戦闘での最後の使用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 04:17 UTC 版)
ラインバッカーII作戦(リチャード・ニクソン大統領の「クリスマス爆撃」としても知られる)期間中の1972年12月18日、アメリカ空軍戦略航空軍団のB-52 ストラトフォートレスが北ベトナムに対して「最大戦力」で空爆を実施していた。爆撃機が目標に向け接近するとSAM(Surface to Air Missiles:地対空ミサイル)がB-52の周りで炸裂し始めた。コールサイン「ブラウン・スリー」(Brown III)機が投弾を完了し、北ベトナム空軍の戦闘機が迎撃に上がったという警告を受けて旋回して引き返し始めた。ブラウン・スリー機の尾部銃手、サミュエル・O・ターナー(Samuel O. Turner)軍曹(SSGT)は、急速に接近してくるMiG-21を捕捉し、射程に入ると4連装のAN/M2重機関銃の一連射で敵機を撃墜した。ターナー軍曹は、朝鮮戦争以来初の敵機を撃墜した爆撃機の尾部銃手となった。機番55-0676のB-52は、現在ワシントン州・スポケーンのフェアチャイルド空軍基地に展示されている。 同年12月24日、同じ爆撃攻勢の最中に、現在コロラド州のアメリカ空軍士官学校に展示されているB-52「ダイアモンド・リル」(Diamond Lil)機がタイグエンにある列車集積所を攻撃した。迎撃に上がってきたのは北ベトナム空軍のMiG-21で、ダイアモンド・リル機の尾部銃手、アルバート・E・ムーア(Albert E. Moore)一等兵(Airman)は、4,000ヤードの距離でMiG-21を捕捉し、4連装のAN/M2重機関銃を発射した。ムーア一等兵の撃墜は、別のB-52の尾部銃手、クラレンス・W・チュート(Clarence W. Chute)技術軍曹(TSGT)により目撃され、チュート技術軍曹は、炎に包まれ墜落するMiG-21を確認した。ムーア一等兵は、戦時に機関銃で敵機を撃墜した最後の爆撃機の尾部銃手となった。
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