串間とは? わかりやすく解説

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くしま【串間】


串間

読み方:クシマ(kushima)

所在 宮崎県串間市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

串間

読み方:クシマ(kushima)

所在 宮崎県(JR日南線)

駅名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒888-0004  宮崎県串間市串間

串間市

(串間 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/06 00:50 UTC 版)

くしまし 
串間市
串間市旗
1955年 (昭和30年)
7月13日制定
串間市章
1955年 (昭和30年)
7月13日制定
日本
地方 九州地方
都道府県 宮崎県
市町村コード 45207-6
法人番号 4000020452076
面積 294.92km2
総人口 14,763[編集]
推計人口、2025年6月1日)
人口密度 50.1人/km2
隣接自治体 日南市都城市
鹿児島県志布志市
市の木 ソテツ
市の花 カンナ
他のシンボル 市の花木:ヤマザクラ
市の鳥:メジロ
串間市役所
市長 島田俊光
所在地 888-8555
宮崎県串間市大字西方5550番地
北緯31度27分52秒 東経131度13分42秒 / 北緯31.4645度 東経131.22839度 / 31.4645; 131.22839座標: 北緯31度27分52秒 東経131度13分42秒 / 北緯31.4645度 東経131.22839度 / 31.4645; 131.22839
串間市役所

市庁舎位置
外部リンク 公式ウェブサイト

― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト
幸島

串間市(くしまし)は、宮崎県の最南端に位置する。県南エリアに属する[1]

地理

串間市中心部周辺の空中写真。
2008年10月15日撮影の4枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

宮崎県の最南端、県都宮崎市の南南西約70kmの場所に位置している。東部は日向灘、南部は志布志湾に面する。海岸沿いは日南海岸国定公園に指定され、幸島都井岬といった観光地がある。市域全体において、あまり平坦ではなく、丘陵地帯が多い。

  • 山: 男鈴山(783m)、高畑山(518m)
  • 河川: 福島川、大矢取川、千野川、本城川、市木川
  • 岬: 都井岬
  • 島: 築島、鬢垂島、幸島、鳥島、烏帽子島

隣接する基礎自治体は3つ。北部でわずかに宮崎県都城市と接し、東は日南市に向かい合う。西は鹿児島県志布志市県境をなしている。

気候

は暑く、黒潮の影響によりも比較的温暖である。夏からにかけては台風の通り道になることが多く影響を受けやすい。冬の温暖な気候を利用し、かつてはプロ野球チームの中日ドラゴンズが市内の串間市営球場で春季キャンプを行っていた。

串間(1991年 - 2020年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 23.2
(73.8)
24.3
(75.7)
26.6
(79.9)
27.8
(82)
32.2
(90)
32.8
(91)
37.1
(98.8)
37.3
(99.1)
34.5
(94.1)
33.1
(91.6)
29.0
(84.2)
24.1
(75.4)
37.3
(99.1)
平均最高気温 °C°F 13.3
(55.9)
14.5
(58.1)
17.2
(63)
21.3
(70.3)
24.8
(76.6)
26.7
(80.1)
30.7
(87.3)
31.6
(88.9)
29.4
(84.9)
25.3
(77.5)
20.4
(68.7)
15.4
(59.7)
22.6
(72.7)
日平均気温 °C°F 7.8
(46)
9.1
(48.4)
12.1
(53.8)
16.2
(61.2)
20.0
(68)
23.0
(73.4)
26.8
(80.2)
27.4
(81.3)
24.8
(76.6)
20.1
(68.2)
14.8
(58.6)
9.7
(49.5)
17.7
(63.9)
平均最低気温 °C°F 2.6
(36.7)
3.7
(38.7)
6.8
(44.2)
11.0
(51.8)
15.4
(59.7)
19.8
(67.6)
23.6
(74.5)
24.0
(75.2)
21.1
(70)
15.6
(60.1)
9.8
(49.6)
4.3
(39.7)
13.2
(55.8)
最低気温記録 °C°F −6.6
(20.1)
−7.9
(17.8)
−4.4
(24.1)
−0.8
(30.6)
5.5
(41.9)
10.1
(50.2)
15.0
(59)
16.8
(62.2)
11.2
(52.2)
3.1
(37.6)
−2.0
(28.4)
−5.2
(22.6)
−7.9
(17.8)
降水量 mm (inch) 71.8
(2.827)
119.5
(4.705)
161.4
(6.354)
197.7
(7.783)
216.9
(8.539)
531.5
(20.925)
339.8
(13.378)
251.5
(9.902)
283.9
(11.177)
153.8
(6.055)
118.0
(4.646)
81.6
(3.213)
2,527.3
(99.5)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 6.9 8.2 12.2 10.8 10.7 16.8 11.4 12.6 12.2 8.4 8.3 6.6 125.1
平均月間日照時間 170.2 156.0 171.5 177.7 174.6 108.4 195.6 211.1 157.5 175.8 163.3 169.6 2,031.5
出典1:Japan Meteorological Agency
出典2:気象庁[2]

地名

串間市役所[3]や県出先機関、串間市立図書館等の主な文化施設、JR串間駅などは西方地区にある。

旧福島町
高松、西方、奴久見(ぬくみ)
旧北方村(ただし、串間市発足の3年前の1951年に一旦福島町に合併していた)
秋山、北方、串間、南方
旧大束村
一氏(いちうじ)、大平、大矢取、奈留
旧市木村
市木
旧都井村
大納(おおの)、都井
旧本城村
崎田、本城
市発足後の追加町名
  • 寺里1丁目、2丁目(西方より。串間都市計画事業中央第一土地区画整理事業により1996年3月16日
  • 西浜1丁目、2丁目(西方より。串間都市計画事業中央第一土地区画整理事業により1996年3月16日
  • 東町(西方5700 - 西方6630、南方150 - 南方1940。串間都市計画事業串間駅東部土地区画整理事業により2004年10月22日

歴史

室町時代

野辺氏

鎌倉幕府滅亡後、室町幕府に命令され、串間に地頭として野辺久盛が派遣された。在地豪族と戦い、制圧した[4]

建武3年(1336年)、野辺盛忠が冨山直顕諸族と共に櫛間城を攻める[5]

大覚寺義昭事件

室町幕府3代将軍足利義満の子・義昭(ぎしょう)が現在の串間市北方にある永徳寺にて自刃した事件。室町最後の将軍である足利義昭とは別人であり、区別するために「大覚寺義昭」とも呼ばれる。室町6代将軍足利義教とは兄弟関係であるが、義昭は義教に謀反の疑いをかけられ京から逃れた。各地を転々とした後、日向国櫛間(今の串間)を治める野辺氏を頼って永徳寺に身を潜めるも居場所を突き止められ、嘉吉元年(1441年)3月13日義昭は永徳寺にて自刃した。永徳寺の敷地内には義昭の墓といわれる五輪塔が建てられている。

江戸時代

江戸時代高鍋藩領で、飫肥藩薩摩藩に挟まれた飛び地(櫛間領)であった。櫛間(串間)の統治に腐心した高鍋藩は、代官・郡代制度の上に更に都合職なるものをおいて、統治の強化を図った。

江戸時代の末期、串間から古代中国の王が権力の象徴として持っていたといわれる玉璧(ぎょくへき)が見つかったという記録がある。

近現代

市政

市長の汚職と選挙違反

野辺修光はこれまでに、

  • 第10代(1990年 - 1992年10月)
  • 第13代(2000年 - 2002年6月6日)
  • 第16代・17代(2010年7月28日 - 2017年9月4日)

の通算4期、市長を務めている[7][8]。そして不祥事に伴い2度、辞職又は失職している。過去2度の事件は以下の通りである。

  • 1990年に市長選初当選を果たすものの、1992年に電算機導入をめぐる収賄容疑で逮捕されて辞任(後に有罪も確定)。当時、現職市長が収賄で逮捕されるのは、全国で初めてのケースであった。
  • 2000年に市長へ返り咲きを果たすものの、2002年に(返り咲き時の)選挙違反事件にからみ拡大連座制の適用を受け失職。現職市長が拡大連座制適用により失職するのは、これもまた全国初のケースであった。野辺の失職を受けて、市長に立候補・当選したのが鈴木重格である。鈴木は当時(串間市選出)県議会議員であったため、議員を辞職しての立候補であった。その鈴木の辞職に伴う県議会議員補欠選挙に立候補したのが、失職間もない野辺である。選挙結果は野辺の圧倒的な勝利。野辺は以後当選を重ね、2010年には市長職に復帰した。

市町村合併

2003年平成15年)2月17日、串間市、日南市、北郷町南郷町の4市町で「南那珂地域任意合併協議会」を設置したが、同年中に協議会は解散し、串間市は当面単独市制を継続することとなった。

原発誘致をめぐる経緯

  • 1990年平成2年)5月30日 : 原発誘致推進派の野辺が市長選にて勝利。第10代市長となる。
  • 1992年(平成4年) : 九州電力による、串間市への原発建設計画が表面化。
    • 10月5日 : 野辺が収賄容疑で逮捕される。それを受けた11月29日の市長選で山下茂が返り咲き当選。第11代市長となる。
  • 1995年(平成7年)4月23日 : 市議選にて、原発立地阻止JA連協が推薦した市議候補10人全員が当選する。同年9月26日、住民投票を市長裁量で実施できる条例改正案を市議会が賛成多数で可決。それを受けて12月1日、九州電力が立地活動凍結を宣言。
  • 1996年(平成8年) : 原発立地の是非を問う住民投票条例の制定。
    • 11月29日 : 原発反対を掲げる山下が市長選にて三選。第12代市長となる。公約は「原発誘致の是非を問う住民投票の開催を、就任後1年以内に行う」であった。
  • 1997年(平成9年)
    • 3月 : 「串間原発立地を断念」と、九州電力副社長が明言。それを受けて山下は住民投票の予算を議会に計上せず、事実上の公約の撤回となる。
    • 7月28日 : 九州電力社長が「川内玄海に加え第3の立地が必要」と発言。
    • 8月11日 : 「串間反原発住民投票対策本部」が原発誘致の是非を問う住民投票の即時実施を求める署名活動をスタート。
  • 1999年(平成11年)
    • 4月 : 市議選にて、原発反対派議員が11人から5人に激減。
    • 6月 : 市議会にて1996年に可決された「原発立地反対決議」を撤回する決議を行う。14対5の賛成多数で可決。これにより「原発立地反対決議」は撤回された。
    • 9月20日 : 「串間市原発阻止JA青年部連絡協議会」が、串間原発立地の是非を問う住民投票実施の公約(96年11月選挙)が守られず、精神的苦痛を受けたとして山下茂市長に750万円の損害賠償を求めた裁判について宮崎地方裁判所は、「串間市原発阻止JA青年部連絡協議会」の請求を棄却。「住民投票を実施するという約束は、選挙における公約でしかなく、司法上の契約ではない。」と判決。
  • 2000年(平成12年)
    • 4月19日 : 串間市議会の企業誘致特別委員会は、原発誘致の方針を全会一致で確認。
    • 11月19日 : 任期満了にともなう串間市長選挙の投票が行われる。川崎永伯 3616票、野辺修光 9353票、田中勝 4159票という結果で、野辺が第13代市長となる。翌年1月、野辺は「誘致は考えておらず、原発の是非を問う市民投票条例に対しても、自分から条例の廃止を持ち出す考えはない」と述べた。
  • 2001年(平成13年)9月 : 野辺市長の元後援会会長が、串間市長選にて有権者16人に野辺市長への票の取りまとめを依頼、報酬として計24万円を渡した罪により、最高裁、2000年11月の宮崎県串間市長選に絡む公職選挙法違反事件で、野辺修光市長の当時の地区後援会会長に有罪判決。宮崎地方裁判所にて懲役2年、執行猶予5年、追徴金38万円の判決が確定。 
  • 2002年(平成14年)
    • 1月25日 : 福岡高検が、2000年、11月の宮崎県串間市長選に絡む野辺市長の公職選挙法違反事件で、当時の地区後援会会長の有罪が確定した野辺市長について連座制適用を求めた件について、福岡高等裁判所宮崎支部福岡高等検察庁の請求通り、野辺市長の当選を無効とし、串間市長選への5年間の立候補を禁じる判決を言い渡した[9]。1994年の公職選挙法改正以後、現職の自治体首長が連座制の適用を受け、当選無効の判決を受けるのは初めてのことだった[10]
    • 2月4日 : 野辺修光市長は、福岡高裁宮崎支部の下した判決「当選無効と同市長選への立候補禁止」の判決に不服申し立て、最高裁判所に上告。しかし、最高裁判所第一小法廷横尾和子裁判長)は6月6日、この上告を棄却、野辺市長は失職する[11]
    • 7月8日 : 鈴木重格が市長選に勝利。第14代市長となる。
  • 2006年(平成18年)7月28日 : 鈴木重格が市長選で再選。第15代市長となる。
  • 2010年(平成22年)7月 : 原発推進派であり「市民投票における推進と反対の決着」を公約に掲げた野辺が市長選で返り咲き三選。第16代市長となる。同年12月、原発誘致の是非を問う住民投票を提案し、可決された。4月10日に実施となる。
  • 2011年(平成23年)3月14日 : 東日本大震災による福島第一原子力発電所事故の余波を受け、4月10日に実施予定だった原発誘致を巡る住民投票が白紙撤回となる。

参考

議会

公共機関

県の行政機関

国の出先機関

国立大学法人

郵便

  • 串間郵便局集配局
  • 都井郵便局(集配局)
  • 市木郵便局(集配局)
  • 串間今町郵便局
  • 串間上町郵便局
  • 本城平郵便局
  • 大束郵便局
  • 大平簡易郵便局

産業

  • 都井岬などを訪れる観光客が多いほか、第一次産業(畜産を含む農業、水産業)とそれを生かした食品加工業が盛んである。特産品は市外へ販売するだけでなく、ふるさと納税の返礼品として寄付者に贈っている[13]

農業

米(早場米)、サツマイモキンカンマンゴーキュウリ(ワンタッチきゅうり)など。

サツマイモの「ヤマダイかんしょ」はブランド化が進み、2018年8月6日、「地理的表示保護制度」に登録され、農林水産省において登録証授与式が行われた。

水産業

黒瀬ぶりの握り寿司

近海漁業でアジサバカツオマグロトビウオなどが水揚げされ、秋にはイセエビ漁が行われる。

イワガキカンパチブリなどが養殖されている。日本水産グループの黒瀬水産が立地しており、志布志湾で養殖したブリを「黒瀬ぶり」としてブランド化を進めている[14]

串間産のブリを用いた串間活〆ぶりプリ丼ぶりが開発され、2013年より串間市内の飲食店などで提供されている。

酒造業

  • 酒造会社が3社(松露酒造、幸蔵酒造、寿海酒造)あり、焼酎を生産・出荷している[15]

製麺業

  • 川北製麺が、グルテンフリー麺の製造に取り組んでいる。

商業

姉妹都市・提携都市

国内

海外

地域

人口

串間市と全国の年齢別人口分布(2005年) 串間市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 串間市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
串間市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 31,734人
1975年(昭和50年) 30,038人
1980年(昭和55年) 29,420人
1985年(昭和60年) 28,328人
1990年(平成2年) 26,734人
1995年(平成7年) 25,243人
2000年(平成12年) 23,647人
2005年(平成17年) 22,118人
2010年(平成22年) 20,453人
2015年(平成27年) 18,779人
2020年(令和2年) 16,822人
総務省統計局 国勢調査より
  • 宮崎県の市では最も人口が少ない。三股町高鍋町よりも下回っている。

教育

宮崎県初の連携型中高一貫校として、宮崎県立福島高等学校串間市立串間中学校がある。

串間市は宮崎県立福島高等学校における魅力ある学校づくりの支援事業として、日本漢字能力検定実用英語技能検定や商業系の全商珠算・電卓検定、ビジネス文書実務検定、さらには被服製作技術検定・食物調理技術検定など、準2級以上の検定試験を受験する生徒の保護者に対して、全額の検定料にかかる費用を助成している。[18]

小学校

笠祇小学校

中学校

高等学校

交通

鉄道路線

串間駅
九州旅客鉄道(JR九州)
  • 中心となる駅:串間駅

バス路線

  • 宮崎交通 - 日南市と市木地区・幸島を結ぶ1路線のみ運行している。かつては市中心部と市内各地を結ぶ路線や、串間駅と都井岬を結ぶ路線もあったが、これらは廃止されコミュニティバスに置き換えられた。かつては宮崎市と御崎神社・都井岬を結ぶ特急バスも運行していた。
    • 飫肥 - 油津駅前 - 南郷 - 贄波 - 夫婦浦 - 古都 - 幸島入口
  • 串間市コミュニティバス「よかバス」
    • 道の駅くしま、串間駅を拠点に市内各地を運行する。

道路

高速道路

市内には東九州自動車道奈留IC(仮称)・串間IC(仮称)が設置される予定である。2024年度より市域の全線において事業化された。開通時期は未定。

2021年現在の最寄りインターチェンジは東九州自動車道の志布志インターチェンジ

高規格幹線道路

一般国道

道の駅

主要地方道

船舶

最寄りのフェリー航路

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

都井岬の御崎馬
都井岬ソテツ自生地

百選

串間市を舞台とした作品

ロケも含む。

著名な出身者

テレビ

串間市は鹿児島県との県境に位置することから、条件次第では鹿児島県のテレビ局を視聴することができる。アナログ放送時代宮崎日日新聞のテレビ欄には「串間」のチャンネルとして鹿屋中継局の番号が記載されていた。

地上デジタル放送への完全移行に伴い放送波の出力が弱まったため、山間部において他県のテレビ放送波を受信することが難しくなった。また地域によってはmrtなどの宮崎県内を対象とした放送波すら受信が難しいこともあり、共聴受信設備を設けるなどの対応を行っている。

しかし、串間市中心部の福島地区や本城地区などの開けた場所であれば、依然として鹿屋中継局の電波(特に宮崎県にフルネット局がないKKBKYT)や鰐塚山送信所の電波を受信することもできる。

脚注

  1. ^ 観光情報 第81回国民スポーツ大会・第26回全国障害者スポーツ大会 宮崎県準備委員会事務局、2024年11月26日閲覧。
  2. ^ 串間 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2025年3月13日閲覧。
  3. ^ 窓口案内串間市ホームページ(2018年1月7日閲覧)
  4. ^ 『串間市史』平成8年 串間市 p67
  5. ^ 『串間市史』平成8年 串間市 p92
  6. ^ “串間市長選 島田氏無投票再選”. 宮崎日日新聞. (2021年9月20日). https://www.the-miyanichi.co.jp/kennai/_56806.html 2024年1月18日閲覧。 
  7. ^ 市長の部屋 - 宮崎県串間市
  8. ^ 公職の任期満了日調 (年次別)
  9. ^ それぞれのコメント。馬渕勉裁判長…元後援会会長を公選法に定める組織的選挙運動管理者と認定した上で 「市長が選挙違反を防止するための注意を怠らなかったとはいえない。」 / 元後援会会長… 「(市長を選挙違反で失脚させようとする)対立陣営に買収され、違法行為をした。」 / 野辺側… 元後援会会長が対立陣営に寝返ったもので免責事項に当たるとして連座制を野辺市長に適用しないよう求めた。
  10. ^ 法務省の見解
  11. ^ 宮崎・串間市長が失職/連座制の自治体首長で初 | 四国新聞社
  12. ^ 議会の概要”. 串間市. 2019年5月1日閲覧。
  13. ^ ふるさと納税(2)串間の特産品串間市ホームページ(2018年1月7日閲覧)
  14. ^ 黒瀬水産(2018年1月7日閲覧)
  15. ^ 第2回串間焼酎まつり寿海酒造ホームページ(2018年1月7日閲覧)
  16. ^ BOOK MEETS NEXT2024 記者発表資料』(pdf)(プレスリリース)出版文化産業振興財団、2024年9月18日https://www.jpic.or.jp/topics/docs/65dd250b1e04a5e1a1e9c5459c5c35cdf4101061.pdf2024年9月20日閲覧 
  17. ^ 姉妹都市・友好都市串間市ホームページ(2018年1月7日閲覧)
  18. ^ 福島高等学校支援事業について- 宮崎県串間市”. www.city.kushima.lg.jp. 2019年9月閲覧。 エラー: 閲覧日は年・月・日のすべてを記入してください。

関連項目

外部リンク


「串間」の例文・使い方・用例・文例

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「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
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