シャーリー・テンプル
シャーリー・テンプル
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シャーリー・ジェーン・テンプル (英: Shirley Jane Temple、結婚後はシャーリー・テンプル・ブラック、英: Shirley Temple Black:1928年4月23日 - 2014年2月10日)[注釈 1]は、アメリカ合衆国のハリウッド女優。身長157cm。
注釈
- ^ テンプル自身、ミドルネームを「ジェーン」とたびたび名乗るものの、出生証明書の記載では「シャーリー・テンプル」である。また出生証明書は幼児と認められる年数を延ばすため、1934年にフォックス・フィルム社と契約した直後に出生年を1928年から1929年に改めてある。それにあわせて生後間もないころの写真も年月を1929年としてあった。21歳のとき、本当の年齢をテンプルが自ら認めている[1][2]。
- ^ シャーリーの自伝上巻p.304でテンプル家はプロテスタントの長老派清教徒に属すことが示してある。
- ^ Dubas(2006年)pp.7-8、Windeler(1978年)p.13。シャーリーの母の著作How I Raised Shirley Temple: By Her Motherも参照。
- ^ "As long as our country has Shirley Temple, we will be all right"という一節はケネディ・センターのウェブサイト[10] ほか多くの著書や記事に引用された言葉。この事情に関してはシャーリーの自伝『シャーリー・テンプル』上巻[11]に詳しい。
- ^ Dubas (2006年) p.27およびWindeler (1978年) pp.7-28、自伝『シャーリー・テンプル:私が育ったハリウッド』上巻pp.168-172を参照。[20][21][22]
- ^ モーアの本は元子役たちの生の声を収録した点で非常に貴重な資料と言えるが、裏付けを取らないまま活字にしているので誤りも多い。
- ^ スター子役の保護策をとらなかったMGMではたとえばジュディ・ガーランド、ミッキー・ルーニー、エリザベス・テイラーが幼いうちにセックスと酒を覚えてしまい、成人後も精神的に不安定なまま結婚と離婚を何度となく繰り返した。これに照らせばフォックス社の処置は賢明だったと言え、たとえばやはり1930年代の少女スターの一人で憎まれ役を繰り返し演じたジェーン・ウィザースも精神的に安定した人生を送っている。
- ^ 1934年8位、1935年から1938年まで1位、1939年5位、1940年13位[28]。
- ^ ミュージカル映画ベスト (en:AFI's Greatest Movie Musicals) はアメリカのミュージカル映画の一覧で、「AFIアメリカ映画100年シリーズ」[30] の一環として2006年に選出。128位『テンプルの福の神』(20世紀フォックス、1936)、131位に『農園の寵児』(20世紀フォックス、1938)がそれぞれ入賞した[31]。
- ^ 96位『コットン・クラブ』、98位『ミス・サイゴン』。「傑作ミュージカル100選」(2003) は授賞式の模様をまとめたテレビ映画でチャンネル4テレビ配給、進行役のデニス・ヴァン・オーテンはイギリス出身の歌手、役者、モデルである。舞台および映画で上演されたミュージカルベスト100の順位は一般視聴者の人気投票で決まり、チャンネル4のウェブサイトおよびメールニュースで票を受け付けた。候補作の一覧には作品の特徴を伝える短い動画が添えられ、関係者(俳優・監督・脚本家)あるいは作品を支持する有名人への取材の様子を収めたものも多い[32]。
- ^ Windeler (1978)pp.110-205の各映画のクレジットの項を参照。[33]
- ^ 1937年に20世紀フォックスのシャーリー・テンプル一1人に対して、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーがクラーク・ゲーブルとジーン・ハーロウの2人を交換する条件で一旦は貸し出しが決まったがハーロウが急死、代わりに出せる大スターがおらず話は流れてしまった[36]。
- ^ この事情をジュディ・ガーランドの側から見た文章はデイヴィッド・シップマン著『ジュディ・ガーランド』pp.93-94を参照[37]。
- ^ ルーズヴェルト大統領[38]、大統領夫人[39]、フーバー長官[40]それぞれの出典を参照。
- ^ ある雑誌記者がシャーリーの出ていない号があるかどうか、ひと月に発行された雑誌を調べている。山ほどの雑誌にシャーリーに触れなかったものはなかったという[41]。
- ^ 20世紀フォックスから出ている日本版DVD『農園の寵児』のカバーに「映画『ザッツ・エンターテイメント』にも収録されたテンプルちゃんの見事な歌と踊り」と書いてあるが、これは完全な間違い。『ザッツ・エンターテイメント』シリーズの収録はMGMのミュージカルだけで20世紀フォックスの映画を含むことはない。かつ収録された作品は『農園の寵児』ではなく『テンプルの愛国者』が正しい。故に『テンプルの愛国者』DVDのカバーは「映画『ザッツ・ダンシング』にも収録されたテンプルちゃんの見事な歌と踊り」と書くのが正解である。
- ^ ブラック『シャーリー・テンプル』上p.118参照。この歌「こんぺい糖のお舟」は、現在に至るまで非常に愛されているだけでなく、さまざまなパロディの対象にもされている。
- ^ ブラック『シャーリー・テンプル』上p.214、p.251を参照。なお、ディズニーの劇中歌を集めた「シング・アロング」シリーズにはディズニー社の映画の曲以外の歌として唯一、"At the Codfish Ball"を収録。
- ^ [56]。ティーン・アイドルとして活躍した時期は第二次世界大戦と戦後の混乱期にあたり、日本で彼女の作品は公開時期を逸したり、かなり後になってから目立たない形で公開されたものが多い。
- ^ 幼い頃から演じた役回りは壊れそうな結婚や敗れかけた恋愛を修復するいわば天使、または悲惨な境遇に耐えるいたいけな孤児など[58]、さらに勧善懲悪のパターンに沿って強欲を戒め貧しい者を助ける、高度経済に対する大恐慌から人々を救い出す等おとぎばなしの妖精役[59]が多かった。この性格付けは10代に成長したシャーリーには無理があったことから、従来の「幼児らしい素直さ」を控えめにして、「自然で気取らない」「世間ずれしない純情な」「おちゃめでいたずらな」面を前に出していく[58]。
- ^ シャーリーは西部劇『アパッチ砦』(ヘンリー・フォンダ監督・1948年)でジョン・ウェインと共演し、配役は夫ジョンの恋人。[62]。
- ^ 英語:Charles Alden Blackを参照
- ^ [71]と英語:Charles Alden Blackを参照
- ^ シャーリーの自伝の日本語訳ではこの話の箇所で社交界(society)を「社会」と誤訳したため文章が意味不明になっている
- ^ アサートンの町は国内で最も富裕な地区の一つであり、現在はシリコン・ヴァレーのIT企業経営者の家が立ち並ぶ
- ^ 1989年にイギリスで出版された書籍Hollywood Lolitaを含む一部の情報源は、子供たちの芸能界入りにシャーリーが猛反対したとしているが事実ではない。一時期、子供3人がテレビ出演に興味を示すと『シャーリー・テンプル・ストーリーブック』のエピソード「マザーグース」に一緒に出ているし、また『シャーリー・テンプル・シアター』は「ベイブス・イン・トイランド」の回で一緒に司会を務めている。ただし、3人ともそれで満足して関心を示さなくなり、二度と芸能界の仕事に携わることはなかった。
- ^ The Red Skelton Show (英語) は日本でもテレビ朝日金曜7時30分枠の連続ドラマの『スケルトン大笑劇場』シリーズとして放送 (1961-1962年)。
- ^ たとえばスタジオ・クラシック・シリーズの『テンプルのえくぼ』[86]、『小連隊長』、『テンプルの愛国者』など。
- ^ 額面を30ないし50倍すると現在の貨幣価値に相当する。
- ^ 『オズの魔法使』で脚光を浴びたジュディ・ガーランドはすでに重度の覚醒剤依存に陥り、映画の撮影所よりも多くの時間を精神科の病室で過ごした。
- ^ 1988年にラリー・キングのインタビュー番組で答えたところでは、20世紀フォックスの出演契約料だけでも当時の金額で300万ドル超、加えて契約終了後に信託口座へ積み立て金が入ったという。ところが父がその信託金の名義を変えて取り崩し、さらに残高から税金を差し引かれ、残った信託金はおよそ4万5ドルだったとシャーリー自身が明かした。
- ^ 自伝を参照[89]。
- ^ マクロスキー候補は後に大統領選に出馬したり共和党から民主党に鞍替えしたりした
- ^ 英語版のウィキペディアには、ベトナム戦争には賛成したと書いてあるが異論のあるところであろう[90]。マクロスキーのネガティブ・キャンペーンがまだ大きく響いたことは想像にかたくない。シャーリーが裕福なことから、当時流行のミニ・スカートをはかなかったことまで、ことごとく攻撃の材料にされた
- ^ シャーリーの自伝(上巻)400ページを参照。シュルツ国務長官が彼女の自伝の後書きを書いたときシャーリーはまだ外交官としての道半ばだった[91]。
- ^ 日本の一部の情報源には彼女が右翼運動に関係したとあるが、これは自伝の中の「ミニットマン(Minutemen)」という語の誤訳による。1950年代初頭の出来事についてシャーリーは自伝の原書で「私は独立戦争の時代の(英雄的な)民兵たちにならった」と書いており、訳書には「ミニットマン(反共秘密ゲリラ組織)にならった」としている(ミニットマンについてはミニットマン#極右団体を参照)。アメリカ独立戦争の民兵「ミニットマン」と同名を名乗る右翼団体は確かにアメリカに存在するが、創立は1960年代になってからであり彼女の著述とは文脈がつながらない。
- ^ 1969年の第24回国際連合年次総会 (1969年9月16日-同12月17日) で決議案について補佐[92]。また同総会の分科会「世界難民問題会議」 (1969年11月19日) にて所見を述べる[93]。アフリカ大陸で増加の一途をたどる難民問題についてアメリカ代表の声明の原稿をしたためると[94]、国際連合難民高等弁務官に迅速な対応を求める決議に影響を与えた[95]。
- ^ 一部の情報源では「ガーナの親善大使」と述べてあるがこれは全くの誤り。「親善大使」という職名はアメリカ国務省には存在しない[100]。
- ^ ガーナ大使としてフォード大統領と面談する映像がShirley Temple Black - Meeting With President Gerald R Fordという題名でYouTubeにある[102]。
- ^ 儀典長就任式当日に大統領ほか閣僚と歓談する映像がShirley Temple Black's Inaugurationという題名でYouTubeに掲載。
- ^ [105]
- ^ 製作は複数の会社が参加。ディズニーの他 Hartbreak Films、Radio Pictures、Village Roadshow Pictures である。テレビ版は Walt Disney Television (アメリカ)。配給もやはり数社が関わり、最初のテレビ放送権(アメリカ・2001年)に続き、ブエナビスタテレビはテレビ他すべての媒体の使用権。日本の場合はテレビ放送権は WOWOW (『シャーリー・テンプル物語』吹替・2002年) が扱い、その他の媒体は Walt Disney Company が担当。DVD版(2001年アメリカ)はにWalt Disney Home Video、VHS ビデオの権利は Walt Disney Home Video (2001年) である[113]。
- ^ 1冊目の出版後のインタビューより。[114]
- ^ ABCの情報バラエティ番組「グッド・モーニング・アメリカ」では特集コーナー「今日はシャーリー・テンプルの80歳のお誕生日」を設けた。少女のコーラス・グループから60代・70代の女性まで、80歳の誕生を祝う人々が全国でシャーリーのテーマソング「On the Good Ship Lollipop 」 (「こんぺい糖のお舟」の原曲) を歌う姿を撮影し、歌詞の節ごとに録画をつなぎ直すと一曲にまとめてある。
- ^ 家族は自然死と発表し、検視報告書(2014年3月3日発表)にある死因は喘息およびCOPD[119]。ファンにとって悪い見本とならないよう終生、喫煙していたことを隠したという。
- ^ 「げんきなこどもはさむくない」他[133]
- ^ 童謡「テムプルチヤン」は歌・飯田ふさ江、武田雪夫作詞、上原進一作曲、奥山貞吉編曲。コロムビアレコード発売。
- ^ YouTubeでシャーリー・テンプルが歌う2曲を紹介している“「夕焼け小焼け 靴が鳴る シェリー テンプル」”. ポリドールレコード 2409-A. 2015年7月1日閲覧。
- ^ ホームページ「まぼろし食料品店」第13回、「日本のお菓子に描かれたる外国の子どもたち」を参照串間努. “日本のお菓子に描かれたる外国の子どもたち”. ノスタルジー商店「まぼろし食料品店」. 2008年8月閲覧。
- ^ ローズ・パレードのグランド・マーシャルはGrand Marshal (英語) を参照。グランド・マーシャルの役割の定義は Marshal#Civilian (英語) にあるとおり、「催し物や舞踏会、晩餐会ほかで賓客の到着を公式に告げる役割」つまりパレードのリーダー役のこと。
- ^ 後に1980年代にイギリスの女性作家マリアン・シンクレアは著書 Hollywood Lolitas - the nymphet syndrome in the movies で弁護しつつ、男性の観客の深層心理に「アンビバレンツな感情があったのではないか」となかなかうがった見方をしている。ただし性革命の余波が残る約20年前に書かれたため、いささか内容が古いことは否定できない[151]。
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- ^ 現在、一般的に用いられるシャーリーの出演作のタイトルのうち「テンプル」はもともと旧仮名遣いの「テムプル」と記し、『ハイジ』は『ハイデイ』だった。『テムプルちゃんのえくぼ』は『テンプルのえくぼ』と書き改められている。
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シャーリー・テンプル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 06:54 UTC 版)
米国の女優・外交官。幼少時から人気子役として活躍する一方で学業成績も優秀で、アメリカ最難関の私立中高一貫校(プレップ・スクール)の一つウェストレイク女子校に1年早い12歳で入学、17歳で卒業している。
※この「シャーリー・テンプル」の解説は、「飛び級」の解説の一部です。
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固有名詞の分類
アメリカ合衆国の俳優 | シビル・シェパード マーリン・オルセン シャーリー・テンプル グロリア・スワンソン テリー・ハッチャー |
子役 | 波多野桃子 八木優希 シャーリー・テンプル 松本花奈 小宮りりか |
在チェコスロバキアアメリカ合衆国大使 | シャーリー・テンプル ジョン・M・アリソン ウラル・アレクシス・ジョンソン ジョシュア・バトラー・ライト ウィルバー・ジョン・カー |
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