ドイツ以外の使用国とは? わかりやすく解説

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ドイツ以外の使用国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 20:19 UTC 版)

LT-38」の記事における「ドイツ以外の使用国」の解説

スロバキア共和国 LT-38制式名使用チェコスロバキア解体後に成立したスロバキアでは、1941年2月、まず10両を受け取った。これはドイツ軍呼称A型に当たる初期型で、中でも最初の5両はチェコスロバキア陸軍向けのままの3色迷彩が施されていた。その後1943年初頭にかけてドイツ軍仕様となった27両の新造38(t)受け取り、さらに1944年6月までに雑多な型の中古車37両を受け取った総計74両)。 スロバキア快速師団配備されLT-38損害被りつつも戦い残存車両1944年スロバキア民衆蜂起にも参加したスウェーデン 当初チェコから直接輸入する予定であったが、スウェーデン向けに生産されたTNH-Svは、S型としてドイツ接収されてしまった。替わってライセンス生産譲渡されることになり、スカニア-VABIS社において、Strv m/41の名で量産された。Strv m/41主砲ボフォース 37mm対戦車砲代わりエンジンスカニア製のものが搭載された。第1次発注分の116両(Strv m/41 SI)は1942年から1943年にかけ軍に引き渡され第2次発注122両(Strv m/41 SII)は、18両がSav m/43突撃砲流用された以外、1944年3月までに生産された。 Strv m/411950年代まで使用された後Pbv 301装甲兵員輸送車改装され1970年代初頭まで使用された。 ハンガリー王国 T-38軽戦車の名称で使用緒戦大損害を受けたハンガリー装甲部隊再編のため、1941年冬から1942年春にかけて、108両が供給された。最初16両のみがF型で、残りG型だった。これらは第1装甲師団配備され東部戦線送られたが、そこで大損害を被った1943年から45年にかけ、ハンガリー軍残っていたT-3822両で、これらは訓練部隊使われた。 ルーマニア王国 ハンガリー同様T-38の名称で使用1943年3月中古のA/B/C型を50受け取った乗員ドイツ23機甲師団訓練が行われ、同車装備の1個大隊編成されクリミア戦区送られた。その後の戦い大きな損害被ったが、残存車両ルーマニア連合国側加わった後も、ドイツ軍対す戦い使用された。 ブルガリア公国 1943年の再編計画則り同年5月雑多な型式10両の38(t)戦車ドイツから購入プラガ戦車の名でブルガリア戦車師団第3大隊属する第9中隊配属された。これらは1944年9月に始まる対独戦に投入された。 チェコスロバキア 本来チェコスロバキア陸軍用開発され制式採用された本車だが、配備が始まる前にチェコスロバキア解体されてしまった。 1945年5月復活したチェコスロバキアでは、BMM社や国内修理廠、訓練施設残されていた38(t)戦車接収新たにLT-38/37(37主砲口径を示す)の名称で戦後しばらく、訓練用使用したソビエト連邦 特に独ソ戦前期において、度重なる損耗によりソ連陸軍慢性的に戦車不足であり、ドイツからの鹵獲戦車整備され部隊編成行われた38(t)相当数用いられたが、前線使われるドイツ側車輌の数が減ってくるとチェコ製の専用砲弾鹵獲が困難となり、一部自国製の45mm戦車砲載せ替えている。

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ドイツ以外の使用国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 08:56 UTC 版)

III号突撃砲」の記事における「ドイツ以外の使用国」の解説

ブルガリア王国 1943年2月から12月掛けて55輌のIII号突撃砲供与されブルガリア軍では“マイバッハ T-III(ブルガリア語: Майбах“ Т-III)”と呼称されて B60501-B50555 までの登録番号与えられ、2個突撃砲大隊編成された。 枢軸陣営テコ入れのため許可され輸出だったが、実際にはこれらの突撃砲1944年9月ブルガリア連合国側転じた後にドイツ軍への追撃使用された。供与されたのは主にG型だが、1945年ハンガリー戦線F型 (48口径75mm砲搭載型) を使用している写真残されている。これはソ連軍から鹵獲品を供与されたものと思われるブルガリア軍III号突撃砲戦後ソビエトから装甲戦闘車輌供給され置き換えられる1950年代半ばまで装備されその後は他のドイツ戦車と共にブルガリア南方国境トルコ国境)に固定砲台トーチカ)として配置された。これらの車輌冷戦終結後そのまま忘れ去られていたが、2000年代入って発見され回収され2007年よりは修復の上博物館展示されている。 イタリア王国 1943年5月、5輌の突撃砲供与された。 フィンランド 1943年6月7月8月10輌ずつ、1944年29輌の計59輌のIII号突撃砲G型供与された。これらは Ps.531-1 に始まる登録番号与えられた (Ps.531がIII号突撃砲車種固有番号) 。特に1943年中に到着した第一期分のうち22輌は、装甲師団フィンランド語版、ロシア語版英語版所属突撃砲大隊フィンランド語版)の主力として44年6月ソ連軍夏季大攻勢迎え撃つために出撃6月14日、クーテルセルカ近辺初陣迎えた。 続く数ヶ月戦闘でこれらのIII号突撃砲多大な出血強いられつつも、ソ連軍車輌多数撃破したフィンランド軍III号突撃砲は“シュトゥルミ”の愛称呼ばれ装填ハッチ前の機銃シールド開口部拡張しソ連からの鹵獲品であるデグチャレフ機銃換装、シュルツェンと呼ばれるドイツ戦車側面砲塔等に取り付けられ増加装甲除去し装備品配置変えるなど、幾つかの独自改装が行われている。戦後1960年代に入るまで現役にあり、保存状態様々ながらフィンランド国内中心に30輌以上が現存し海外博物館ドイツ軍塗装展示している車両も元はフィンランド軍ものとい場合もある。 スペイン 1943年10月10輌が供与された。 ルーマニア王国 1943年11月以降ルーマニア連合軍側に転じる1944年8月までに、計105輌(108輌とも)のIII号突撃砲供与された。全ての車輌1942年12月より生産されているG型可能性が高いものの明確な記録は無い。これらの車輌は、ルーマニア語突撃砲を示す略称のTAs (Tun de Asalt) と呼ばれた第1装甲師団装備車両モルドヴァ方面等での戦闘投入された。その後ソ連によって多数装備接収されてしまったものの、残存車両ルーマニア国内の解放戦、チェコスロバキアオーストリア方面でのドイツ軍との戦い使われた。 ソビエト連邦 特に大戦中盤以降ソ連軍多数ドイツ軍車両鹵獲した。ドイツ軍車両によって編成された部隊もあり、III号突撃砲ある程度の数が元の持ち主への戦闘投入された。 シリア 戦後チェコスロバキア接収していたIII号突撃砲購入一部1967年第三次中東戦争六日戦争)でも使用された。

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