フランス、ドイツ以外の使用国
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「オチキス H35」の記事における「フランス、ドイツ以外の使用国」の解説
ポーランド 3輌の「H39」仕様のオチキスが1939年7月にポーランドに輸出され、ポーランド軍の装甲部隊技術調査室(Biuro Badań Technicznych Broni Pancernych)においてテストされた。1939年のドイツ軍ポーランド侵攻の際、9月14日、キヴェルツェにおいてオチキスは3輌のルノー R35とともにユゼフ・ヤクボヴィチ中尉の臨時編成の「半中隊(R35戦車独立中隊)」に配備された。部隊はドゥブノ戦闘団に組み入れられたが、ドイツ軍やソ連軍、蜂起したウクライナ民族主義者との戦闘を続け各地を移動する中で、撃破や故障により全車を消耗した。 トルコ 1940年2月、2輌がトルコに輸出された。 ブルガリア 1943年、ドイツは19輌の「H39」を訓練用としてブルガリアに供与した。ブルガリア軍はそれ以前に入手したルノー R35でフランス戦車に懲りており、オチキスにも興味はなかったが、本来ブルガリアが訓練用として欲したI号戦車が、すでに未改装のものが用意できなかったため、その代わりに供与されたものだった。後、これらの車両は警察部隊で使用された。 ハンガリー 1944年、15輌がドイツから供与された。 クロアチア独立国 少数がドイツから供与された。 イスラエル 戦後、10輌の「H39」が秘密裏にイスラエルに売却された。これらは1948年にマルセイユからハイファに船便で送られ、少なくとも1輌は1952年までイスラエル軍で使われていた。
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フランス、ドイツ以外の使用国
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「ルノー R35」の記事における「フランス、ドイツ以外の使用国」の解説
ポーランド 100輌の購入契約を結び、最初の50輌は1939年7月に輸入された。第二陣が1939年9月に船積みされたが、これはポーランドの敗戦により到着しなかった。第一陣のうち45輌が第21軽戦車大隊に配備された。第21軽戦車大隊はR35のほか、ラフリー製軍用車などを持つフランス式装備の部隊で、司令部直属の独立大隊であった。訓練用のマニュアルはフランス語のものしかなく、1939年9月の開戦時、部隊はまだルーマニア国境に近いポーランド南東部で準備中の段階であった。9月17日のソ連軍侵入に伴い、部隊はルーマニアに向けての撤退戦を行った。ルーマニアに逃れることができたR35は34両であった。また、第21軽戦車大隊および装甲部隊技術調査室(BBT Br.Panc)が保有したR35の数輌は、9月戦役後半、臨時編成されたR35戦車独立中隊において使用された。 ルーマニア王国 当初200輌のライセンス生産が計画されたものの契約は成立せず、直接フランスから輸入されることになった。フランス本国での需要、その他の国への輸出との関係で供給は遅れ、結局、1939年に41輌が到着したのみで、残りはフランスの敗戦によって果たせずに終わった。 しかし、1939年9月のポーランド陥落で、国境を越えてルーマニアに逃亡した元ポーランド軍のR35を接収した結果、ルーマニアが保有するR35は計75輌となった。R35は第2戦車連隊に配属され、1941年からの戦いでは、ベッサラビア、北ブコビナ解放戦、オデッサ包囲戦に投入された。その後第2連隊は予備部隊とされた。1944年、30輌のR35は鹵獲品であるソ連製の45mm戦車砲搭載型に改造された。砲の搭載のため、砲塔は砲耳部のバルジが前方に延長された。これらは「R35戦車駆逐車(Vanatorul de care R-35)」と名付けられた。改造型は第2連隊に戻され、通常型とともにチェコやオーストリア方面での戦いに参加した。 トルコ 1940年1月に50輌を注文、これらは4月に到着した(100輌輸入説もあり)。 ユーゴスラビア 1940年に54輌が輸入され、第1戦車大隊 (Bbk) に配備された。R35は、開戦時にユーゴスラビアが装備していた最新鋭の戦車であった。これらは、1941年のドイツのユーゴスラビア侵攻時、4月13-14日のドイツ第11戦車師団との戦闘でほとんどが破壊された。 イタリア王国 1941年、ドイツから124輌を供与された。イタリアでは中戦車に分類され、「M/R 35」の名称が与えられた。これらは後にシチリアの防衛戦で使用された。 ブルガリア公国 1941年、ドイツから40輌を購入。これは、却下されたLT-35の追加輸入の代替品だった。ブルガリアでのR35の評価は低く、訓練用を中心に限定的に使用されたのみだった。 シリア 第一次中東戦争の際、シリア軍によって、旧仏領からの独立時に残された数輌のR35が使用された。5両のR35がガリラヤ地域のキブツ デガニア・アレフに侵攻し、キブツの防衛部隊によって3両が撃破された。このうち1両は現在も記念碑としてキブツに残されている。1991年のイスラエル軍による調査で、このR35がイギリス製のPIATで破壊された事が判明した。また、ラトルン戦車博物館にもシリア軍の塗装を施したR35が展示されている。 レバノン 1940年代後半よりオチキスH38/H39と共にレバノン軍で使用されていた。一部の車両はルーマニアの「R35戦車駆逐車」と同様の改造を施し、イギリス製のオードナンスQF 2ポンド対戦車砲が搭載された。これらの車両は後にPLOによって使用されたものもあった。
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