来初のことだった。2月4日には4チーム間トレードでクリント・カペラを獲得した[13]。このシーズンを最後にヴィンス・カーターはNBA歴代最長となる22シーズンの現役生活を終えた。
2020-21シーズン、ホークスはロスターを強化するために動き、ボグダン・ボグダノヴィッチとダニーロ・ガリナリの2人のベテランを獲得。さらにバックコートの補強としてラジョン・ロンドとクリス・ダンを加えた。2021年3月、チームが14勝20敗と不振に陥ったため、ロイド・ピアースは解任され、ネイト・マクミランが暫定ヘッドコーチに就任。マクミランが指揮を執ると、チームはすぐに8連勝を記録し、プレーオフ圏内に浮上した。その後ホークスはマクミランの下で27勝11敗と好成績を残し、最終的に41勝31敗(イースタン・カンファレンス5位)でシーズンを終え、サウスイースト地区優勝を果たした。プレーオフでは、第4シードのニューヨーク・ニックスを破り、さらに第1シードのフィラデルフィア・セブンティシクサーズを下してイースタン・カンファレンスファイナルに進出。これは球団史上54年ぶりにカンファレンス準決勝を突破した快挙だった。しかし、ヤングは第3戦で審判の足を踏んで負傷し、チームは最終的にマイク・ブーデンホルツァー率いるミルウォーキー・バックスに6試合で敗退した。プレーオフ敗退から2日後、ホークスはマクミランと4年契約で正式にヘッドコーチ就任に合意したと発表した。
2021-22シーズン開幕前、ホークスはガリナリと将来の1巡目指名権3本をサンアントニオ・スパーズに送り、オールスター経験のあるデジャンテ・マレーを獲得した[14]。同年7月6日には、ケビン・ハーターをサクラメント・キングスへトレードし、代わりにモーリス・ハークレス、ジャスティン・ホリデー、および将来の1巡目指名権を獲得した。ヤングとマレーの新バックコート体制で臨んだものの、チームは41勝41敗と期待外れの成績に終わり、プレーオフ1回戦でボストン・セルティックスに敗れた。
2023–24シーズン、トレード期限前の時点でチームは負け越しの戦績となり、ヤングと3年目フォワードのジェイレン・ジョンソンを除く全選手をトレード候補として検討していることが明らかになった。ホークスは最終的に36勝46敗でシーズンを終え、プレーイン・トーナメントではシカゴ・ブルズに131–116で敗れ、プレーオフ進出を逃した。
2024-25シーズン開幕前のトレードでニューオーリンズ・ペリカンズにマレーを放出し、ダイソン・ダニエルズ、ラリー・ナンス・ジュニア、E・J・リデル、コディ・ゼラー(サイン・アンド・トレード)、2つの将来のドラフト1巡目指名権を獲得し、ヤングとマレーのバックコートはわずか2年で解体となった[15]。2024年のNBAドラフトでは、3%の確率で全体1位指名権を引き当て、フランス出身のザカリー・リザシェイを指名した[16]。
ホークスはNBAカップ2024の準決勝に進出した時点で14勝12敗の成績だったが、ミルウォーキー・バックスに敗れ、初のNBAカップ決勝進出を逃した。シーズン中盤にはジェイレン・ジョンソンがシーズン絶望となり、チームの主力選手であったハンターをクリーブランド・キャバリアーズに、ボグダノヴィッチをロサンゼルス・クリッパーズへ放出するなどロスターが大きく入れ替わった。そんな中、ダイソン・ダニエルズが卓越した守備力を発揮し、1シーズンで229スティールという球団新記録を樹立。スティール数とディフレクション数でリーグ首位となり、NBA最成長選手賞を受賞した。しかし、チームはプレーイン・トーナメントでオーランド・マジックとマイアミ・ヒートに連敗して敗退した。
2025-26シーズン、オフシーズンにボストン・セルティックスからオールスター経験のあるクリスタプス・ポルジンギスを獲得。NBAドラフトでは23位でエイサ・ニューエルを指名した。フリーエージェントではニキール・アレクサンダー=ウォーカーやルーク・ケナードを獲得し、補強に成功した。
シーズンごとの成績
Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率
| シーズン | 勝 | 敗 | % | プレーオフ | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|
| トライシティーズ・ブラックホークス | |||||
| 1949–50 | 29 | 35 | .453 | ディビジョン準決勝 | アンダーソン 2, ブラックホークス 1 |
| 1950–51 | 25 | 43 | .368 | ||
| ミルウォーキー・ホークス | |||||
| 1951–52 | 17 | 49 | .258 | ||
| 1952–53 | 27 | 44 | .380 | ||
| 1953–54 | 21 | 51 | .292 | ||
| 1954–55 | 26 | 46 | .361 | ||
| セントルイス・ホークス | |||||
| 1955–56 | 33 | 39 | .458 | ディビジョン2位決定戦敗退 ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝敗退 |
ミネアポリス 1, ホークス 0 ホークス 2, ミネアポリス 1 フォートウェイン 3, ホークス 2 |
| 1956–57 | 34 | 38 | .472 | タイブレークゲーム勝利 タイブレークゲーム勝利 ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル |
ホークス 1, フォートウェイン 0 ホークス 1, ミネアポリス 0 ホークス 3, ミネアポリス 0 セルティックス 4, ホークス 3 |
| 1957–58 | 41 | 31 | .569 | ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル優勝 |
ホークス 4, フォートウェイン 1 ホークス 4, セルティックス 2 |
| 1958–59 | 49 | 23 | .681 | ディビジョン決勝敗退 | ミネアポリス 4, ホークス 2 |
| 1959–60 | 46 | 29 | .613 | ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル敗退 |
ホークス 4, ミネアポリス 3 セルティックス 4, ホークス 3 |
| 1960–61 | 51 | 28 | .646 | ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル敗退 |
ホークス 4, ミネアポリス 3 セルティックス 4, ホークス 1 |
| 1961–62 | 29 | 51 | .363 | ||
| 1962–63 | 48 | 32 | .600 | ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝敗退 |
ホークス 3, フォートウェイン 1 レイカーズ 4, ホークス 3 |
| 1963–64 | 46 | 34 | .575 | ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝敗退 |
ホークス 3, レイカーズ 2 サンフランシスコ 4, ホークス 3 |
| 1964–65 | 45 | 35 | .563 | ディビジョン準決勝敗退 | ボルチモア 3, ホークス 1 |
| 1965–66 | 36 | 44 | .450 | ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝敗退 |
ホークス 3, ボルチモア 0 レイカーズ 4, ホークス 3 |
| 1966–67 | 39 | 42 | .481 | ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝敗退 |
ホークス 3, ブルズ 0 サンフランシスコ 4, ホークス 2 |
| 1967–68 | 56 | 26 | .683 | ディビジョン準決勝敗退 | サンフランシスコ 4, ホークス 2 |
| アトランタ・ホークス | |||||
| 1968–69 | 48 | 34 | .585 | ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝敗退 |
ホークス 4, サンディエゴ 2 レイカーズ 4, ホークス 1 |
| 1969–70 | 48 | 34 | .585 | ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝敗退 |
ホークス 4, ブルズ 1 レイカーズ 4, ホークス 0 |
| 1970–71 | 36 | 46 | .439 | カンファレンス準決勝敗退 | ニックス 4, ホークス 1 |
| 1971–72 | 36 | 46 | .439 | カンファレンス準決勝敗退 | セルティックス 4, ホークス 2 |
| 1972–73 | 46 | 36 | .561 | カンファレンス準決勝敗退 | セルティックス 4, ホークス 2 |
| 1973–74 | 35 | 47 | .427 | ||
| 1974–75 | 31 | 51 | .378 | ||
| 1975–76 | 29 | 53 | .354 | ||
| 1976–77 | 31 | 51 | .378 | ||
| 1977–78 | 41 | 41 | .500 | 1回戦敗退 | ウィザーズ 2, ホークス 0 |
| 1978–79 | 46 | 36 | .561 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
ホークス 2, ロケッツ 0 ウィザーズ 4, ホークス 3 |
| 1979–80 | 50 | 32 | .610 | カンファレンス準決勝敗退 | シクサーズ 4, ホークス 1 |
| 1980–81 | 31 | 51 | .378 | ||
| 1981–82 | 42 | 40 | .512 | 1回戦敗退 | シクサーズ 2, ホークス 0 |
| 1982–83 | 43 | 39 | .524 | 1回戦敗退 | セルティックス 2, ホークス 1 |
| 1983–84 | 40 | 42 | .488 | 1回戦敗退 | バックス 3, ホークス 2 |
| 1984–85 | 34 | 48 | .415 | ||
| 1985–86 | 50 | 32 | .610 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
ホークス 3, ピストンズ 1 セルティックス 4, ホークス 1 |
| 1986–87 | 57 | 25 | .695 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
ホークス 3, ペイサーズ 1 ピストンズ 4, ホークス 1 |
| 1987–88 | 50 | 32 | .610 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
ホークス 3, バックス 2 セルティックス 4, ホークス 3 |
| 1988–89 | 52 | 30 | .634 | 1回戦敗退 | バックス 3, ホークス 2 |
| 1989–90 | 41 | 41 | .500 | ||
| 1990–91 | 43 | 39 | .524 | 1回戦敗退 | ピストンズ 3, ホークス 2 |
| 1991–92 | 38 | 44 | .463 | ||
| 1992–93 | 43 | 39 | .524 | 1回戦敗退 | ブルズ 3, ホークス 0 |
| 1993–94 | 57 | 25 | .695 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
ホークス 3, ヒート 2 ペイサーズ 4, ホークス 2 |
| 1994–95 | 42 | 40 | .512 | 1回戦敗退 | ペイサーズ 3, ホークス 0 |
| 1995–96 | 46 | 36 | .561 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
ホークス 3, ペイサーズ 2 マジック 4, ホークス 1 |
| 1996–97 | 56 | 26 | .683 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
ホークス 3, ピストンズ 2 ブルズ 4, ホークス 1 |
| 1997–98 | 50 | 32 | .610 | 1回戦敗退 | シャーロット 3, ホークス 1 |
| 1998–99 | 31 | 19 | .620 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
ホークス 3, ピストンズ 2 ニックス 4, ホークス 0 |
| 1999-00 | 28 | 54 | .341 | ||
| 2000–01 | 25 | 57 | .305 | ||
| 2001–02 | 33 | 49 | .402 | ||
| 2002–03 | 35 | 47 | .427 | ||
| 2003–04 | 28 | 54 | .341 | ||
| 2004–05 | 13 | 69 | .188 | ||
| 2005–06 | 26 | 56 | .317 | ||
| 2006-07 | 30 | 52 | .366 | ||
| 2007-08 | 37 | 45 | .451 | 1回戦敗退 | セルティックス 4, ホークス 3 |
| 2008-09 | 47 | 35 | .573 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
ホークス 4, ヒート 3 キャブス 4, ホークス 0 |
| 2009-10 | 53 | 29 | .646 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
ホークス 4, バックス 3 マジック 4, ホークス 0 |
| 2010–11 | 44 | 38 | .537 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
ホークス 4, マジック 2 ブルズ 4, ホークス 2 |
| 2011–12 | 40 | 26 | .606 | 1回戦敗退 | セルティックス 4, ホークス 2 |
| 2012–13 | 44 | 38 | .537 | 1回戦敗退 | ペイサーズ 4, ホークス 2 |
| 2013–14 | 38 | 44 | .463 | 1回戦敗退 | ペイサーズ 4, ホークス 3 |
| 2014–15 | 60 | 22 | .732 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退 |
ホークス 4, ネッツ 2 ホークス 4, ウィザーズ 2 キャバリアーズ 4, ホークス 0 |
| 2015–16 | 48 | 34 | .585 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
ホークス 4, セルティックス 2 キャバリアーズ 4, ホークス 0 |
| 2016–17 | 43 | 39 | .524 | 1回戦敗退 | ウィザーズ 4, ホークス 2 |
| 2017–18 | 24 | 58 | .293 | ||
| 2018–19 | 29 | 53 | .354 | ||
| 2019–20 | 20 | 47 | .299 | ||
| 2020–21 | 41 | 31 | .569 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退 |
ホークス 4, ニックス 1 ホークス 4, シクサーズ 3 バックス 4, ホークス 2 |
| 2021–22 | 43 | 39 | .524 | 1回戦敗退 | ヒート 4, ホークス 1 |
| 2022–23 | 41 | 41 | .500 | 1回戦敗退 | セルティックス 4, ホークス 2 |
| 2023–24 | 36 | 46 | .439 | ||
| 2024–25 | 40 | 42 | .488 | ||
| 通算勝敗 | 2,967 | 3,052 | .493 | ||
| プレーオフ | 168 | 222 | .431 | 優勝1回 | |
主な選手
現役選手
| プレーヤー | スタッフ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
更新日:2025年11月13日 |
保有するドラフト交渉権
| ドラフト年 | 巡 | 指名順 | 選手 | Pos. | 国籍 | 現所属チーム | 注釈 | Ref |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2015 | 2 | 50 | マーカス・エリクソン | G/F | アルバ・ベルリン (ドイツ) | [17] |
コーチ、その他
歴代ヘッドコーチ
|
|
栄誉
永久欠番
| アトランタ・ホークス永久欠番一覧 | ||||
| 番号 | 選手 | Pos. | 在籍期間 | 永久欠番年 |
|---|---|---|---|---|
| 9 | ボブ・ペティット | F | 1954–1965 | |
| 21 | ドミニク・ウィルキンス | F | 1982–1994 | 2001年1月13日 |
| 23 | ルー・ハドソン | F/G | 1966–1977 | 1977年3月1日 |
| 44 | ピート・マラビッチ | G | 1970–1974 | 2017年3月1日 |
| 55 | ディケンベ・ムトンボ | C | 1996–2001 | 2015年11月24日 |
| 59 1 | カシム・リード | アトランタ市長 | 2010–2018 | 2017年11月3日 |
| テッド・ターナー | テッド・ターナー | オーナー | 1977–2001 | 2004年11月30日 |
注釈
バスケットボール殿堂入り
| アトランタ・ホークス殿堂入りメンバー一覧 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 選手 | |||||||||||
| No. | 名前 | ポジション | 在籍期間 | 殿堂入り年 | No. | 名前 | ポジション | 在籍期間 | 殿堂入り年 | ||
| 20 50 |
エド・マコーレー | Ed Macauley 1 | C/F | 1956–1959 | 1960 | 9 | ボブ・ペティット | Bob Pettit | F/C | 1954–1965 | 1971 |
| 6 16 17 |
クリフ・ヘイガン | en:Cliff Hagan | F/G | 1956–1966 | 1978 | 22 | スレーター・マーティン | Slater Martin 2 | G | 1956–1960 | 1982 |
| 14 | ボブ・ホーブレッグス | Bob Houbregs | C/F | 1953 | 1987 | 44 | ピート・マラビッチ | Pete Maravich | G | 1970–1974 | 1987 |
| ボビー・マクダーモット | Bobby McDermott | G | 1947–1948 | 1988 | 34 | クライド・ラブレット | Clyde Lovellette | C/F | 1958–1962 | 1988 | |
| 14 15 32 |
レニー・ウィルケンズ | Lenny Wilkens 3 | G | 1960–1968 | 1989 | 42 | コニー・ホーキンズ | Connie Hawkins | F/C | 1975–1976 | 1992 |
| 8 | ウォルト・ベラミー | Walt Bellamy 4 | C | 1970–1974 | 1993 | 2 | モーゼス・マローン | Moses Malone | C/F | 1988–1991 | 2001 |
| 21 | ドミニク・ウィルキンス | Dominique Wilkins | F | 1982–1994 | 2006 | 15 18 19 |
リッチー・ゲリン | Richie Guerin 5 | G | 1963–1967 1968–1970 |
2013 |
| 55 | ディケンベ・ムトンボ | Dikembe Mutombo | C | 1996–2001 | 2015 | 14 31 |
ゼルモ・ビーティ | Zelmo Beaty | C | 1962–1969 | 2016 |
| 1 | トレイシー・マグレディ | Tracy McGrady | G/F | 2011–2012 | 2017[20] | 10 | モーリス・チークス | Maurice Cheeks | G | 1991–1992 | 2018 |
| 15 11 |
チャック・クーパー | Chuck Cooper | F | 1954–1956 | 2019 | 15 | シドニー・モンクリーフ | Sidney Moncrief | G | 1990–1991 | 2019 |
| 7 | トニー・クーコッチ | Toni Kukoč | F | 2001–2002 | 2021 | 23 | ルー・ハドソン | Lou Hudson | G/F | 1966–1977 | 2022 |
| 15 | ヴィンス・カーター | Vince Carter | F | 2018–2020 | 2024 | 8 | ドワイト・ハワード 6 | Dwight Howard | C | 2016–2017 | 2025 |
| コーチ | |||||||||||
| 名前 | 役職 | 在籍期間 | 殿堂入り年 | 名前 | 役職 | 在籍期間 | 殿堂入り年 | ||||
| レッド・アワーバック | Red Auerbach | ヘッドコーチ | 1949–1950 | 1969 | 10 | レッド・ホルツマン | Red Holzman 7 | ヘッドコーチ | 1954–1957 | 1986 | |
| 4 6 33 |
アレックス・ハナム | Alex Hannum 8 | ヘッドコーチ | 1957–1958 | 1998 | レニー・ウィルケンズ | Lenny Wilkens 3 | ヘッドコーチ | 1993–2000 | 1998 | |
| 貢献者 | |||||||||||
| 名前 | Pos. | 在籍期間 | 選出年 | 名前 | Pos. | 在籍期間 | 選出年 | ||||
| ヒュービー・ブラウン | Hubie Brown | ヘッドコーチ | 1976–1981 | 2005 | 22 44 |
ロッド・ソーン | Rod Thorn | G | 1965–1967 | 2018 | |
| コットン・フィッツシモンズ | Cotton Fitzsimmons | ヘッドコーチ | 1972–1976 | 2021 | |||||||
注釈:
- 1 1958年から1960年にかけてコーチも務めた。
- 2 1957年にはコーチも務めた。
- 3 ウィルケンズは1992年のオリンピックチームのアシスタントコーチとしても殿堂入りを果たしている。
- 4 ベラミーは選手及び1960年のオリンピックチームのメンバーとしても殿堂入りを果たしている。
- 5 1964年から1972年までコーチも務めた。
- 6 ハワードは2008年のオリンピックチームのメンバーとしても殿堂入りを果たした。
- 7 1953-1954シーズンに同チームでプレーしている。
- 8 1954年から1956年、1956年から1957年にも同チームでプレーしている。
FIBA殿堂入り
| アトランタ・ホークス殿堂入りメンバー一覧 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 選手 | |||||
| No. | 名前 | Pos. | 在籍期間 | 選出年 | |
| 7 | トニー・クーコッチ | Toni Kukoč | F | 2001–2002 | 2017 |
| 8 | アレクサンドル・ボルコフ | Alexander Volkov | F/C | 1989–1992 | 2020 |
チーム記録
| アトランタ・ホークス | |
|---|---|
| 通算出場試合 | 882 ドミニク・ウィルキンス |
| 通算得点 | 23,292 ドミニク・ウィルキンス |
| 通算リバウンド | 12,849 ボブ・ペティット |
| 通算アシスト | 3,868 トレイ・ヤング |
| 通算スティール | 1,321 ムーキー・ブレイロック |
| 通算ブロック | 2,283 トゥリー・ロリンズ |
| 1試合最多得点 | 57 ボブ・ペティット ルー・ハドソン ドミニク・ウィルキンス |
| 1試合最多リバウンド | 35 ボブ・ペティット |
| 1試合最多アシスト | 23 ムーキー・ブレイロック |
| 1試合最多スティール | 10 ムーキー・ブレイロック |
| 1試合最多ブロック | 12 トゥリー・ロリンズ |
| プレーオフ1試合最多得点 | 50 ボブ・ペティット ドミニク・ウィルキンス |
| プレーオフ1試合 最多リバウンド | 36 ビル・ブリッジーズ |
| プレーオフ1試合 最多アシスト | 22 ドック・リバース |
| プレーオフ1試合 最多スティール | 8 ムーキー・ブレイロック |
| プレーオフ1試合 最多ブロック | 7 ジョシュ・スミス |
関連項目
- アトランタ・ブレーブス - 同じ本拠地のMLBの球団(北米4大プロスポーツリーグ)
- アトランタ・ファルコンズ - 同じ本拠地のNHLの球団(同上)
- アトランタ都市圏
脚註
- ^ “Franchise History”. Hawks.com. NBA Media Ventures, LLC. 2018年4月4日閲覧。
- ^ “NBA.com/Stats–Atlanta Hawks”. Stats.NBA.com. NBA Media Ventures, LLC. 2017年1月25日閲覧。
- ^ “History: Team by Team”. 2019-20 Official NBA Guide. NBA Properties, Inc. (2019年10月17日). 2020年8月2日閲覧。
- ^ “Forever True to Atlanta”. Hawks.com. NBA Media Ventures, LLC (2020年7月21日). 2020年7月21日閲覧。
- ^ “Hawks look to past with new uniform set”. NBA.com (Press release). NBA Media Ventures, LLC. 21 July 2020. 2020年7月21日閲覧.
- ^ “Atlanta Hawks Reproduction and Usage Guideline Sheet”. NBA Properties, Inc.. 2020年8月2日閲覧。
- ^ “Sharecare and Hawks Launch Jersey Patch Partnership And Innovative Health Movement”. Hawks.com (Press release). NBA Media Ventures, LLC. 17 August 2017. 2017年12月17日閲覧.
- ^ Adams, Sarah.Wharton has survived George Wallace and Red Auerbach. Progress 2006. QCOnline.com. 2009年9月15日閲覧.
- ^ (PDF) 2011-2012 Spurs media guide. San Antonio Spurs. p. 58 2011年12月24日閲覧。
- ^ “Hawks Name Mike Budenholzer As Head Coach”. NBA.com (2013年5月28日). 2013年5月28日閲覧。
- ^ “[2015 NBAオールスター] リザーブメンバー発表、ホークスから3選手選出”. NBA Japan (2015年2月). 2015年3月24日閲覧。
- ^ “Hawks rip Suns, get franchise-record 58th win”. NBA.com (2015年4月7日). 2015年4月9日閲覧。
- ^ “Rockets Complete Four-Team Trade” (Press release). Houston Rockets. 6 February 2020. 2020年2月6日閲覧.
- ^ “Atlanta Completes Trade with San Antonio Spurs; Acquires Dejounte Murray and Jock Landale in Exchange for Danilo Gallinari and Future First Round Draft Picks”. NBA.com. 2022年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月30日閲覧。
- ^ “Pelicans acquire Dejounte Murray” (英語). www.nba.com. 2024年9月19日閲覧。
- ^ “Atlanta Hawks Sign No. 1 Overall Pick Zaccharie Risacher” (英語). www.nba.com. 2024年9月20日閲覧。
- ^ “Hawks Select Jeff Teague in First Round of 2009 NBA Draft”. NBA.com (2009年6月25日). 2010年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月14日閲覧。
- ^ “Hawks To Honor Mayor Kasim Reed With Ceremonial Jersey Retirement”. NBA Media Ventures, LLC. (2017年10月26日) 2018年2月28日閲覧。
- ^ “Harden, Rockets scorch Hawks in first half of 119-104 win”. USA Today. (2017年11月3日) 2018年2月28日閲覧。
- ^ “Tracy McGrady, Bill Self, Rebecca Lobo and Muffet McGraw Headline Class”. Naismith Memorial Basketball Hall of Fame Official Website. 2017年4月29日閲覧。
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- チームの通算成績と情報 NBA、NBA日本、Basketball-Reference、ESPN、RealGM、CBS
- アトランタ・ホークス (@atlhawks) - X
- アトランタ・ホークス (@atlhawks) - Instagram
- ^ 当時NBL所属だったため、NBAに記載されているものを参考として使用するため
セントルイス・ホークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 17:05 UTC 版)
「クライド・ラブレット」の記事における「セントルイス・ホークス」の解説
ボブ・ペティット擁する当時のホークスはリーグを代表する強豪チームであり、ラブレットが移籍する前季には優勝を果たしていた。そしてラブレットが加入した1958-59シーズンには前季を上回る49勝23敗の好成績を記録。しかしプレーオフでは皮肉にもラブレットの古巣であり下位シードのレイカーズに、まさかの敗戦を喫している。またラブレット自身も移籍1年目は14.4得点8.6リバウンドと彼にしては平凡な成績に終わった。しかし翌1959-60シーズンには20.8得点10.6リバウンドと復活し、ホークスはペティットにクリフ・ヘイガン、そしてラブレットとそれぞれアベレージ20得点以上を叩き出す当時最高峰のトリオに率いられ、このシーズンにはファイナル進出を果たした。翌1960-61シーズンシーズンにはレニー・ウィルケンズも加わり、51勝28敗を記録。2年連続でファイナルに進出するも、ボストン・セルティックスの絶頂期と重なってしまい、2年連続でセルティックスの前に敗退した。32歳となったラブレットは故障を抱えるようになり、1961-62シーズンには40試合を欠場。ラブレットの他にも故障者が続出したこのシーズンのホークスは大きく負け越し、ラブレットはこのシーズンを最後にホークスから移籍することになった。
※この「セントルイス・ホークス」の解説は、「クライド・ラブレット」の解説の一部です。
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