ヨーロッパ社会の死刑に対する見方の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 04:04 UTC 版)
「死刑存廃問題」の記事における「ヨーロッパ社会の死刑に対する見方の歴史」の解説
完全な形で残っている、世界で2番目に古い法典であるハンムラビ法典は「目には目を、歯には歯を(タリオの法)」があるため、応報刑が採用されていたようである。ただし加害者の身分が被害者より下であれば厳罰に処せられており、応報刑が成立するのはあくまで対等な身分同士の者だけであった。また場合によっては罰金の納付も認められていた。そのため、基本的に「何が犯罪行為であるかを明らかにして、その行為に対して刑罰を加える」といった現代の罪刑法定主義が採用されていたものであり、復讐を認める野蛮な規定の典型ではなく「倍返しのような過剰な報復を禁じ、同等の懲罰にとどめて報復合戦の拡大を防ぐ」ものであった。 しかし、ユダヤ人とキリスト教徒はこれらを宗教的教義に反する政治思想・司法制度として批判し続けたため、近代に至るまで罪刑法定主義的な処罰が行われることはなかった。そのため、近世になるまで現在から見ると釣り合いが取れないほど軽い罪や反道徳的な行為が、死刑になる犯罪行為とされていた。このような不文律による処罰を罪刑壇断主義という。 ユダヤ教とキリスト教の聖典であるモーゼの十戒の日本語訳は古い訳では「汝殺すなかれ」となっており、仏教と同じように不殺の戒が定められていると誤解されるが、実際には「殺人を犯すなかれ」という意味あいであり、死刑の執行に関する記述や、神の民であるユダヤ人の起こす戦争を肯定する記述(ダビデによるゴリアテの殺害など)があるなど、あくまでも犯罪としての殺人を禁じるものであり、死刑そのものを否定するものではない。しかし、キリスト教は罪に対する許しと贖罪を強調したため、教義において応報を理由に死刑を正当化することができなかった。ローマ帝国の国教になる以前にもその正当性は議論されていた。中世ヨーロッパ社会で死刑制度を肯定する思想として、スコラ哲学者でもあった神学者のトマス・アクィナスは、刑罰に応報的な性格があることを認めたが、その正当性を否定する一方で「わずかの酸は麹の全体を膨らます」(コリント前書5章16節)の文言を根拠に、ある人が犯罪によって社会全体に危険を撒き散らし、しかも伝染的なものであるなら、公共の福祉を守るためにこれを殺すことは有益で賞賛に値するとし、死刑がさらなる殺人に対する予防論として肯定した。また、宗教改革の指導者であるマルティン・ルターは、死刑を執行する剣は神に対する奉仕を意味し、人間の手でなく神の手が殺戮するのだ、として肯定すると共に、国家の為政者が凶悪な人間を死刑にするのは正当な行為であり罪でない、と主張していた。 さらに、近世において啓蒙主義がおこり、ジョン・ロックやイマヌエル・カントなどが社会契約説などによって法の根拠を再定義したとき、応報論を死刑の正当理由として復活させたが、彼らの提示する応報論はあくまでも社会全体あるいは自然法に対する侵害に対する応報であり、被害者個人にたいする対価としての応報でない。現代において、世俗主義に基づく欧米各国の裁判所が実際の刑の正当性を論ずる判例において、被害者の立場を回復するという意味での応報論をほとんど認めないのは、応報=復讐=悪とみなす宗教的、さらに歴史的背景が存在すると指摘されている。応報論を刑罰の根拠として認められない結果として、死刑はその正当性を予防論および効用論に頼るざるを得ない状況にあるが、予防論は近代においては刑務所の出現によって完全にその有効性を失っており、これによりカトリック教会はそれまでの立場を改め、死刑反対の立場を宣言している。また、死刑が殺人の発生を未然に防ぐとの効用論も社会統計上その根拠がほとんどなく、欧米社会においては死刑賛成派は非常に弱い立場にある。死刑を実際に執行しているアメリカにおいても、最高裁判所の判例で応報論を根拠とする死刑の正当性は明確に否定されている。また、アメリカでの死刑肯定派を担う保守あるいは右派が応報論を展開しないのは、彼らが同時に保守的キリスト教徒であり、応報論はキリスト教の教義とあまりにも明確に矛盾することが挙げられる。これは、死刑の根本的根拠を応報論に置く日本などの東洋社会や、殺人における裁判の役割をあくまでも加害者と被害者(遺族)間の調停と見なし、加害者が被害者遺族を補償金などで納得させた場合は裁判官が死刑が減刑することが許されているイスラム社会とは対照的である。 キリスト教国は報復論を否定する一方、予防論によって死刑の正当性を位置づけたことで教義上の結論を見たが、見せしめのために前述のような残虐な処刑方法が行われ、教会自体、宗教裁判などによって異端者・魔女であるとした者を大量に処刑した その根拠とされたのは、旧約聖書の『出エジプト記』22章18節律法「呪術を使う女(ヘブライ語でメハシェファ)は生かしておいてはならない」という記述であるが、本来は意味不明であったものが、中世欧州社会では「魔術を行うもの」次に「キリスト教的教養の持たない者」を社会秩序維持のために排除すべきとなり、集団ヒステリーの産物としての魔女の極刑が横行した、と言われている。 政治的権力者ないし宗教指導者への反逆は悲惨な死に至る、というような「威嚇」を狙った目的もあり、歴史的には(異論もあるが)ローマ帝国およびユダヤ教に対する反逆者とされ死刑が執行されたイエス・キリストの磔刑、魔女狩りなど宗教異端者に対する過酷な処刑、イングランドのウィリアム・ウォレスに対する四つ裂きの刑などが有名である。これらの処刑はいずれも公開で行われており、死刑執行を公開することで犯罪を予防しようとする目的 から、生きながら焼き殺す、蒸し殺す、受刑者の身体を公共の場で切り刻んだり引きちぎったりする、などといった極めて凄惨な公開処刑が行われた。しかし中世フランスなどにおける公開処刑の実情を見ても、それが必ずしも威嚇となっていたのかは疑問の残るところである。なお、公開処刑は現在も一部の国では行われている。
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