人種差別撤廃案とは? わかりやすく解説

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人種差別撤廃案

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 03:41 UTC 版)

パリ講和会議」の記事における「人種差別撤廃案」の解説

詳細は「人種的差別撤廃提案」を参照 当時アメリカ・カナダ・オーストラリアでは日本人移民、及び日系アメリカ人対す排斥運動起こっていたこともあり(のちに排日移民法までもが成立)、国際連盟構想明らかになる日本マスコミ黒龍会等の団体人種差別撤廃講和条件盛り込むよう強く主張するようになった当時外務省には石井菊次郎駐米大使のように国際正義主張される講和会議移民排斥不当を「表明」すること自体に意味があるという考えと、小村欣一アジア課長のように人種平等の提案を成すことで、国際組織で平等の立場勝ち取り日本の印象平和的なものとし、対中融和スムーズに行うという考えもあった。最終的に外務省がまとめた案では、人種平等の要求明確化よりも、国際的時流乗ることを重要とする物となっていた。 日本代表団は人種差別撤廃為にまずアメリカ働きかけることとしランシング国務長官ウィルソン側近ハウス大佐に、連盟規約挿入する人種差別撤廃条項として甲案と乙案の二案を提示したランシングは乙案に賛意示しハウス大佐感触上々であった次に接触したイギリスでは、オーストラリアニュージーランド自治領、特に白豪主義国是とし、労働問題抱えオーストラリア強硬に反発したため、合意得られなかった。その後イギリスセシル元封鎖相やバルフォア外相とも協議行ったが、本国諒解得られないとして消極であった会議状況聞いた首相も「この事元来成功するや否や覚束なき事柄」と、提案成功には悲観的であった日本2月13日国際連盟委員会で「各国均等主義国際連盟基本的綱領なるに依り中略)、連盟員たる一切外国人対し均等公正の待遇与え人種或は国籍如何に依り法律上或いは事実上何等差別設けざることを約す」という条文を、宗教の平等を唱えた連盟規約21に付け加えるよう提案した。この日の提案ではチェコスロバキアルーマニアブラジルのみが賛成であり、さらに宗教規定自体取り除かれることが多数決決まり人種差別撤廃提案別の形で提出することとなった。 この提案報道されると、日本では提案対す期待高まりアメリカでは内政干渉であるとして反発高まったアメリカ上院人種差別撤廃提案採用されれば条約批准しないという決議行いウィルソンもこれに従わざるを得なくなったオーストラリアヒューズ首相会議中退席するほど強硬であり、日本主張入れられれば署名拒否して帰国する発言したヒューズ態度イギリス帝国首脳からも「狂人評するほかない」 と評されるほどであったイギリスカナダニュージーランド牧野接触日本支持傾きつつあったが、ヒューズ強硬姿勢をみて反対の立場戻っていった。イギリス英帝国内の団結維持する必要があり、総選挙控えて譲歩できないヒューズ強硬姿勢に従わざるを得なかった。日本政府提案成立は困難であると見るようになり、犬養毅伊東巳代治のように連盟脱退唱える者も現れた。 4月11日日本再度提案行い連盟規約前文に「各国民の平等及びその国民対する公正待遇主義是認する」という一文挿入するように求めたイギリスオーストラリア反対する中、議長ウィルソンは「本件平静に取り扱うべき問題」であるとして、提案自体撤回求めた牧野採決求めイギリスアメリカポーランドブラジルルーマニア反対したものの、フランスイタリアギリシャ中華民国ポルトガルチェコスロバキア賛成回り出席者16名中11名の賛成多数得た。しかしウィルソンは「全会一致でない」としてこの採決を不採択とした。牧野は「会議問題につきては多数決に依りて決定したことあり」として、多数決による採択求めたが、ウィルソンは「本件如き重大な事件決定については、従来とも全会一致少なくとも反対者なきこと要する趣旨によりて議事取り扱い来たれる」と重大案件全会一致行ってきたと反論し牧野もこれを受け入れた牧野議案撤回するかわりに提案行ったという事実と採決記録議事録に残すことを要請し受け入れられた。 山東問題解決人種差別撤廃提案撤回同時であったため、「人種差別撤廃提案取引材料使った」「そもそも提案自体煙幕であった」と主張する国もあった。日本国内では失望意見連盟脱退を叫ぶ声が高まり伊東強硬派牧野欧米協調的な言動軟弱であると非難した。しかし原首相牧野擁護し日本国際連盟参加講和会議成立協調路線維持することになった一方で欧米対す不信感大川周明などの国家主義者アジア主義者根付き対米協調反発する政治団体多数生まれることとなり、またこの流れは、その後太平洋戦争大東亜戦争)への呼び水ともなり昭和天皇独白録のなかで大東亜戦争遠因となったことを明らかにしている。また米国では人種差別受けていた黒人日本の人種差別撤廃提案期待をしていたが、賛成多数であったにもかかわらず自国ウィルソン議長裁定により法案成立しなかったことに怒り全米各地黒人暴動発生した

※この「人種差別撤廃案」の解説は、「パリ講和会議」の解説の一部です。
「人種差別撤廃案」を含む「パリ講和会議」の記事については、「パリ講和会議」の概要を参照ください。

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