セントルイス・ブラウンズの移転問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 23:18 UTC 版)
「1941年のメジャーリーグベースボール」の記事における「セントルイス・ブラウンズの移転問題」の解説
アメリカンリーグのブラウンズが、本拠地の移転について検討を始めた。同じセントルイスを本拠地にしながらカージナルスとは差をつけられて、この年に本拠地の観客動員数がカージナルスが60万人を初めて突破したが、ブラウンズが一番観客を集めた前年が23万人で、1935年には約8万人、1936年は約9万人であった。そしてロサンゼルスを移転候補地として地元のAAA級パシフィックコーストリーグのロサンゼルス・エンゼルス(現在の球団は無関係)を買い取る形で、ロサンゼルスの商工会議所が年間50万人の観客を最初の5年間を保証する旨を言明したので、他のアメリカンリーグのオーナーもこの移動には賛意を示していた。しかし、この年の12月の日本軍による真珠湾攻撃でアメリカが参戦する事態となり、このブラウンズによるロサンゼルスへの移転話は自然消滅となった。戦後になってやがて1952年にボルチモアへの移転が具体化する。
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