レーゼシナリオ
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レーゼシナリオは、映画脚本(シナリオ)の形式で書かれた文学作品で、レーゼドラマの一種である。
- ^ レーゼシナリオという語の説明が載っているカタカナ語辞典に、三省堂の『コンサイス・カタカナ語辞典』、旺文社の『カタカナ語・略語辞典』、集英社の『日本語になった外国語辞典』、角川書店の『外来語辞典』(荒川惣兵衛編著)などがある。
- ^ 『シナリオの話』新藤兼人・著(社会思想社・現代教養文庫)。217頁に「レーゼ・シナリオ」という項目がある。「シナリオの形式を借りた文学形式」であると、その文学的独立性を認めてはいるが、「活字にならない小説が意味を持たないように、フィルムにならないシナリオはシナリオと呼べるものでは」ないからナンセンスだとも述べている。また、日本映画の過渡期には迎えられたが今は提唱者はいないとも伝える。
- ^ 英語題名は、'Seduced(誘惑されて)'。英語版サイトの著者略歴:書かれた年代と映画脚本であることから、「Lom long」が英語題「Seduced」になったことが容易にうかがえる
- ^ CiNii 日本の論文をさがす
- ^ 雑誌『国文学』(学燈社)2008年12月号「特集 映画文学」、安藤公美の小論「芥川龍之介 〜Vitascopeから《キイン》以後、そして白黒サイレント映画の終焉まで」より。朔太郎には「文学としてのシナリオ」(『シナリオ研究』[1]初出、筑摩書房から刊行された『萩原朔太郎全集 第十一巻』所収)という小文にも同様の発言があり、このジャンルの先達として、芥川と北川冬彦を双璧として挙げている。
- ^ なお、上述の芥川作品とセリーヌ作品がレーゼシナリオと呼ばれたのは、前者は土井美智子の修士論文『芥川龍之介論─表現形式の変遷とその芸術観─』(2000年度。東京大学大学院人文社会系研究科文学部研究教育年報6・所収)第二部五章において、後者は国書刊行会公式サイトのセリーヌ全集第14巻への解説文においてである(外部リンク参照)。
- ^ 井土紀州と澤井信一郎との対談「澤井流演出術・美は諧調にあり」 2005.2.2 @アップリンクファクトリー
- ^ 青空文庫「貸家札」。また、「散文詩自註」(『萩原朔太郎全集 第2巻』筑摩書房)には、”原作では、これに「映画のシナリオとして」という小書をつけておいた”とある。
- ^ imdb
- ^ クノー・ネット。ビブリオグラフィーを参照
- ^ 集英社世界文学大事典人名編
- ^ アマゾンドットコムの本書上巻のページ。表紙画像の帯に「シナリオノベル」とあり、ページ内の内容紹介文(商品の説明)にも同様の語がある
- ^ 『破壊しに、と彼女は言う』(河出文庫)訳者あとがき
- ^ ジョン・ヒューストンが監督を手がける予定だったが、その企画は頓挫した。(ALL REVIEWS 書評 『フロイト〈シナリオ〉』(人文書院)より。書評子は、美学者・谷川渥)
- ^ 正式な英語または学術用語としては"closet drama"が普通であるが、大修館書店の『ジーニアス英和辞典』等いくつかの英和辞典やオンライン独英辞典などで、"closet play"と言い換え可能とされている。また、ウェルズ・カレッジのキャサリン・バロウズ(Catherine Burroughs)助教授は、"closet play"という言葉をよく使う。(外部リンクを参照)
- ^ Trivia for Malcolm X
- ^ グーグルブックス
- ^ 外部リンク参照
- ^ CNNニュース、Aziz Ansari's imagination takes flight as he creates #GhostPlane By Lisa Respers France, CNN updated 8:12 AM EST, Mon December 8, 2014
- ^ 当該雑誌バックナンバー昭和34年1月号
- ^ 当該雑誌バックナンバー昭和34年8月号
- ^ 横山政男「群像新人文学賞=村上春樹さん(29歳)は、レコード三千枚所有のジャズ喫茶店店主」『週刊朝日』朝日新聞社、1979年5月4日号。
- ^ 『欲望の翼』公開当時のSPA!誌上での監督本人へのインタビューより
- ^ 作中の人物がフガードの同名書を持って登場する
- ^ アマゾン書籍情報 講談社文芸文庫「最後の小説」大江健三郎
- ^ 『バーナム博物館』柴田元幸・訳(福武書店・刊行)
- ^ アマゾン-『南回帰船』
- ^ 『シナリオの魅力』巻末(社会思想研究会出版部)
- ^ 前者については、佐藤未央子『谷崎潤一郎「月の囁き」考─映画を書く/読む行為の諸相から─』(同志社国文学83号)[2]、後者については 『海辺の望楼にて (日本幻想文学集成)』(佐藤春夫・著、須永朝彦・編集 国書刊行会・刊行)の須永による巻末解説を参照。『海辺の望楼にて (日本幻想文学集成)』269頁において須永いわく「春夫は、戯曲ないしシナリオに類するものを十四篇ほど書いてをり、悉くが『読むための』といふ体の作品である」。「悉く」とは「残らず。すべて」という意味であるから、二作ともレーゼシナリオと言える。
- ^ 前掲書『海辺の望楼にて(日本幻想文学集成)』270頁、須永朝彦による解説文。
- ^ スクリプト・ジャーナル目次 Gary Shipleyで検索せよ
- ^ アマゾン・ドットコム 当該書物の頁 の解説より "Archaic turns of phrase and elision combine with post-cinematic headlessness to produce a stage play that plays with stages and stages play, a lesescenario from the velveteen tongue of an heretical zealot, its phrases as if slurped up off an abattoir floor, or off the rotted walls of a theatre-cum-poisoned-amniotic-sac where the performers have all become kuroko."
- ^ Amazon - Hummingbird – Adventures of a Freshman Girl: An erotic closet screenplay (Cinematic Wet Dreams Book 1) (English Edition) Kindle版 英語版 Nora Blake(著)
- ^ レーゼシナリオ - Amazon.co.jp
- ^ チューンコアジャパン 歌詞 レーゼシナリオ BUZZPEX
- ^ ヤフーオークション "石川達三 原稿 400字2枚 真筆 レーゼ・シナリオ 150"
- ^ 筑摩書房『伊丹万作全集』第二巻57頁。いわく「読むシナリオ――という言葉がいけなければ、必ずしも上映を顧慮しないシナリオといいかえてもいい。そういうものを盛んにすることが、映画を向上させる唯一の道とは言わぬまでも、最も有効で手っとり早い方法だとは以前から考えていた。それは必ずしもいわゆる読物的なおもしろさである必要はない。シナリオとしてみておもしろければそれでいいと思う。なぜならば私はシナリオ形式の中には、他のいかなる文学の中にも探し出せない独特のおもしろみがあることを信じているものである」。
- ^ 『台湾日本語文学報』第25巻・44頁・蔡宜静による論文「北川冬彦の『長編叙事詩』創作方法に関する初探 シナリオ形式との関連に着眼して」
- ^ 日本の古本屋
- ^ 映人社HP
- ^ 『ゼンマイの戯れ』に就て 青空文庫
- ^ 参考書籍
- ^ 『シナリオの魅力』「シナリオ文学運動の将来性」の章(社会思想研究会出版部、1953年初版)
- ^ 「レーゼ・シナリオ」で検索できる
- ^ 映画監督横山博人ブログ なぜ「ネット映画講座」なのか 1.レーゼシナリオではダメ
- ^ 『ときにはハリウッドの陽を浴びて』トム・ダーディス著、岩本憲児ら訳(研究社出版)。295頁に「『家』や『人間の運命』のような脚本作品は、エイジーの、"レーゼ・ドラマ[読むための戯曲]"の映画版とも受け取られるだろうが」というくだりがある。
- ^ クインビー・メルトン『制作の曖昧な優位性』の付記(外部リンク)
- ^ imdb-Nanoblood
- ^ 『制作の曖昧な優位性』(外部リンク)本文参照
- ^ Mozart and the Wolf Gang - Amazon.co.uk
- ^ ワシントン・ポスト記事 Manuel Puig:The Frame of The Fantasy By Desson Howe November 16, 1985 には、「Puig, with a film-writing career in mind, attended the Centro Sperimentale di Cinematografia in Rome,(プイグは、映画の脚本家としてのキャリアを念頭に置いて、ローマのイタリア国立映画実験センターに出席しました)」とある。劇作家と戯曲についてのデータベースdoollee.com には、チネチッタで映画の演出を学んだ、とある。
- ^ スカラー・グーグル・ドットコム - Decio Torres Cruz
- ^ GoogleBOOKS - The Cinematic Novel and Postmodern Pop Fiction: The case of Manuel Puig 著者: Décio Torres Cruz (ジョン・ベンジャミンズ出版社・刊)。Lesescenarioという単語も本の中に出てくる。
- ^ eyes wide open
- ^ 集英社刊の単行本巻末における翻訳者・野島秀勝による解説より以下に引用。「『黒ミサ』は決してシナリオといったものではない。一つの歴とした小説(太字部に傍点)なのだ。メイラーはシナリオの現在時制叙述の形式を逆用して、あの『時の時』『現在の現在』という彼の実存的時間観念に適合した新しい小説形式を発見したように私には思えるのである」
- ^ imdb-Nick Roth
- ^ Cinepoetry: Imaginary Cinemas in French Poetry (Verbal Arts) 1st Edition - Amazom.com
- ^ グーグル・ブックス
- ^ 前出の朔太郎「文学としてのシナリオ」に「北川冬彦君の短編小説中にも、小説といふよりは詩に近く、詩といふよりはむしろシナリオに近い物が数多くある」という文言がある。
- ^ Closet Screenplay (英語) ペーパーバック - Amazon.co.jp
- ^ (本書204頁9行目から13行目まで引用すると、右のごとし)『誘惑』(中略)とともに、映画として製作、上映されることを意図しない所謂「レーゼ・シナリオ」である。萩原朔太郎は『文学としてのシナリオ』(中略)で、北川冬彦の作品とともに(中略)関心を寄せ、「連続的に映画の進行をイメージさせ」るが「純粋に独立した文学であり普通の所謂シナリオとはまったく別種の物」として評価した。
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