ジョニー・ローガン_(バスケットボール)とは? わかりやすく解説

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ジョニー・ローガン (バスケットボール)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/22 15:19 UTC 版)

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ジョニー・ローガン
Johnny Logan
故人
ポジション(現役時) シューティングガード
背番号(現役時) 7, 17
身長(現役時) 188cm (6 ft 2 in)
体重(現役時) 79kg (174 lb)
基本情報
ラテン文字 Johnny Logan
誕生日 (1921-01-01) 1921年1月1日
没年月日 (1977-09-16) 1977年9月16日(56歳没)
アメリカ合衆国
出身地 インディアナ州リッチモンド
出身 インディアナ大学
ドラフト  
選手経歴
1946-1950
1950-1951
セントルイス・ボンバーズ
トライシティ・ブラックホークス
指導者経歴
1950 トライシティ・ブラックホークス
キャリアスタッツ
  • オールBAAセカンドチーム(1947年-1949年)

ジョニー・ローガン(Johnny Logan 1921年1月1日-1977年9月16日)は、アメリカ合衆国インディアナ州リッチモンドバスケットボール選手[1]。バスケットボール指導者。

インディアナ大学を卒業後、セントルイス・ボンバーズに加入した。

1946-1947シーズンは、チームトップの12.6得点をあげてオールBAAセカンドチームに選ばれた[2]

1947-1948シーズンもチームトップの13.4得点をあげて、2年連続でオールBAAセカンドチームに選ばれた[2]。この年チームは、レッド・ロッカ、ベラス・スモーリー、ボブ・ドールによる4人が平均2桁得点をあげるバランスの取れたオフェンスで29勝20敗の成績を残し、イースタン・ディビジョン優勝を果たした。プレーオフ初戦でフィラデルフィア・ウォリアーズに3勝4敗で敗れた[3]

1948-1949シーズンもオールBAAセカンドチームに選ばれた[2]

ボンバーズが解散したため、1950年4月25日のドラフトでトライシティ・ブラックホークスから指名されて加入した[1]

ブラックホークスでは1950-1951シーズンの1シーズンプレーした。1950年に3試合で選手兼任監督を暫定で務めた[4]

1951年7月7日、フリーエージェントとなった[1]。1951年までの現役生活で、3196得点、1125本のフィールドゴールを成功、783アシスト、946回のフリースローを成功させた[4]

1977年9月16日、56歳で亡くなった[1]

脚注

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  1. ^ a b c d Player Profile, Awards”. basketball.realgm.com. 2015年8月23日閲覧。
  2. ^ a b c St.Louis Bombers (1946-1950)”. sportsecyclopedia.com. 2015年8月23日閲覧。
  3. ^ David L. Hudson Jr.. “ST.LOUIS BOMBERS (1947-48)”. 2015年8月23日閲覧。
  4. ^ a b 1948 Bowman John Logan”. psacard.com. 2015年8月23日閲覧。

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