セントルイス・カージナルスの2011年とは? わかりやすく解説

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セントルイス・カージナルスの2011年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 10:13 UTC 版)

2011年のワールドシリーズ」の記事における「セントルイス・カージナルスの2011年」の解説

レンジャーズ続いて10月16日には、セントルイス・カージナルスワールドシリーズ進出決めたミルウォーキー・ブルワーズとのナショナルリーグ優勝決定戦に4勝2敗で勝利しワールドシリーズ進出はこれで5年り18回目である。 カージナルス2010年8676敗でナショナルリーグ中地区2位となり、ワイルドカード争い東地2位アトランタ・ブレーブスを上回れポストシーズン進出逃した7月終了時点では地区首位立っていたが8月以降2830敗と負け越しシンシナティ・レッズ逆転許した9月上旬には、若手外野手コルビー・ラスムス起用法への不満からトレード要求した報じられ、これに対し主砲アルバート・プホルスが「彼が来年ここにいたくないと言うのなら出て行ってもらって代わり人材探すしかない」と批判する騒動起こっている。シーズン終了後チームはまずプホルスとの契約オプション行使して彼を残留させ、続いて監督トニー・ラルーサとも契約1年延長一方でラルーサとの確執伝えられラスムス放出せずチーム残したその他のオフ動きとして、遊撃ポジションにはブレンダン・ライアンに代わってライアン・テリオ入れ二塁三塁遊撃の3ポジションをこなせる両打ちニック・プント控えとして獲得。またランス・バークマンとも1年契約交わし2008年以降3年間は一塁でしか守備に就いていなかった彼を外野コンバートすることで打線強化図った。こうして2011年シーズンに向け補強進めていったカージナルスだったが、クリス・カーペンターと並ぶ先発ローテーションアダム・ウェインライト2月下旬に右肘痛訴えトミー・ジョン手術受けたことによってシーズン全休が決まるというアクシデント見舞われる誤算シーズン開幕後も続いた3月31日シーズン開幕戦では、9回に登板した抑えライアン・フランクリン1点リード守りきれずに追いつかれ、延長戦の末に逆転負け喫する。この試合含めて5度セーブ機会4度失敗乱調から立ち直ることができなかったフランクリンは、4月19日抑え役割剥奪された。それからおよそ10日間で4人がセーブ挙げるという一時的な抑え不在の状態になり、5月下旬フェルナンド・サラス定着するまではミッチェル・ボッグスやエドゥアルド・サンチェスらが数試合ずつ起用された。フランクリン6月29日解雇されている。野手ではマット・ホリデイをはじめ、デビッド・フリースプント故障者リスト入りする選手続出し加えてプホルス長期間スランプ陥った開幕戦で5打数無安打3併殺打完璧に抑えられ、そこから5月終了までの2か月間は全試合出場していながら打率.267・OPS.755で年間26本塁打46併殺打ペースと、成績軒並み自己低レベル落ち込む。さらに6月に入ると、3日から7日までの4試合で5本塁打放つなど復調兆しがみられたが、それも束の間19日試合一塁守備中に相手走者交錯して負傷交代することに。診断結果左手首の骨折全治6週間というもので、故障者リスト入り余儀なくされた。この主砲不振補ったのは新加入のバークマンで、7月10日前半戦92試合終了時点でリーグトップの24本塁打OPS 1.006という打撃成績残しただけでなく、プホルス欠場時には代わりに一塁守備にも就いている。この結果ウェインライト抜けた投手陣防御率が3.97でリーグ10位と平凡だったが、バークマンを中心とした打線1試合平均得点リーグ2位の4.71と高く、これを原動力としたチームブルワーズとの地区首位争い展開し前半戦4943敗の同率首位終えた。そして長期離脱見込まれていたプホルスは、前半戦終了直前にわずか15日間で故障者リストからの復帰果たして、後半戦臨んだ両チーム並走状態は、その後半戦が7月14日から始まって2週間ほど続く。カージナルス31日トレード締切日へ向けて投手陣中心に補強動き、まずトロント・ブルージェイズと4対4のトレード成立させた。このトレードでは球団首脳との対立表面化していたラスムス放出踏み切り交換相手として先発投手エドウィン・ジャクソンのほか、救援投手オクタビオ・ドーテルマーク・ゼプチンスキーらを獲得している。またテリオが後半戦開始直後打撃不振となるとロサンゼルス・ドジャースからラファエル・ファーカル手に入れた。しかし8月入ってブルワーズ月間21勝7敗と大きく勝ち越す一方でカージナルス1513敗と足踏み同月終了時点両チームゲーム差8.5まで広がる。この月8試合あった直接対決は4勝4敗の五分であり、他の試合での取りこぼし響いた22日ドジャース戦ではサラスシーズン5度目のセーブ失敗記録して逆転負けし、抑え役割今度ジェイソン・モット移ったワイルドカード争いでも首位ブレーブスとのゲーム差25日には10.5まで開く厳しい状況となり、ラルーサはのちに「8月末には来シーズン向けて若手使い方などを協議していたほどだ」と明かしている。ただこの年カージナルスは、シーズン終盤負け越した前年とは異なり残り31試合となったここから追い上げ見せる。これにブレーブス投打低迷による失速重なって両チームゲーム差徐々に縮まっていき、シーズン残り1試合となった9月27日にはとうとう8972敗で並んだ。そして翌28日レギュラーシーズン最終戦、まずカージナルスヒューストン・アストロズに勝ち、そのおよそ75分後にブレーブスフィラデルフィア・フィリーズ敗れたことで、カージナルスワイルドカード獲得2年ぶりのポストシーズン進出決まった9月は、プホルス打率.355・5本塁打20打点・OPS.954、カーペンター最終戦での完封を含む3勝0敗・防御率2.15と、投打中心選手チーム牽引した地区シリーズ(5試合制) リーグ優勝決定戦(7試合制) フィリーズ 2 カージナルス 3 カージナルス 4 ブルワーズ 2 ブルワーズ 3 Dバックス 2 勢いに乗るカージナルスは、ポストシーズンでも下馬評覆して勝ち進んでいく。地区シリーズでは、レギュラーシーズン30球団最高の10260敗・勝率.630という成績残した東地優勝フィリーズ対戦初戦敗れるが翌日の第2戦には勝ち、第3戦に敗れるが翌日の第4戦には勝ち、と先行許しながらも連敗はせずに追いつき、勝負行方最終第5戦に持ち込む。そして第5戦では、相手エースロイ・ハラデイから打線初回表に1点先制すると、カーペンターがそれを9イニング守りきって完封勝利挙げ、3勝2敗でフィリーズ破り地区シリーズ突破した。このシリーズでは、カージナルス地元ブッシュ・スタジアムでの試合中フィールド上をリス駆け回ったことも話題集め、"Rally Squirrel" としてグッズ販売されるなどファンの間で人気となった。続くリーグ優勝決定戦は、中地区優勝争ったブルワーズとの顔合わせに。レギュラーシーズンチームOPSカージナルスリーグ最高の.766、ブルワーズがそれに次いで2位の.750という強打チームどうしの対戦で、このシリーズ打ち合い主体となる。両チームとも先発投手シリーズ防御率7点台を記録するなか、カージナルス救援投手惜しみなく投入してピンチ凌いでいった。シリーズ通して投手交代28度にのぼっており、これは歴代2位多さである。2勝2敗で迎えた第5戦でも中盤打席ライアン・ブラウン本塁打許せば3点リード追いつかれるという場面となると先発ハイメ・ガルシアからドーテルに継投してブラウン三振打ち取りピンチ脱出以降救援陣が無失点抑えて試合をものにした。カージナルスはこの勝利ワールドシリーズ進出まであと1勝に迫ると、第6戦でも打線14安打12得点奪って連勝、4勝2敗でブルワーズとのシリーズ制した

※この「セントルイス・カージナルスの2011年」の解説は、「2011年のワールドシリーズ」の解説の一部です。
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