セントルイス・カージナルスの2011年
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「2011年のワールドシリーズ」の記事における「セントルイス・カージナルスの2011年」の解説
レンジャーズに続いて10月16日には、セントルイス・カージナルスもワールドシリーズ進出を決めた。ミルウォーキー・ブルワーズとのナショナルリーグ優勝決定戦に4勝2敗で勝利し、ワールドシリーズ進出はこれで5年ぶり18回目である。 カージナルスは2010年、86勝76敗でナショナルリーグ中地区2位となり、ワイルドカード争いで東地区2位のアトランタ・ブレーブスを上回れずポストシーズン進出を逃した。7月終了時点では地区首位に立っていたが8月以降を28勝30敗と負け越し、シンシナティ・レッズに逆転を許した。9月上旬には、若手外野手のコルビー・ラスムスが起用法への不満からトレードを要求したと報じられ、これに対し主砲アルバート・プホルスが「彼が来年ここにいたくないと言うのなら出て行ってもらって、代わりの人材を探すしかない」と批判する騒動が起こっている。シーズン終了後、チームはまずプホルスとの契約オプションを行使して彼を残留させ、続いて監督のトニー・ラルーサとも契約を1年延長。一方でラルーサとの確執が伝えられたラスムスも放出せずにチームに残した。その他のオフの動きとして、遊撃のポジションにはブレンダン・ライアンに代わってライアン・テリオを入れ、二塁・三塁・遊撃の3ポジションをこなせる両打ちのニック・プントを控えとして獲得。またランス・バークマンとも1年契約を交わし、2008年以降3年間は一塁でしか守備に就いていなかった彼を外野にコンバートすることで打線の強化を図った。こうして2011年のシーズンに向け補強を進めていったカージナルスだったが、クリス・カーペンターと並ぶ先発ローテーションの柱のアダム・ウェインライトが2月下旬に右肘痛を訴え、トミー・ジョン手術を受けたことによってシーズンの全休が決まるというアクシデントに見舞われる。 誤算はシーズン開幕後も続いた。3月31日のシーズン開幕戦では、9回に登板した抑えのライアン・フランクリンが1点リードを守りきれずに追いつかれ、延長戦の末に逆転負けを喫する。この試合を含めて5度のセーブ機会中4度の失敗と乱調から立ち直ることができなかったフランクリンは、4月19日に抑えの役割を剥奪された。それからおよそ10日間で4人がセーブを挙げるという一時的な抑え不在の状態になり、5月下旬にフェルナンド・サラスが定着するまではミッチェル・ボッグスやエドゥアルド・サンチェスらが数試合ずつ起用された。フランクリンは6月29日に解雇されている。野手ではマット・ホリデイをはじめ、デビッド・フリースやプントら故障者リスト入りする選手が続出し、加えてプホルスは長期間のスランプに陥った。開幕戦で5打数無安打3併殺打と完璧に抑えられ、そこから5月終了までの2か月間は全試合に出場していながら、打率.267・OPS.755で年間26本塁打・46併殺打ペースと、成績が軒並み自己最低レベルに落ち込む。さらに6月に入ると、3日から7日までの4試合で5本塁打を放つなど復調の兆しがみられたが、それも束の間、19日の試合で一塁守備中に相手走者と交錯して負傷交代することに。診断結果は左手首の骨折で全治6週間というもので、故障者リスト入りを余儀なくされた。この主砲の不振を補ったのは新加入のバークマンで、7月10日の前半戦92試合終了時点でリーグトップの24本塁打・OPS 1.006という打撃成績を残しただけでなく、プホルス欠場時には代わりに一塁守備にも就いている。この結果、ウェインライトが抜けた投手陣は防御率が3.97でリーグ10位と平凡だったが、バークマンを中心とした打線は1試合平均得点がリーグ2位の4.71と高く、これを原動力としたチームはブルワーズとの地区首位争いを展開し、前半戦を49勝43敗の同率首位で終えた。そして長期離脱が見込まれていたプホルスは、前半戦終了直前にわずか15日間で故障者リストからの復帰を果たして、後半戦に臨んだ。 両チームの並走状態は、その後半戦が7月14日から始まっても2週間ほど続く。カージナルスは31日のトレード締切日へ向けて投手陣を中心に補強に動き、まずトロント・ブルージェイズと4対4のトレードを成立させた。このトレードでは球団首脳との対立が表面化していたラスムスの放出に踏み切り、交換相手として先発投手のエドウィン・ジャクソンのほか、救援投手のオクタビオ・ドーテルやマーク・ゼプチンスキーらを獲得している。またテリオが後半戦開始直後に打撃不振となると、ロサンゼルス・ドジャースからラファエル・ファーカルを手に入れた。しかし8月に入って、ブルワーズが月間21勝7敗と大きく勝ち越す一方で、カージナルスは15勝13敗と足踏み。同月終了時点で両チームのゲーム差は8.5まで広がる。この月8試合あった直接対決は4勝4敗の五分であり、他の試合での取りこぼしが響いた。22日のドジャース戦ではサラスがシーズン5度目のセーブ失敗を記録して逆転負けし、抑えの役割が今度はジェイソン・モットに移った。ワイルドカード争いでも首位ブレーブスとのゲーム差が25日には10.5まで開く厳しい状況となり、ラルーサはのちに「8月末には来シーズンに向けて若手の使い方などを協議していたほどだ」と明かしている。ただこの年のカージナルスは、シーズン終盤に負け越した前年とは異なり、残り31試合となったここから追い上げを見せる。これにブレーブスの投打の低迷による失速も重なって、両チームのゲーム差は徐々に縮まっていき、シーズンが残り1試合となった9月27日にはとうとう89勝72敗で並んだ。そして翌28日のレギュラーシーズン最終戦、まずカージナルスがヒューストン・アストロズに勝ち、そのおよそ75分後にブレーブスがフィラデルフィア・フィリーズに敗れたことで、カージナルスのワイルドカード獲得と2年ぶりのポストシーズン進出が決まった。9月は、プホルスが打率.355・5本塁打・20打点・OPS.954、カーペンターが最終戦での完封を含む3勝0敗・防御率2.15と、投打の中心選手がチームを牽引した。 地区シリーズ(5試合制) リーグ優勝決定戦(7試合制) フィリーズ 2 カージナルス 3 カージナルス 4 ブルワーズ 2 ブルワーズ 3 Dバックス 2 勢いに乗るカージナルスは、ポストシーズンでも下馬評を覆して勝ち進んでいく。地区シリーズでは、レギュラーシーズンで30球団最高の102勝60敗・勝率.630という成績を残した東地区優勝のフィリーズと対戦。初戦に敗れるが翌日の第2戦には勝ち、第3戦に敗れるが翌日の第4戦には勝ち、と先行を許しながらも連敗はせずに追いつき、勝負の行方を最終第5戦に持ち込む。そして第5戦では、相手エースのロイ・ハラデイから打線が初回表に1点を先制すると、カーペンターがそれを9イニング守りきって完封勝利を挙げ、3勝2敗でフィリーズを破り地区シリーズを突破した。このシリーズでは、カージナルスの地元ブッシュ・スタジアムでの試合中にフィールド上をリスが駆け回ったことも話題を集め、"Rally Squirrel" としてグッズが販売されるなどファンの間で人気となった。続くリーグ優勝決定戦は、中地区で優勝を争ったブルワーズとの顔合わせに。レギュラーシーズンのチームOPSはカージナルスがリーグ最高の.766、ブルワーズがそれに次いで2位の.750という強打のチームどうしの対戦で、このシリーズも打ち合い主体となる。両チームとも先発投手のシリーズ防御率が7点台を記録するなか、カージナルスは救援投手を惜しみなく投入してはピンチを凌いでいった。シリーズを通しての投手交代は28度にのぼっており、これは歴代2位の多さである。2勝2敗で迎えた第5戦でも中盤、打席のライアン・ブラウンに本塁打を許せば3点リードを追いつかれるという場面となると、先発のハイメ・ガルシアからドーテルに継投してブラウンを三振に打ち取りピンチを脱出、以降は救援陣が無失点に抑えて試合をものにした。カージナルスはこの勝利でワールドシリーズ進出まであと1勝に迫ると、第6戦でも打線が14安打12得点を奪って連勝、4勝2敗でブルワーズとのシリーズを制した。
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