大戦中盤とは? わかりやすく解説

大戦中盤(1943年頃)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 20:53 UTC 版)

機甲師団」の記事における「大戦中盤(1943年頃)」の解説

従来比較して定型化された1943年型と呼ばれる師団編成規定された。2個大隊からなる1個戦車連隊及び2個装擲弾兵連隊基幹となったこの頃からドイツ軍では歩兵のことを擲弾兵と呼ぶようになり、装甲部隊付属する歩兵部隊装甲擲弾兵呼ばれるようになった)。その他の支援部隊装甲砲兵連隊装甲偵察大隊戦車駆逐大隊装甲工兵大隊高射砲大隊であった。ただし師団によっては一部支援部隊持たないケース見られた。 武装親衛隊においても名実共に装甲師団編成されるようになった従来内容装甲師団同様でも装甲擲弾兵師団呼ばれていた)。国防軍装甲師団比較して装甲擲弾兵連隊が3個大隊編成であることが主な相違点である。また一部師団突撃砲大隊重戦車中隊保有していた。1943年10月22日付けでライプシュタンダルテ・SSアドルフ・ヒトラーダス・ライヒ、トーテンコープ、ヴィーキング、ホーエンシュタウフェン、フルンツベルク、ヒトラーユーゲントの各SS装甲擲弾兵師団が第1SS・第2SS・第3SS・第5SS・第9SS・第10SS、第12SSの装甲師団改称されている。 陸軍一のエリート師団であるグロースドイッチュラント装甲擲弾兵師団連隊規模戦車部隊装備して実質上は装甲師団となった空軍ヘルマン・ゲーリング師団正式に装甲師団となった1944年1月6日にはヘルマン・ゲーリング降下装甲師団改名される。 ティーガー戦車量産本格化したが生産数少なく運用上の問題もあって一部エリート師団除いて装甲師団編成には含まれず、大隊規模重戦車部隊組織された。 生産始まったパンター戦車装甲師団主力として各戦車連隊第1大隊配備されることとなった全ての師団において改編が行われたわけではなかった。III号戦車に代わって主力戦車となっていた IV号戦車第2大隊配備されることになったII号戦車チェコ製の38(t)などの戦車としては使用に耐えない車輌自走砲改造され長砲身化され突撃砲と共に戦車駆逐部隊組織された。III号戦車車台突撃砲としての生産続けられた。 フンメル・ヴェスペの実用化に伴い砲兵部隊一部自走砲変わったソ連軍との戦闘大損害を受け、戦力失っていた第22装甲師団1943年4月6日、第27装甲師団1943年2月9日それぞれ解隊された。 アフリカ壊滅した21装甲師団1943年7月15日再編された。なお同じくアフリカ壊滅した第10装甲師団再編されず、再編された第15装甲師団は第15装甲擲弾兵師団改編された。 1943年9月22日ノルウェイにてノルヴェーゲン装甲師団編成された。 クルスクの戦い大損害を受けた18装甲師団1943年10月19日に第18砲兵師団へと改編され、姿を消した

※この「大戦中盤(1943年頃)」の解説は、「機甲師団」の解説の一部です。
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