戦間期~第二次大戦期(~1945)
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「迫撃砲」の記事における「戦間期~第二次大戦期(~1945)」の解説
出現した当初からストークス型迫撃砲の完成度は高く、第二次世界大戦期に更に洗練され、現代に至るまで基本構造に大きな変化はない。主要な参戦国の地上部隊は必ず迫撃砲を装備していた。 日本陸軍においては、ストークス型迫撃砲の導入以前から「曲射歩兵砲」という名称でミーネンベルファー類似の小型の迫撃砲を装備していたが、これを更新するものとして軽量の榴弾砲を配備したため、直接照準での射撃のできないストークス型迫撃砲については当初は導入を見送り、瓦斯弾投射機兼用の砲兵装備として採用された拡大型(口径90mm・射程3,800m)の迫撃砲を砲兵所管の独立部隊に配備するに留まっていた。しかし、支那戦線において中国軍が使用するドイツ製迫撃砲の威力を目の当たりにし、改めて口径81mmのストークス型迫撃砲を九七式曲射歩兵砲という名称で歩兵部隊にも配備することになったという経緯がある。また、海軍では九七式曲射歩兵砲を簡略化した三式迫撃砲を海防艦の艦橋前に設置し、潜水艦に対する威嚇攻撃に用いたほか、陸軍も機動艇などの揚陸艦の艦首に迫撃砲を装備して揚陸時の支援射撃に用いた。なお、陸軍においては砲兵所管のものを「迫撃砲」、歩兵所管のものを「曲射歩兵砲」と称するが、形式としてはいずれも同じ迫撃砲である。 第二次世界大戦では歩兵の機械化が進み、自走式の迫撃砲も登場した。軽量の迫撃砲は車載化も容易で、トラックの車台に既製の迫撃砲を搭載しただけのものから、既存の装甲車両を改造して固定武装化したものまで様々である。 また、迫撃砲ではないが、同じ"mortar"である臼砲・曲射砲では、ドイツの「カール自走臼砲(口径540mmまたは600mm)」、米国の「リトル・デーヴィッド(口径914mm)といった巨砲も製造された。 5cm迫撃砲IGrW36第二次大戦中のドイツ軍が使用した軽迫撃砲。命中精度は良かったが構造が複雑で重く、50mm口径では威力不足のため大戦中盤以降は第一線を退いた 120mm迫撃砲PM-38後継のPM-43と併せ、第二次大戦中の最優秀迫撃砲と称されるソ連軍の傑作重迫撃砲。ドイツ軍は本砲の性能を高く評価し、ほぼフルコピーである12cm迫撃砲GrW42を開発した T5E1迫撃砲輸送車第二次大戦では、このような自走迫撃砲も初めて登場した。ただし、当時のものは兵員輸送車輌等に既存の迫撃砲を搭載しただけのものが多い
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